アオサギを議論するページ

アオサギ一羽一羽

20年も前のことを考えると、人とアオサギの距離はずいぶん縮まったなと思います。地域によってはアオサギが人馴れし、彼らに近づける距離が実際に近くなった場合もあるかと思いますが、そうでなくてもデジカメやネットの普及で、昔とくらべればはるかに彼らの姿を間近で見られるようになりました。最近では、NYのオオアオサギのライブ映像のように、写真だけでなく動画を通して彼らの日常を詳らかに観察できるものまであります。

facesこんなふうに状況が変化してくると、彼らを見る目も自ずから変わらずにはいられません。少なくとも私の場合は、昔は百メートルも離れたところから双眼鏡やプロミナで遠望するのがやっとでしたから、アオサギを観察していても、一羽一羽を個々のアオサギとして意識することはほとんど無かったように思います。とくにアオサギの場合は遠目には雌雄の区別さえ難しいですし、おまけに集団で繁殖していますから、どうしてもひとまとめのアオサギとしてみなしてしまいがちだったのです。

ところが、上の写真のように羽毛の一本一本まで細かく見られるようになると、これはもう一羽一羽まったく別のアオサギです。写真は齢の違うアオサギを並べているので違っていて当然なのですが、それでも20年前ならここまでの違いをはっきり意識していた人は、よほどの専門家でない限りほとんどいなかったのではないでしょうか。

facesここまで彼らの姿がクローズアップされるようになると、顔の表情まで気になります。右の写真はその一例。皆、だいたい同じぐらいの齢のヒナです。こんなふうに様々な表情があるのですね。もっとも、これは正面から見たときの多少おかしな表情ばかりを選んでいるので、多様な表情とはいえないかもしれません。実際はもっと凛々しく見えるときもあれば可愛らしく感じられるときもあり、哀感を帯びた表情になるときもあります。目とくちばししかないのに、どうしてこれほど豊かな表情が生まれるのだろうと不思議なほどです。まあ、それを言えば人間も似たようなものですが。

ともかく、昔と比べて彼らが意識の上でより身近な存在になってきたのは確かだと思います。野外では遠目にしか見られないかもしれませんが、一見同じようなアオサギでも、じつは一羽一羽まったく別のアオサギです。その意識が頭のどこかにあれば、たとえ遠目にしか見られなくても身近に感じることは可能だと思うのです。

結局、種は違えど、人もアオサギも、一人一人、一羽一羽が独自の個性をもって存在しているということなのでしょう。この本質的な部分では人とアオサギは何も変わりません。同じ生き物として、良き隣人でいたいものです。


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