アオサギを議論するページ

サギ類カレンダー

cal今年も残すところあと数時間。ということで、来年のカレンダーをつくってみました。サギのイラストをあしらっただけの何の工夫もないカレンダーですが、一年中サギを眺めていたいというご奇特な方には役立つかもしれません。

A4の紙(多少厚めのほうが良いかも)とプリンターがあればつくれます。以下の画像をクリックするとPDFのページに飛びますので、そこからダウンロードしていただければと思います。ブラウザの設定によっては画像のクリックで直接ダウンロードが始まるかもしれません。内容はほぼ同じですが、写真のようにポストカードのフレームに合わせたものと横長のもの(全長・体重付き)を作っています。写真で三角に折っているのが横長のものです。まあ、どんなふうにでもお好きなようにアレンジしてみてください。

イラストのサギたちはアオサギ属に属する全11種です。残念なことに12ヶ月には1種足りません。仕方がないのでアオサギに2度登場してもらうことにしました。そこはアオサギ贔屓のサイトということでご容赦ください。なお、ここに挙げたサギたちの詳しいプロフィールはこちらのページで御覧になれます。

では、みなさん良いお年をお迎えください。

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アオサギと共生するために

去年の暮れ、アオサギの鳥獣管理行政の実態をまとめた報告書を公開しました。報告書の内容については以前ここで簡単に紹介したとおりです。ともかく、アオサギの不要な駆除が全国で横行していること、それが杜撰な行政によって助長されていることを少しでも多くの人に知ってもらいたかったのです。あれからほぼ一年、この件については想像以上に何の手応えもありませんでした。

もちろん、国や都道府県、一部の市町村には改善策を添えて要望書は出しています。ただ、私としては行政には端から何の期待もしていません。彼らと直に話してみて、理念やビジョンのある鳥獣管理を行っている人はほんの一握りしかいないことが痛いほど分かったからです。どの担当者も個人として一生懸命働いていることは疑いません。しかし、鳥獣管理を行う上で重要なこと、たとえば野生動物と人との関係性の認識や、生命に対する哲学的、倫理学的な考察、共生のための保全生物学的なアプローチといったことに彼らが関心をもっているとはどうしても思えないのです。それどころか最低限の科学的方法論さえとられてなかったり、果ては鳥獣保護法さえ碌に理解されていなかったりというのが実情でした。

それでも業務自体は支障なく動いていくわけです。もちろんそれで良いというわけではなく、そのつけは今のところ全部アオサギが払っています。アオサギだけに特別なことが起こっているわけではありあません。他の野生動物も多かれ少なかれ似たような状況に置かれているはずです。こんな理不尽なことが問題視されず放置されてよいはずがありません。

とはいえ、行政への働きかけには自ずと限界があります。とくに事務的な問題でなく、上述したような意識の欠如が問題である場合、彼らにあれこれ言ったところで暖簾に腕押しでしょう。結局、彼らの意識は我々の意識の反映でもあるわけですから、世間の意識が変わらないことには彼らの意識は変えられないということだと思います。

ところが、我々の意識はどうかというと、こちらも問題で、ほとんどの人はアオサギに駆除の問題があることすら気にかけていません。そればかりか、アオサギという名すら知らずに生涯を送る人も多いことでしょう。これはアオサギとのトラブルが極めて局所的な問題であることに原因があります。被害を被るのは限られた地域のわずかな人たちです。たとえば、田んぼの所有者であったり、川にアユを放流している漁協であったり、釣り堀や養魚をしている人たちであったり、それにコロニーのすぐ傍に住んでいる人たちもそうですね。アオサギは全国各地にいますが、それでもこのようなトラブルは全体から見ると局所的な特殊事例に過ぎません。トラブルに直接関わりのある人もごくわずか。他の大多数の人たちは、普段アオサギとは何の関わりもなく、何が行われているかを気にかけることもなく暮らしているということです。

しかし、本当に我々はアオサギとそこで行われている駆除に関わりはないのでしょうか? 田んぼに入るアオサギが駆除されるのは、彼らが稲の苗を踏みつけるからで、米を食べる私たちがいなければアオサギが殺されることもありません。養魚場で殺されるアオサギについても同様で、私たちが養魚池で育てられた魚を食べることがなければアオサギは殺されません。また、自然河川でアオサギが駆除されるのは、漁業者が遊漁用に放流した魚(主にアユ)をアオサギが食べるからです。しかし、これも釣り人がいなければ、アオサギが殺されることはないでしょう。つまり、アオサギと直接利害関係のない人たちであっても、意識しているかしていないかにかかわらず、多かれ少なかれアオサギの駆除に関わりをもたざるを得ないということです。

そういう意味では、我々ひとりひとりがアオサギに対する加害者です。彼らの死に対する責任は、程度の差こそあれ我々ひとりひとりが負うべきものであり、だからこそ、その責任について各個人が真剣に考えていく必要があります。自分は関係ないからという認識を大多数の人々がもっている限り、社会全体の考え方は変わっていきません。見かけ上、直接の関わりがなくても結果的にはあらゆるものにコミットすることになる、それが現実のあり方なのだと発想を変える必要があります。これは何も特殊なことを言っているわけではありません。よくよく考えれば当たり前の話です。

もう一例。コロニーの近くに住んで、アオサギの糞の臭いや鳴き声に悩まされ、それが理由でアオサギが駆除される場合があります。これこそ、そこの人たちとアオサギだけの問題と思われるかもしれません。しかし、こうした場合もその周りの社会はそのことと決して無関係ではいられないはずです。なぜなら、トラブルに遭っている人たちのアオサギへの関わり方、あるいは野生動物についての生命の捉え方というのは、個人の個性が前面に出るにしても多分に社会通念に影響されているものだからです。普段の我々ひとりひとりの言動がその社会通念をつくっていきます。そういう意味では、現場にいない大多数の人たちもそこで行われる駆除に対して責任がないとは言えません。

少し話が飛びますが、以前、旭山の動物園からフラミンゴが脱走したとき、そのフラミンゴは「落とし物(遺失物)」として警察に届けられました。いかに法律用語とはいえ、この言葉からは生命ある存在に対する敬意が欠片も感じられません(旭山動物園に非はありません)。そういう特殊な例を挙げるまでもなく、メディアなどでは「アオサギが大発生した」とか「サギが大量に住み着いた」などという言葉がいつも平気で使われています。こういう不適切な言葉の使われ方がアオサギにとってマイナスに影響するのは間違いありません。些細なことですが、こういったことに目を向けるのもアオサギに対するひとつの責任のとり方だと思います。そして、むしろこうした身近にできることのほうが状況を効果的に改善できるのではと思うのです。

安易な考えで駆除申請する人や、いい加減な鳥獣管理行政に問題があるのは確かです。しかし、いくら彼らを責めたところで根本的な問題は解決しません。この問題は、突き詰めれば、我々ひとりひとりにその原因があるのだという認識がどうしても必要です。個人個人がこのことを自覚し、自分の責任として、身近なところから少しでもアオサギへの負の影響を減らすように行動していけば、アオサギの保全状況は僅かずつでも根底から改善されていくはずです。結局のところ、アオサギと共生できるかどうかは、私たちが加害者としての認識をもてるかどうか、そしてその認識を社会で共有できるかどうかにかかっているような気がします。

サギ科の系統分類

今回はわりとストレートにアオサギの系統分類についてご紹介したいと思います。つい先日、科学雑誌のNatureに鳥類の包括的な系統樹を示した論文が載っていました(こちらで要約が見られます)。ここに載せられた系統樹はさまざまな種の遺伝子を分析して得られたもので、分析の対象はごく一部の鳥だけに限られています。ただ、一部とはいえ主要な科はだいたい調べているので、たとえばサギ科とどの科が近縁かといったことはかなり正確に分かります。

Prum右の図はその論文に載っていた系統樹からサギ科に近い部分だけを抜粋したものです。こうして見ると、予想に違わない位置にある科もあれば、なぜそんなところにあるのかよく分からない科もあります。まず驚くのはサギ科からみてコウノトリ科がずいぶん離れた位置にあること。体型という点では、サギ科に一番似ているのはコウノトリのはずなのに、コウノトリはウやカツオドリより類縁関係が遠いのです。これはびっくり。

一方、トキ科はサギ科と比較的近いところにあって、こちらはまあ違和感はありません。しかし、面白いのはそのトキよりさらに近いところにペリカンがいること。つまり、サギ科の祖先からはまずコウノトリ科が分化し、その後、トキ科が分かれ、最後にペリカンやそれに近い科が分岐していったということです。 系統というのは見かけではなかなか分からないものですね。

遺伝子分析で鳥の系統を明らかにする試みはこれが初めてではなく、もうずいぶん前から多くの研究がなされています。そして、それらの研究の中でサギ科の位置づけを大きく変えたのが2008年にScience誌に載った論文でした。この研究により、サギ科はペリカン科に近く、コウノトリ科とはかなりかけ離れた位置にいることが遺伝子レベルではっきり示されたのです。

Jarvisまた、昨年暮れには、同じくScienceに別のグループが行った論文が載りました(こちらで系統樹のみ見られます)。この研究はコウノトリ科を調べていないのが残念すが、サギやトキ、ペリカンの類縁関係は上の図とまったく同じです。これら3科の鳥たちが極めて近い関係にあるのはどうやら間違いなさそうですね。

こうした類縁関係はIOC(国際鳥学会議)が公開しているBird Listにも反映されています。以前、サギ科はコウノトリ目に分類されていたのですが、現在はトキ科とともにペリカン目に編入されています。コウノトリはというと、そのままコウノトリ目に留まっています。リスト上の分類が変わっただけとはいえ、長らく一緒で、一緒にいることが当然と思っていただけに、こういう事態になるとやはり一抹の寂しさを感じます。

ところで、アオサギが新たに居を定めることになったペリカン目の内訳はどうなっているのでしょう。現在のペリカン目は最初の図の下半分、つまり、トキ科、サギ科、シュモクドリ科、ハシビロコウ科、ペリカン科の5科で構成されています。このうちシュモクドリ科はシュモクドリのみ、ハシビロコウ科はハシビロコウのみ、いずれも1科1属1種という小さなグループです。では、目名にもなっているペリカン科はどうでしょう。じつはこちらもたいして大きなグループではなく、わずか1属8種しかいません。トキ科になるとやや種数が多く13属35種。しかしそれでも19属66種を擁するサギ科にはまるで敵いません。種数だけでみればサギ科が文句なく多数派なのです。ならば、目の名前もペリカン目でなくサギ目にすればと思ってしまいますが、それは都合が良すぎるというもの。サギ科はコウノトリ目を追い出され、ペリカン目に大所帯で押しかけてきたようなものですから。ペリカン目のほうがもともとあって由緒正しいということなのでしょう。

Diagramついでなので、サギ科についてもう少し詳しく見てみたいと思います。右の図は”The Herons” (J.A. Kushlan and J.A. Hancock. 2005) にあった図をIOCのBird Listを参考に多少アレンジしたものです。中心から外に向かって、亜科、族、属の順に細かくなっていきます。緑で示したのが亜科で5つあります。このうちArdeinae亜科はグループが大きいため、亜科の下にさらに3つの族が設けられています。アオサギが属するのはこのうちのArdeini族で、ここからさらに4つの属に分かれます。その先に種、さらには亜種へと続いていくわけです。

図中、和名で記したのは日本にいる主なサギたちです。和名の位置でそれぞれの種がどの属に該当するのかを示しています。これを見ると、種数が多くないわりにはそれぞれの種が比較的まんべんなく別々の属にちらばっているのが分かるかと思います。これは当然といえば当然のことで、同じ属のサギ、つまり似たような生態的地位を占めるサギは同じような環境で共存するのは難しいということなのでしょう。

ちなみに、アオサギの属するArdea属は11種のサギたちで構成されています。同じ属ですから姿形はどの種もだいたい似たり寄ったり。しかし、色や大きさ、生息環境や繁殖行動などは種によってじつにさまざまです。似ているけれども違う、それがまた彼らの魅力でもあります。サギ類すべてとは言いませんが、死ぬまでに少なくともArdea属の11種だけでもお目にかかりたいものです。

ホモセクシャルなサギたち

ひと雨ごとに涼しくなるこの季節、アオサギの渡りも佳境に入り、北で過ごしたサギたちは、落ち葉が北風に吹かれるように、南へ南へと押し流されていっています。ここ札幌周辺のサギたちもいつの間にか姿を消し、気配すら感じなくなってしまいました。

そんなふうにいなくなってしまう彼らも、しかし、春になればまた当然のように戻ってきます。そして、つがいを見つけ、卵を産んで、というのが彼らのお決まりの行動パターン。それが毎年同じように繰り返されるわけです。そんな彼らを見ていると、ともすれば同じような個性の集団が機械的に同じことを繰り返しているように錯覚してしまいます。一羽一羽を外見で区別できないので、それはまあ仕方のないことなのかもしれません。外見が同じだから同じ個性なのだと。しかし、もちろんそんなことはありません。じっくり観察すると彼らの行動パターンは決して一様でないことが分かってきます。

DSCN0024雌雄の関係ひとつとっても、ありきたりな雄と雌のつがいばかりではありません。雄どうしのつがいがいたり、雌どうしのつがいがいたり…。そうなのです。実際、アオサギの世界にもホモセクシャルが存在するのです。じつのところ、それが雄どうしなのか雌どうしなのかは定かではありません。外見では判断できませんから。しかし、彼らの行動を見れば、それが少なくとも同性であるかどうかぐらいは分かります。右の写真は数年前に私が観察したペア。彼らは交互に相手の背中に乗って交尾していました(当時の記事)。雌雄は分かりませんが、同性であるのはほぼ確実です。

じつは、ホモセクシャルというのは動物ではそんなに特殊なことではないのですね。2006年にオスロの自然史博物館で催されたエキシビジョンでは、1,500種を超える動物に同性愛行動が見られたことが報告されています。もっとも、この数は当時判明した種数であって、知られていない種のほうがよっぽど多いと思われます。観察すればするほど、その数は今後いくらでも増えていくことでしょう。

IMG_4765左の写真のには、そんな鳥類やほ乳類のホモセクシュアリティの事例が網羅的に紹介されています。この本の厚さ(750頁を超える)を見るだけで、動物界における同性愛がいかにありふれたものであるかが分かります。サギ類のことももちろん書かれています。サギ類の中でもっとも頁を割いて説明されているのはゴイサギで、飼育下という条件付きながら、性や齢によって異なる性の嗜好が詳しく記載されています。

たとえば雄の成鳥の場合、同性でペアがつくられた割合は2割にものぼるのだとか。これに対して、雌の同性カップルはまったく確認されていません。まあ、これは母数が示されていないので、どのていど信頼して良いのか分かりませんが、ゴイサギだけでなく、雄にくらべてホモセクシャルな雌が比べて少ないのは、どうも動物界の全体的な傾向のようです。

同書によると、ゴイサギ以外では、アオサギ、アマサギ、コサギ、スミレサギの4種でホモセクシャルな行動が知られているそうです。ただ、つがい間の同性愛関係についてはゴイサギからの報告があるだけで、他の4種はつがいではなく強制交尾時の雌雄関係のみが問題にされています。強制交尾というのは、配偶相手のいるいないに拘わらず、雄がつがい外の相手(普通は巣で抱卵中の雌)に強制的な交尾を仕掛けることです。彼らは大勢がひと所に巣を構えていますから、こういったことはよく起こります。そして、どうやらここでも雌雄以外の関係が見られるようなのです。

たとえば、アオサギの強制交尾についてはスペインのRamoさんが熱心に研究されていて、39回の強制交尾のうち3回が雄どうしの交尾だったと報告しています。他のサギ類もだいたい似たような者で、数パーセントほどの割合で雄どうしの強制交尾が見られるようです。雄を強制交尾することにどんな適応的な意義があるのか不明ですし、もしかすると相手が雄か雌だか見分けられず、間違って雄を狙ってしまうのではと思ったりするのですが、同書にはそうした見方に反論するような観察例も紹介されています。たとえば、アマサギでは雄ばかり狙って強制交尾を仕掛ける雄がいるそうなのです。

ということで、サギたちの性のかたちはじつにさまざま。外見からは同じようにしか見えない彼らですが、その内面は一羽一羽きっと驚くほど違っているだと思います。彼らのことを知れば知るほど人と彼らの間を隔てている境界はどんどん曖昧になります。私たちはとかく生きものの中で人間だけが特殊なように思い込んでいますが、それは勘違いもいいところ。人間にあって他の動物たちに無いものなどほとんど何も無いのかもしれませんね。

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