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アオサギ掲示板
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シーズン開幕   投稿者:まつ@管理人  投稿日:2010/03/10(Wed) 07:08   No.1371   
札幌でもアオサギの繁殖シーズンが始まったようです。写真は札幌市篠路の小さなコロニー。昨日は9羽を確認しただけでしたが、今の時点ではおそらくこれで全てでしょう。9羽のうち4羽はそれぞれペアをつくり早くも巣材集めにいそしんでいました。ただ、残りのサギたちはその辺の枝に手持ちぶさたにとまっているだけで、その様子から想像するとこのコロニーが使われ始めたのはここ一両日のような気がします。

一方、このコロニーから12、3キロ離れた江別のコロニーはまだ開店前。ここはすぐ近くに冬ねぐらがあって10羽ほどの越冬個体が待機しています。ところがこちらは篠路と違い、巣の上には雪の綿帽子がしっかり被さっていて使い物になりません。アオサギもさすがに雪はねしてまで使おうとは思わないようで、自然に任せて時が来るのをじっと待っています。今度、春の陽気が訪れたときにはここの巣の雪も溶け、サギたちは間違いなく繁殖を始めるでしょう。その時には南風に乗って渡りのサギたちも大挙して戻ってくるかもしれません。

今日、明日は荒れ模様の天気になりそうですから、あさってぐらいでしょうか。北海道でのアオサギシーズンもいよいよ本格的に開幕です。

ウラハとホロマ   投稿者:まつ@管理人  投稿日:2010/02/18(Thu) 20:48   No.1370   
写真がそのウラハとホロマ。と言っても何のことだか分かりませんね。私もつい数日前まで知りませんでした。じつは浦幌町のマスコットキャラクターなのです。浦幌町は帯広と釧路の間にある町で、何かとアオサギには縁があります。かつてここには400巣を超える規模の巨大コロニーがありましたし、町の鳥も当然アオサギです。こんなふうに町の鳥にアオサギを指定している自治体はかなり珍しいのではないでしょうか。もしかしたら浦幌町が唯一かもしれません。

このキャラクター、浦幌中学の生徒さんたちが起業をテーマにした総合学習の授業で考案したものだそうです。もともとはキャラクターシールを作って販売するのが目的だったそうで、今ではシール以外にもさまざまなグッズが売られています。グッズは下記HPから見ることができます。
ウラハとホロマの公式ウェブサイト⇒ http://urahahoroma.east-hokkaido.co.jp/index.html
トップページのアニメーションがけっこうシュールですね。ブログもあります。
ウラハとホロマのブログ⇒ http://urahahoroma.east-hokkaido.co.jp/blog/

浦幌のウラとホロにそれぞれハとマをつけてウラハとホロマ。一度聞いただけではなかなか覚えられない名前です。でも、それがまた大衆に迎合していないというか、一癖も二癖もありそうなアオサギの雰囲気に合っていて素晴らしいです。さすがにアオサギの存在を身近に感じて暮らしている地元の中学生です。命名といいデザインといいアオサギの特徴をよく捉えているなと感心しました。デザインのほうは元のイラストがいいですね。これだけ単純化されデフォルメされていても、目の後ろから後頭にかけて延びる黒のラインでアオサギだということがひと目で分かります。ぬいぐるみのほうはこの黒のラインが丸い頬に変更されていてちょっと残念。もちろん、そんなことにはお構いなく私は買ってしまいましたが…。

ともかく、アオサギが町のマスコットキャラクターになったという事実、これはもう無条件に喜びたいです。存在感のある息の長いキャラクターに成長してほしいですね。

さて、今年も。   投稿者:まつ@管理人  投稿日:2010/02/17(Wed) 23:09   No.1369   
昨日、帯広の水光園にあるコロニーに寄ってきました。水光園は帯広の町中にある温泉施設で、その敷地内にアオサギがコロニーをつくっています。また、この周辺は北海道で数少ないアオサギの越冬地にもなっています。そのせいもあってここでは毎年早い時期から繁殖がはじまります。昨年は2月11日にはすでに巣造りを始めていました。なので、今回ももしかしたらというより、もう来ているに違いないと半ば決めつけて見に行きました。

案の定、来てました。今でも連日氷点下10度を下回るような土地ですが、そんなことは彼らには関係ないようです。

今回、コロニーにいたのは11羽。うち5羽がすでに営巣活動に入っていました。このうち1羽はひとりで巣に陣取っており、他の2羽はお互いに相手を見定め中。写真に写っているのは残りの2羽。すでにつがいになっていました。こんな時期にコロニーが利用されるのは北海道ではここだけのはずですから、たぶんこの2羽が道内では今シーズン最初のペアでしょう。

皆さんのところのサギたちはもうコロニーに戻ってきたでしょうか?

狩猟の歴史   投稿者:まつ@管理人  投稿日:2010/01/19(Tue) 01:01   No.1352   
今年に入ってまだアオサギを一羽も見かけていません。毎年、越冬している場所にも見当たらず…。そういえば、石狩川上空をダイサギが飛んで行くのに出会いました。この時期ですからオオダイサギでしょうか。シラサギ類は冬の青空をバックにするといっそう美しいですね。

そんなわけで、アオサギの観察報告ができないので、今回は“The Herons”という本から気になる箇所を紹介したいと思います。この本は「ザ・サギ」というタイトルでも分かるように、サギ類についてのこれまでの知見を網羅的に紹介した本です。その中にサギと人との関係を記した章があって、その一部に人間による狩猟の歴史が書かれています。いろいろと問題のあるサギと人の世界ですが、これまでの両者の間にあった歴史をあらためて見直してみれば、また別の角度から問題が見られるようになるかもしれません。
本の内容は何ページもあって長くなりそうなので、何回かに分けて少しずつ紹介していければなと思います。

さて、そもそもサギ類と人類の歴史を比べると、というところから話をはじめます。これは、サギ類のほうが何千万年も前から地球上に存在しているわけで、たかだか二百数十万年前に出現した人類は新参者もいいところなのです。が、そういったことにはおかまいなしに、最初から食う食われるの関係は一方的だったはずです。少なくとも、メキシコでは3000年以上前からサギ類は重要な食料だったとされています。これは別の本で読んだことですが、日本でも縄文時代にはサギを食べていたことが分かっています。

このような狩猟圧は結果として多くのサギ類を絶滅に追いやることになりました。とくに島に住んでいたサギ類は人間が侵入したことでそうとう多くの種が絶滅したようです。もともと捕食者が少なかったため、警戒心がなく捕まえやすかったということもあるのでしょう。サギたちは人間や彼らが連れてきた家畜の食料になるとともに、人間が持ち込んだ病気の犠牲になってしまいました。こうしたことは比較的近年になっても起こっており、たとえば、バミューダ諸島では、人間が島に上陸したのと時を同じくして何種ものサギが絶滅しています。Reunion Night-Heron、Mauritus Night-Heron、Rodrigues Night-Heron、これらの夜行性サギたちは、写真に撮られることさえ無いまま、わずかな骨だけを残して絶滅してしまいました。他の島々でも同じようなことが起こっていたはずです。上に挙げた3種は名前が残っているだけまだいいほうで、かなり多くのサギ類が人類が気づく前に地球上からいなくなったことでしょう。

もちろん、犠牲になったのは島にいたサギ類だけではありません。大昔には南ヨーロッパのほうには巨大なサギがいたそうです。しかし、このサギも南ヨーロッパで人類が栄はじめた約8000年前に絶滅しています。その巨大さは現存する最大のサギであるオニアオサギ(タンチョウよりわずかに大きい)よりさらに大きかったと言います。

島のサギも大陸のサギも、人目につかないサギも目立つサギも、人の影響から逃れられるものは誰もいないということです。現代は何かと言うとサギによる人間側の被害ばかりがクローズアップされ、本来の大きなスケールでの関係が見過ごされがちです。歴史的に見れば、人とサギは「影響するもの」と「影響されるもの」のシンプルな関係なのです。そのことは、絶滅した多くのサギたちが身をもって証明しています。(つづく)


Re: 狩猟の歴史  まつ@管理人   2010/01/24(Sun) 19:04   No.1353

このあと何回かにわたって、人がサギを捕まえ殺してきた理由を見ていこうと思います。まずは大昔からもっとも普遍的だったと思われる理由、それはもちろん食べることだったはずです。

サギ類は世界中の様々な文化圏で食べられてきました。現在でもサギを食べる国は数多くあります。たとえば、中国やインド、アフリカもそうですし、ヨーロッパの国々でも食べているところがあるようです。たぶんラテンアメリカや東南アジアも似たような状況でしょう。身近なところでいえば、お隣のサハリンでは市場に行けばアオサギが食用として売られているそうです。世界的に見ればおそらく食べない国のほうがずっと少数派なのだと思います。これは別の本にあったのですが、中国では卵やヒナを食べるために、あえてサギのコロニーを保護したりしています。

アオサギと食の話についてはこれまでも何度か書いたことがあり、以下のページに保存しています。興味のある方はご覧いただければと思います。
http://www.grey-heron.net/forum/07-shoku.html

ところで、一概にサギを食べるといっても必ずしも腹の足しにすることばかりが目的ではありません。たとえば、マダガスカルでは伝統的にサギの卵が美容に効果があると信じられており、その目的のためにサギ類が捕獲されてきたそうです。マダガスカルといえばアオサギに比較的近縁なマダガスカルサギが住んでいますが、こうした狩猟の結果、現在のマダガスカルサギの個体数は全体で5000羽にまで減少し、種としての存続がかなり危ぶまれる状況になっています。他に、ヒナの肝臓が薬になるというので殺されているインドのアマサギのような例もあります。美容にしても薬にしても本当にそのような効果があるのかきわめて疑わしいものですが、こういう話は信じないことよりも信じることのほうが簡単なのでしょうね。そして、いったんそうと信じられるとなかなか状況を覆せないのが悲しいところです。

ここで紹介している"The Herons"には書かれていませんが、逆に、サギ類を食べない、食べてはいけないという習慣もあります。そういうことを最も強力に規定できるものはといえば、もちろん宗教をおいて他にありません。たとえば、旧約聖書(レビ記11章と申命記14章)では何故かサギは不浄だと決めつけられており、食べてはいけないものとされています。もし、人類がみな原理主義的なキリスト教徒ばかりだったら、現世界のサギ類の生息状況はずいぶん違っていたかもしれません。でも考えてみれば、食べるなと言うだけで殺すなとは言ってないわけですから、却ってひどい状況になっていた可能性も大いにありますが。

脱線ついででに宗教の話をもう少し。バラモン教やヒンドゥー教が拠り所としている教義に「マヌ法典」があります。この法典によると、サギは「目を伏せ、性格が残酷で、自分の目的の成功しか頭になく、不誠実で、偽りの謙譲を示す」ものなのだそうです。もはや救いようがないほどに貶められています。ここまで言われると、文化的背景云々よりも、この法典をつくった人が過去にサギのことで何かとんでもなく嫌な経験をしたとか、個人的な背景を疑わざるを得なくなってきますね。

ともかく、人間のその時々の都合にサギが翻弄されているという図式は、今も昔も何ら変わらないということなのでしょう。(つづく)



Re: 狩猟の歴史  まつ@管理人   2010/02/05(Fri) 20:07   No.1366

「狩猟の歴史」の3回目です。前回の冒頭で、人がサギを狩猟する理由を何回かにわたって見ていきますと書きました。まずは食べるためというのが前回の話。今回取り上げるのは楽しみのための狩猟、いわゆるスポーツハンティングについてです。

スポーツハンティングというと銃による狩猟を真っ先に思い浮かべてしまいますが、それが全てではありません。銃が登場する以前は長い期間にわたって鷹狩りによる狩猟が行われていました。鷹狩りの起源となると、これはもうずいぶん大昔に遡らなくてはならなくて、たぶん人類に権力者が現れるのと同じぐらい古いものと思われます。つまり、権力者のステータスとしての鷹狩りですね。

この鷹狩りは洋の東西を問いません。日本でも古墳時代にはすでに行われていたようで、その後も天皇家、武家の間でひとつの文化として発展してきました。鷹狩りの獲物については私はよく知りませんが、江戸時代には鶴が別格扱いだったようで、将軍家が鷹狩りで捕らえた鶴を「御鷹之鶴」として朝廷に献上するのが習わしになっていたそうです。同様に藩主が鷹狩りで得た獲物を将軍へ貢ぐこともあったでしょう。もちろん、貢ぐだけでなく自分たちも食べていたはずです。前田利家などは鶴を食べすぎて腹をこわしたという逸話が残っているほどです。

当時、鷹狩りができるのは一部の権力者に限られていました。けれども、せっせせっせと狩っているうちに、当然のことながら鶴はほとんどいなくなってしまいます。そこで鶴の代わりに狩猟の対象となったのがサギだったわけです。

このような鷹狩り文化は獲物が存在しないことには成り立ちません。結局、鷹狩りを続けるためには獲物になる鳥が少なくならないように鳥やその生息地を保護する必要があります。海外においてもその事情は同じ。サギの場合は集団で営巣しますから、コロニーを自分の土地に所有していることが鷹狩りにはとても意味のあることだったようです。1700年代の前半と思いますが、ドイツではクライルスハイム男爵とアンスバッハ辺境伯との間でコロニーの所有権を巡ってアオサギ戦争(Heron War)が勃発しています。アオサギにしてみれば、自分たちのために戦争までしてくれて有り難いんだか迷惑なんだかよく分からなかったことでしょう。

人間の都合によるこうした外見上の「保護」がどのくらいサギのためになったかは分かりません。けれども、不特定多数の人間が何の制限もなくサギを狩猟した場合を考えると、少なくとも個体数が減少するスピードを遅らせることにはなったのではないでしょうか。そのことは、日本に将軍も大名もいなくなった明治前半、鳥獣猟が野放し状態になり多くの野生鳥獣が激減したことを思えば容易に想像できます。

ところで、鷹狩りが常に獲物の死を意味していたかというと必ずしもそうではなかったようです。これもドイツでの話。1700年代の初めと言いますから「アオサギ戦争」が起こったのと同時代です。この頃、ケルン選帝侯が、捕まえたアオサギに足環を付けて放鳥したという記録が残っています。しかも、この話で驚くのは1羽のサギを6度にわたって捕まえ放鳥していることです(6羽を捕まえたのではなく1羽を6度です)。この部分は簡単な記載しかないのでこれ以上のことは分からないのですが、この1羽だけを狙って6回も捕まえたということはちょっと考えにくいですから、相当な数のアオサギを捕まえて、たまたまこの1羽は6回も捕まったということだったのだと思います。よほど暢気なアオサギだったのでしょうか。

それはさておき、この話にはつづきがあります。この本(The Herons)には書かれていませんが、1700年代に出版された「ゴールドスミス動物誌」という本に興味深い話が載っています。ケルン選帝侯がドイツで放したアオサギが、長い時を経てオランダでやはり鷹狩りにより捕まえられたというのです。そして、そのアオサギの銀の足環に刻まれた文字は、なんと35年も前のものだったのです。長くて20歳ていどとされるアオサギの寿命にあって35年の長寿は俄には信じられません。しかし、これが6度捕まってなお生き延びたあのアオサギだったとすれば、もしかして、と思わざるを得ないのです。もはや神話の世界の話かもしれませんが…。(つづく)



Re: 狩猟の歴史  カラス   2010/02/06(Sat) 17:50   No.1367

狩猟の歴史を興味深く拝見しました。鷹が鶴や鷺を狩る場面は壮絶なものだと思います。
水辺に寝ていたカルガモをオオタカが襲って運び去った場面を目撃したことが有りますが、鷹狩りの場合は鶴や鷺は寝てはいない状態と思いますから、鷹も相当ダメージを負う激しい狩りを想像しました。

野生の鳥の寿命を知る事はなかなか難しいと思います。脚環の記録文字の他の手立ては少ないと想像します。野生の同一カラスの7年間の寿命をきいた事が有りますが、アオサギの35年というのが本当とすると桁はずれの長寿なのでしょう。普通は長くて20年程度ということも興味ある事です。
札幌近郊に毎冬、同じところに来て止まるオオワシがいて、それを4年間写真で記録して後から分かった事は畳んだ左の羽根の雨覆いという部分の白い小さな羽根の形が同じで、同じ個体と確信した事が有りました。その羽根の特徴も年毎に少しづつ形を変えて、4年目には確信が持てなくなった経験が有ります。


広島県福山市鞆の浦のアオサギ   投稿者:SiSiです。  投稿日:2010/01/30(Sat) 00:21   No.1356   
まつ@管理人さん、はじめまして。ししといいます。
先週、龍馬のいろは丸沈没地で脚光をあびている、鞆の浦で沢山のサギ達に出会いました。写真をペタンしておきます。
ここのサギ達は、人なつこく、エサを求めて、海岸の民家の庭まで上がってくるそうです。野生のサギは人になつくのでしょうか。そういえば、写真を側で撮っていても、驚いて逃げるそぶりがありません。



Re: 広島県福山市鞆の浦のアオサ...  まつ@管理人   2010/01/30(Sat) 11:23   No.1361

SiSiさん、はじめまして。
素晴らしい写真を5枚も貼っていただきありがとうございます。ただ、ここに5枚全部載せると写真展示が目的のサイトのようになってしまい当サイトの趣旨にそぐわなくなるので、まことに勝手ながら最初の1枚のみ残し他の4枚はリンクの形に変えさせていただきました。SiSiさんには大変申し訳ないのですがどうかご了承ください。

さて、野生のサギが人馴れするかというご質問ですね。これはSiSiさんが体験されたとおりだと思います。少なくともアオサギについては最近その傾向が強くなっているようです。ただし、どのアオサギも皆そうなのかというとそうではなく、地域によって彼らの行動は異なるようです。私の見聞きした範囲で言うと、関西圏を中心に西日本のアオサギは人馴れした個体が多く、北のほうに暮らすアオサギは本来の?警戒心を保持しているようです。私の住んでいる北海道では、アオサギが人からエサをもらうという状況はとても想像できません(一部でかなり危うい状況ですが)。また、同じ地域でも都市域に進出したアオサギは郊外のアオサギにくらべ警戒心が弱いようです。つまり、彼らは自分たちの住んでいる環境に合わせて行動を変化させているということなんですね。

この件に限らず、アオサギが環境に適応するという点でかなり能力の高い鳥であることは間違いありません。アオサギはこれからもどんどん変わっていくことでしょう。10年先、私たちがアオサギに対して抱くイメージは今とはまったく異なったものになっているかもしれません。

人馴れしたアオサギについてはこの掲示板でもこれまでたびたび話題に上がっています。その内容は次のページに保存してありますのでご覧いただければ幸いです。
  「人馴れするアオサギ」 ⇒ http://www.grey-heron.net/forum/59-hitonare.html



Re: 広島県福山市鞆の浦のアオサ...  SiSiです。   2010/01/30(Sat) 15:46   No.1362

写真のリンク形式の件、承知致しました。趣旨をよく理解せず沢山掲載し申し訳けありません。

 「人馴れするアオサギ」ご紹介ありがとうございます。読ませていただきました。人間とサギの距離感が地域によって異なるなんて考えてもみませんでした。警戒心といえば、鞆の浦で出会ったアオサギは、側にカラスが数羽いても別にお互いが無視しているし、猫をみても無視しているし、個体にもよるのでしょうか。
瀬戸内や中国山脈でアオサギをみかけたら、また貼らせていただきたいと思います。



Re: 広島県福山市鞆の浦のアオサ...  まつ@管理人   2010/01/30(Sat) 20:05   No.1363

SiSiさん、こんばんは。
私、大変申し訳ないことをしてしまいました。SiSiさんのお写真4枚をリンクしたつもりでいたのですが、先ほどクリックしてみたところ画像が表示されません。おそらくもとのファイルをあっちこっち移動しているうちに間違って消してしまったようです。それで、もしご面倒でなければ、最初にやっていただいたように、一枚ずつ添付していただけないでしょうか。せっかく手間をかけて貼っていただいたのに本当にすみません。これに懲りずにまた投稿してください。

ところで、アオサギの警戒心についてですが、カラスや猫くらいではびくともしませんよ。カラスが卵やヒナを狙いに来たというなら別ですが、大人のアオサギであればカラスは敵ではありません。猫にしてもアオサギに比べると小さいですし、キツネが横を通りすぎても平気な顔をしています。警戒心に個体差はもちろんあるでしょうけど、アオサギが本気になる相手は、日本では一部の猛禽とクマなどの大型ほ乳類ぐらいではないでしょうか。

ついでにもうひとつ、先ほど書き損ねたことを書いてみます。これは私のいい加減な推測に過ぎないので話半分に聞いてください。人馴れアオサギの地域差についてです。人に馴れたアオサギというのは留鳥が多いのではないかと思うのです。その地域のこともそこにいる人のことも十分に熟知した個体が徐々に人への警戒心を解いていったのではないかと。昔は同じ留鳥でもこうはならなかったはずです。人がアオサギに対して直接に害をなすことがほとんど無くなってはじめて起こりえた現象ではないでしょうか。一方、これが国外へ渡るアオサギだと話は別です。国外で越冬するアオサギは中国や東南アジアで人から逃げ回っているかもしれませんし、その同じサギが日本へ戻ってきて安易に人に近づくとはちょっと考えられないですから。

国内のアオサギの渡りについてはごくわずかなことしか解明されてないため、ここに書いたことは残念ながらすべて推測の域を出ません。警戒心の強いアオサギがすべて海外で越冬するわけでもないと思いますし、この話に何らかの信憑性があったとしても、それですべてが説明できるとは思っていません。ただ、一年を通して国内の同じところに留まるアオサギに人馴れサギが多いというのはそれほど間違った見方ではないとと思います。



Re: 広島県福山市鞆の浦のアオサ...  SiSiです。   2010/01/31(Sun) 13:21   No.1364   ホームページ

管理人様、こんにちは。先日貼り付けましたものを張っておきます。アオサギの警戒心のこと、丁寧に教えていただいたので大変よくわかりました。ありがとうございます。年中あたたかな瀬戸内のサギは’留鳥が多い’のかもしれませんね。

稚拙ながら(専門外なので)当方のサイトに鞆の浦で撮影した写真を何枚か掲載しておりますので、もしよければご覧いただければと思います。




Re: 広島県福山市鞆の浦のアオサ...  まつ@管理人   2010/01/31(Sun) 22:02   No.1365

ブログ、拝見しました。
波の穏やかなのんびりした瀬戸内の風景ですね。こんなところだと、近くに住んでいるお婆さんに「(サギが)土間まで上がってくるんよ」と言われても、「ああ、そうなん」と素直に応じられそうです。


幕別のコロニーについて   投稿者:ちょんぱぱ  投稿日:2010/01/11(Mon) 20:34   No.1349   ホームページ   
まつ@管理人さん、はじめまして。

幕別町にあったコロニー放棄の原因を調べていてここに辿り着きました。

「北海道のアオサギコロニー一覧表」では現存していることになっていますが、幕別町の「あおさぎ公園」近くのコロニーは2006年を最後に放棄されたようで、2007年3月から4月にかけて数回確認に行きましたが営巣はされていませんでした。

養魚場の食害への駆除の影響なのか、別の要因があったのか判らないのですが、その後帯広市の水公園の個体が増えていますので、一部は移ったのかもしれません。

ご報告まで。


Re: 幕別のコロニーについて  まつ@管理人   2010/01/11(Mon) 21:15   No.1350

ちょんぱぱさん、はじめまして。
せっかくお越しいただいたのに正確な情報が提供できなくて申し訳ありません。幕別のコロニーが放棄されたのは私も知っていたのですが、一覧表を直すのをすっかりさぼっていました。自分の中ではけっこう大事件だったので、そのぐらいはきちんと修正したつもりでいたのですが…。

写真は去年2月に訪れた幕別コロニーです。ここの巣はしっかりつくられていたのが多かったせいか、あるいは雪が少ないせいか、放棄後も比較的原型が保たれている巣が多いように思います。巣がいつまでも残っているだけに、ゴーストタウンのようで却って寂しいですね。「あおさぎ公園」までつくったというのに。

放棄の理由は私もよく分かりません。ただ、その後のアオサギの行方については多少の情報はあるので、当時調べたものをもう一度見直してみます。一覧表のことも含め数日中には何らかの情報を提供できると思いますので、もうしばらくお待ちください。




Re: 幕別のコロニーについて  まつ@管理人   2010/01/14(Thu) 00:08   No.1351

遅くなりましたが、一覧表を直しておきました。また何か事実と異なる箇所がありましたらご報告いただければ幸いです。

さて、幕別にいたサギたちのその後の行方です。これは残念ながら私も把握できていませんでした。2006年を最後に放棄されたというのは、当時のちょんぱぱさんのブログをはじめいくつか情報を得て私も知っていたのですが、別の場所にコロニーを移動したという話は聞いていませんでした。ちょんぱぱさんがおっしゃるように、幕別のサギの一部が水光園のほうに合流した可能性は十分あると思います。ただ、幕別と水光園のコロニーの大きさを考えると、水光園のほうに全てが移ったとは考えにくく、多くのサギは水光園以外の場所に移動したのではないかと思います。
面白いことに、ちょうどその頃に十勝の別の場所に新たなコロニーが見つかっているのです。新たなコロニーというのは浦幌町のトイトッキにできたもので、これはちょんぱぱさんもすでにご存知かもしれません。このコロニーのことは下記ブログを読んで知り、ブログを書かれている千島さんから直接コロニーの詳細を教えていただいた次第です。
「鳥キチ日記」 ⇒ http://nemu.no-blog.jp/torikichinikki/2007/03/post_18e7.html
千島さんによると、トイトッキのコロニーができたのは2006年からのようで、その年は20〜30つがい程度の営巣を確認されたようです。2007年はさらに増えたようで、50巣は下らないのではないかと推測されています。
幕別とトイトッキのコロニーは距離がかなり離れているので、幕別が放棄されたこととトイトッキに新たなコロニーができたことが実際に関連があるかどうかは分かりません。ただ、似たような事例で、野幌を放棄した100羽、200羽というアオサギが、幕別とトイトッキと同じぐらいの距離がある苫小牧市植苗のコロニーに合流したということもあります。幕別とトイトッキは多少離れていてもどちらも十勝川流域のコロニーですから、移動があったとしても不思議ではない気がします。もちろん、もっと近場に新たなコロニーができている可能性も捨て切れませんが。

それと、もうひとつは放棄の原因ですね。これは千島さんのブログにもあるように、カメラマンかもしれませんしアライグマかもしれません。このコロニーはとても目立つところにあっただけに、巣のすぐそばまで行って撮影する非常識なカメラマンもいたように聞いています。あるいは全く想像もしないような原因が他にあったのかもしれません。ただ、養魚場での駆除の影響はほとんど無いと思います。あの養魚場は毎年駆除申請はしているものの、実施に駆除できているのは数羽ていどのはずです。その程度ではコロニーはびくともしないでしょう。

写真は、言わずと知れた「あおさぎ公園」の看板です。コロニーがあったのは後ろに見えている山の斜面ですね。




Re: 幕別のコロニーについて  ちょんぱぱ   2010/01/25(Mon) 22:51   No.1354   ホームページ

 まつ@管理人さん、反応が遅くなりましたが一覧表の修正ありがとうございます。
 千嶋さん個人も「鳥キチ日記」も良く知っていますが、恥かしながら浦幌の農耕地帯にできたコロニーがトイトッキというのは知りませんでした。
 トイトッキはマガン、ヒシクイが飛来する時期には良く訪れていますが、アオサギには気付いていませんでした。
 春になって、営巣のために枝を運ぶアオサギに出会えることを楽しみにしています。



Re: 幕別のコロニーについて  まつ@管理人   2010/01/25(Mon) 23:57   No.1355

ちょんぱぱさん、こんばんは。
一覧表のほう(地図もですが)ははまだまだ手入れが必要でして、常時、正確な情報をお伝えするというところまではなかなか至りません。一覧表に載せてあるコロニーもひととおりは自分の目で確認してきましたが、さすがにそれを毎年やるというわけにもいかず、その後のコロニーの動向については皆さんからの情報に多くを頼っているのが実情です。そんなわけですので、皆さんからの観察情報はとてもありがたく、いろいろと参考にさせていただいてます。

十勝のアオサギは浦幌が消滅したあたりからかなり短いサイクルでコロニーを変えている気配があり、道内に限って言えば、個体群動態が現在もっとも不安定な地域ではないかと感じています。この先、どういう状況になって落ち着くのでしょうね。そちらで変わったことなどありましたら、またぜひご報告ください。


おめでとうございます。   投稿者:まつ@管理人  投稿日:2010/01/01(Fri) 11:15   No.1346   
皆様、あけましておめでとうございます。
札幌の新年は、大荒れの予報とは裏腹に穏やかな青空で明けました。

さて、折角のおめでたい正月ですからまずは楽しい話題を。ご紹介するのはアオサギのことを調べていて出会ったブログです。これはもうアオサギが気になる人にとっては必見でしょう。何が素晴らしいといって、ブログの隅々までアオサギへの愛が満ち溢れている、これに尽きます。それでいて、写真も美しいし、ちょっとしたところにただならぬセンスが感じられます。下のURLは、この方、ぴゆさんのブログのうちアオサギの記事だけが抜粋されているものです。全部で8ページあります。
http://blogs.dion.ne.jp/piyu_kyu/archives/cat_167688-1.html

ぴゆさんのもともとのブログはこちら。
http://blogs.dion.ne.jp/piyu_kyu/
右上にプロフィールの写真がありますが、ご覧のとおりアオサギとゴイサギです。これがまた、ご自分で陶器でつくられたと言うのですから敬服するしかありません。

ぴゆさんのような方がいらっしゃるとアオサギの未来も限りなく明るいものに感じられます。
今年が皆様にとってもアオサギにとっても良い一年になりますように。


Re: おめでとうございます。  カラス   2010/01/01(Fri) 20:22   No.1347

あけましておめでとうございます。
まつ@管理人さんに感心してしまう事の一つに、国内国外に散らばるアオサギに関する情報収集能力があります。
今回もぴゆさんの世界を紹介して下さって、楽しませていただきました。ありがとうございます。



Re: おめでとうございます。  まつ@管理人   2010/01/02(Sat) 06:42   No.1348

カラスさん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
情報収集については、これは私の能力ではなく明らかにネットの能力ですね。


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