アオサギを議論するページ

4月1日の嘘

4月1日の嘘

2015/04/01(Wed) 09:00      まつ@管理人      特別なアオサギ

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

4月を迎えここ北海道のアオサギの営巣活動もいよいよ本格化してきました。今は彼らがもっとも美しく見える時期ですね。くちばしや脚、虹彩が鮮やかな婚姻色に染まり、繁殖羽や冠羽もきれいに伸びています。そして、今はとかく変わり者のアオサギに出会うことの多い季節でもあります。

何年前でしたか、当サイトで青灰色の瞳をもつアオサギを紹介したことがあります。あれはスイスで1羽だけ確認された特殊事例でしたが、繁殖初期に特異的に発現する変異現象のひとつということで説明されていました。いわゆる、一般に婚姻色や繁殖羽として現れるこの時期特有の変化が別の様態で現れたものと解釈されているわけです。こうした変異は他にもいくつか観察されていて、側頭から冠羽にかけての黒い羽毛が鮮やかな青紫色に変色した例や、背中の繁殖羽(白い蓑毛部分)がことごとくカールした例などが知られています。また、観察例はごく僅かながら、猫のような声(どちらかというとウミネコに近い)で鳴いたり、瞬間的に背面飛行したりといった奇妙な行動が観察されているのもこの時期です。なお、このような特殊事例の観察報告はロシア鳥学会の”Ложние Птицы”という学会誌がよく取り上げていますので、アオサギに限らず例外的な形態や行動に興味のある方はぜひ一度検索してみてください。本文はロシア語ですがGoogleなどの翻訳を通せばおおよそのことは分かるかと思います。

DSというわけで、この時期には何かと変わったサギがいるので目が離せません。そしてつい先日、私もその仲間入りができるのではないかと思われるサギを目撃しました。それが写真のアオサギです。いかがでしょう? 冠羽がここまで派手なアオサギはなかなかいないと思います。アオサギは警戒したり相手を威嚇したりする時など羽毛を逆立てることがあって、これは冠羽も例外ではありません。写真の場面も隣のペアと小競り合いしていた時にたまたま撮したものです。ただ、アオサギの冠羽というのは本来見せびらかすようなものではなく、2本か3本が控えめに付いているのが普通です。ところが、このアオサギには長く伸びたものだけでもちょうど10本もあります。カンムリヅルあたりに憧れて育ったのかどうか知りませんが、これはちょっとやりすぎという感じはしますね。相手を威嚇するとき多少の虚仮威しにはなるかもしれませんけど。

44777ところでこの写真、ただ珍しいというだけではなさそうなのです。話は古代エジプトに飛びます。右の絵は当時の『死者の書』(死者が楽園に行くための案内書のようなもの。死者とともに棺の中に収められている)に描かれたベヌウの挿絵です。ベヌウについては当サイトでも過去に何度か紹介していますが、エジプト神話にたびたび登場する聖鳥で、ラーやオシリスといった神々の化身のような存在です。このベヌウは絵を見て分かるとおりアオサギがモデルとされています。左が本来のベヌウでアオサギのように冠羽が2本あります。この2本というのは数として決まっていてベヌウが描かれるときは必ず2本です。ついでに言えば、ヒエログリフ(象形文字)に描かれるときも2本です。ところが、右のように多数の冠羽をもつベヌウが描かれる場面がたった一箇所だけあるのですね。これは同書第84章に描かれた挿絵で、この章には死者が「至高の」ベヌウに変身するための呪文が記されています。ちなみに左のほうはそのひとつ前の第83章、普通のベヌウに変身する場合の呪文の挿絵です。要するに、冠羽の多さで貴さのランク付けをしているわけです。

この「至高の」ベヌウについてざっと調べたところ、一般的に受け入れられている説は、余分の冠羽はベヌウと「至高の」ベヌウを単に視覚的に区分するための脚色に過ぎないというものでした。また、メンフィス大学で動物神を専門に研究しているマフムード・ケアルブ・ケルザーブさんのように、モデルはアオサギではなく、紀元前2000年頃に絶滅したArdea gigant(英名:Giant Heron、翼開長は2.3mでアオサギより二回りほど大きい)ではないかと考えている人たちもいます。ただ、この説は冠羽が化石として残っていないため残念ながら憶測の域を出ません。ともかく、いずれの説も実物のアオサギには数本の冠羽しかないという前提がもとになっているわけです。しかし、その前提は見事に崩れ去りました。こうなった以上、エジプト考古学会も考えを改めざるを得ないでしょう。

つまり、「至高の」ベヌウは神話上の存在ですが、そのモデルはリアルな世界に実在するということです。もちろん、そんなアオサギにはよほどのことがない限りお目にかかれるものではないでしょう。それでも、この時期のコロニーであればそのチャンスがまったく無いとは言い切れません。アオサギが隣どうしで威嚇し合っているとき、あるいはワシなどの不意の襲来に警戒したとき、何かの拍子に冠羽を逆立てる場面は必ずあります。そしてその瞬間、そこに華やかに冠羽を広げたアオサギがいる、その可能性は決してゼロではありません。もしそんな特別なアオサギに巡り会えたなら、それはきっと何かとんでもなく素晴らしいことの予兆です。そう、今日が四月最初の特別な日でなければ!

2014/04/01(Tue) 01:00      まつ@管理人      鳴き真似するサギたち

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

今年もアオサギの子育ての季節がやって来ました。ここ北海道は渡りの真っ最中。早く到着したサギたちの中にはすでに卵を抱いているところもあるようです。ところで、この時期に子育てを始めるのはアオサギばかりではありません。当サイトで何度か紹介したことのあるニューヨークのオオアオサギも少し前から雄が巣に出入りしはじめています。その様子についてはコーネル大学のライブ映像プロジェクトが詳しく伝えていますので興味のある方は御覧になって下さい。営巣状況はコーネル大学のツイッターでも随時報告されています。ただし、ライブ映像のほうはまだ空っぽの巣しか映っていないかもしれません。

DSCN0223さて、つい数日前のことですが、このプロジェクトメンバーの一人からアオサギの声について教えてほしいとのメールを受け取りました。具体的には、アオサギが他の鳥や動物の鳴き声を真似ることがあるかという質問です。彼によると、ライブ映像のデータを整理していたところ、オオアオサギがナキハクチョウやカナダガンの鳴き真似をしているところが録音されていたというのです。じつは、このことは先に紹介した大学のツイッターのほうでは1週間ほど前から話題になっていました。オオアオサギでそうなら近縁のアオサギでも同様の事例があるのではというので私に質問が回ってきたわけです。

これは本当にわくわくする話です。というのも、当サイトの「アオサギの声」のページで紹介しているように、アオサギでもニワトリやブタの声を真似たかと思われるような鳴き声を確認しているからです。以下に上記ページからその2種類の声のみ抜粋して載せておきます。

【ニワトリのような声】 【ブタのような声】

これらの声は営巣中のアオサギのものですが、このコロニーの周辺には数軒の養豚場があり、ブタはもちろん、ニワトリの声もしょっちゅう聞こえてくるようなところなのです。一方、ニューヨークのオオアオサギのほうは、ライブ映像にあるように巣の真下は広い池で、雪解けからしばらくの間はハクチョウやガンの声でずいぶん賑やかになります。つまり、暮らしている環境で普段耳にする声を真似ているということですね。サギの声といっても、例のギャーとかグワッとかいった声ばかりではないのです。アオサギを悪声と非難する人たちもこれで少しは考えを改めるのではないでしょうか。

そもそも、アオサギ、オオアオサギをはじめとしたアオサギ属の鳥は、学習能力の点ではカラス類に匹敵するかもしくはそれ以上だと主張する研究者もいるくらいですから、このぐらいのことは出来て当たり前なのかもしれません。アオサギの場合、声帯の制約があって発声できないだけで、もしオウムのように自由に声を操ることができるのなら、彼らも案外、人の言葉をしゃべれるのかもしれません。

まあ、そこまでは無いとしても、アオサギ属が鳥獣の声を模倣する習性をもつのはまず間違いないと思います。じつはアオサギのボーカルコミュニケーションについては私も以前から興味をもって調べており、文献調査でそうした習性をもつサギが少なくとも1種、過去に存在した形跡を確認しています。このサギは中国東北部から朝鮮半島にかけて生息した Ardea grandis という名のサギで、その学名のとおりかなり大型だったようです。ただ、たいへん残念なことに9世紀前後に絶滅し、現在は標本も残っておらず、古い文献の中にその面影を残すのみとなっています。大きさについては唐代に編纂された『新修本草』にタンチョウと同大かやや大と書かれていますから、現存する最大のサギ類であるオニアオサギ(全長150センチ)と同じくらいのサイズだったのでしょう。このサギ、その大きさもさることながら、やはり何と言っても特徴は他の鳥の鳴き真似ができたこと。先の本草書では、中でもタンチョウの鳴き真似がもっとも似ていると評されています。

タンチョウの鳴き真似については、当時、大陸に渡った日本人も見聞しています。以下の歌は『万葉集』巻十七に載せられているもので、小野朝臣宇曽麻呂という人が新羅に遣わされた折に詠んだとされています。

新羅野の樺の古枝にたづ待つと居りしおほさぎまねび鳴くかも

「たづ」というのは古語で鶴の意、「おほさぎ」というのが上記 Ardea grandis のことです。『新修本草』ではこのサギを「巨鷺」と呼んでいますから、「おほさぎ」は「巨鷺」をそのまま訓読みしたものと思われます。ツルほどもある大きなサギが樹上にとまっている光景は信じがたいものですが、そこでタンチョウの鳴き真似をしているというのはユーモアを通り越してどこかもの悲しくもありますね。もっとも、そうした哀感はこの巨大でちょっとユーモラスなサギがすでにこの世に存在しないことと無縁ではないかもしれません。

ところで、このサギの生息域は上述したように大陸であって日本に飛来することはほとんどなかったようです。ただ、迷鳥として飛来することがどうやらごく稀にはあったようですね。『摂津国風土記』に以下の一文があります。

郡(こほり)の北に山あり。法羅(ほら)の天皇(すめらみこ)、此の山にみ狩したまひし時、大きなる鷺、み前にいで立ち、雜(くさぐさ)の鳥、獣の聲をまねびき。天皇(すめらみこ)、ここに大(いた)く恠異(あや)しと懐(おも)ひて、放免(ゆる)して斬らざりき。故(かれ)、巨鷺(おほさき)山といふ。

説明するまでもなく書かれたとおりの意味です。こんな鳥が目の前に現れたら天皇でなくても怪しいと思うでしょう。普段、サギと言えばシラサギかアオサギかというところに、見たこともないツルほどもあるサギが現れて、しかもいきなりさまざまな鳥や動物の声で鳴き始めるのですから驚かないほうが不思議です。アオサギは後の世で妖怪扱いされたりもしましたが、その元凶はもしかしたらこのへんにあるのかもしれません。なお、巨鷺山というのは現在の六甲山のあたりとされています。ついでに言えば、この巨鷺(おほさき)が大阪の名の由来となったとする説もあるようです。

思いがけず話があちこちに飛んでしまいました。結局のところ、ニューヨークのオオアオサギがハクチョウやガンの鳴き真似をするのは、こんな背景を知っていると大騒ぎするほどのことではないとも言えます。ただ、そうは言っても、ギャッとかゴワッとかいう声だけでなく鳴き真似の声もぜひ聞いてみたいですよね。その辺はサービス精神旺盛なコーネル大学のこと、きちんとネット上で視聴できるようになっています。このページ、昨日まではナキハクチョウとカナダガン、それに私が提供したニワトリとブタの4種類の声だけだったのですが、いま見てみると、オランダの動物園で飼育されているアオサギの声が追加されていました。このアオサギ、どうやら百獣の王になったつもりのようです。これはまたそうとうなインパクト! 必見です。 ⇒ 「Funny Voices of Herons

2013/04/01(Mon) 12:49      まつ@管理人      サギの光

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

北海道のアオサギは、いま一番美しい時期を迎えています。くちばしや脚は鮮やかな朱色やオレンジに、目先の部分は紫やすみれ色に染まります。顔をアップで見ると、その配色の派手派手しさに本当に日本の鳥なのかと疑ってしまうほどです。

ところで、これは婚姻色といってよく知られている現象ですが、一般にはそれほど知られていない形態的な特徴として粉綿羽というのがあります。これはサギ類など少数のグループだけに知られているもので、胸部などにあるぼろぼろと崩れやすい一群の羽毛のことを指します。このパウダー状のものをくちばしで身体に塗りつけることで、汚れを落としたり防水効果を高めたりできるわけです。

さらに面白いのは、この粉綿羽が暗いところでは微弱な燐光を発すること。まれに真っ暗なところでアオサギが白っぽく光って見えることがありますが、この光は身体に散布された粉綿羽によるものです。いわゆる、英語でいうところの”gleaming heron(光るサギ)”という現象ですね。この現象については、私もここで説明できるほどの知識は持ち合わせていませんが、この粉綿羽にルシフェリンという物質が多く含まれていることが原因とされています。ルシフェリンはホタルが発光するもとにもなっている物質で、酸化されることにより光を発します。もっとも、アオサギの粉綿羽はホタルのようには強く光りません。よほど条件が揃った上で、そう思って見てはじめて分かるていどです。ただ、現象としてはホタルの光と同じと考えて間違いありません。

ところが、この「光るサギ」、昔はもっとはっきりと光っていたようなのです。その原因は彼らが餌とする魚に求めることができます。粉綿羽へのルシフェリンの蓄積量は、アオサギが摂取する魚の種類によって変わってきます。これが海水魚(とくに青魚)と淡水魚では桁違いに異なり、海水魚のルシフェリン濃度のほうが圧倒的に高いのです。ご存知のように、現在、国内のアオサギは、餌場のほとんどを河川や湖沼、水田といった内水に依存しています。このため、海産魚に含まれる高濃度のルシフェリンを摂取する機会があまり無く、現在の私たちが光るアオサギを目にすることはまずありません。一方、少なくとも昭和初期までのアオサギは海岸近くに営巣し、もっぱら海の魚を食べていたことが知られています。当然、彼らは光っていたはずです。

IMG_0769江戸時代の絵師、鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』に「青鷺火」という妖怪(右の写真)を描いていますが、これなどまさにルシフェリンによる発光現象を示したものに他ならないでしょう。もちろん、当時はこうした知識があるはずもなく、夜になって妖しく光る鳥がいれば、妖怪以外に説明のしようが無かったのでしょうね。こうした現象は明治期になってからも記録があり、たとえば、かの南方熊楠も『南方随筆』の中で、夜間、アオサギが光りを発しながら飛び回る様子を克明に描写しています。

不思議なのは、なぜ彼らがその後、海の魚を食べなくなったのか、その生息域を海岸から内陸にシフトしてきたのかということです。以下は私の推論で恐縮ですが、ひとつには人が夜を明るくしてしまったのが原因ではないかと考えています。アオサギが妖怪だった江戸時代を含め、かつて日本の夜は真っ暗でした。それは海岸であろうと内陸であろうと同じです。一方、アオサギは子育てに忙しくなると、多量の餌をヒナに運んでくるため、夜間でもコロニーと餌場を行き来しなければなりません。これが真っ暗だと不都合極まりないのですが、幸いにも海の魚を食べている彼らは自ら光ることができるため、コロニーは夜でもうすぼんやりと明るく、容易に位置を特定できたと思われます。ところが、やがて人の生活習慣は変わり、夜でも巷に灯をともしはじめるようになります。こうなると、人の点した灯りがサギたちの光の代用となり、自ら光らなくても夜間の行動に不自由がなくなります。つまり、海産魚依存の食性から解き放たれ、内陸の淡水魚やカエルだけで問題なく暮らしていけるようになったのではないかと思うのです。もしこの推論が正しければ、人間が夜を奪ったことで妖怪がいなくなった実例のひとつと言えるかもしれません。

ところで、江戸時代に邪険にされていたアオサギも、ずっと時を遡って上代の頃には、まったく違う見られ方をされていたようです。奈良時代に編纂された『佐渡國風土記』に次のような一文があります(ただし、『佐渡國風土記』そのものは現存しないため、以下は鎌倉時代に編まれた辞書『塵袋』からの引用)。

佐渡の國の記に云はく、浪濱郡、鷺の浦に、方一町ばかりなる鷺山あり。日暮るれば、これ乃(すなわ)ち光る也。色青く焔なしと雖(いえど)も、其の明きこと漁火の如し。歳毎の春、村里の士(をとこ)女、酒を携へ琴を抱きて、手を携へ登り望(みさ)け、酒飲み歌ひ舞ひて、曲(うた)尽きて帰る。凡(すべ)て、鷺山の貴く奇しきこと、神世の時のみにてはあらず。仍(よ)りて鷺の浦と號(なづ)く。

一町四方の鷺山ということですから相当大きなコロニーですね。この鷺山を慕って、毎春、その下で人々が宴を催したということです。今で言えば、夜桜の代わりにコロニーを愛でたということでしょうか。ぼうっと青白く光るコロニーの下で人々がさんざめく。人とアオサギのなんという素晴らしい関わり方でしょう。万葉の人々の大らかな息遣いが今にも聞こえてきそうです。

昨今、どこもかしこも夜が明るくなって、アオサギにかつての面影が見られなくなったのは返す返すも残念です。ただ、内陸に水域をほとんどもたない島嶼部では、もっぱら海の魚が餌となるため、今日でも光るサギがわずかに残っています。たとえば、モーリタニアやモロッコ沿岸の島嶼部。ここには今も”gleaming heron”の名に恥じぬサギたちがごく少数ながら生息していて、ヨーロッパのバーダーたちの間で人気のバーディングスポットになっています。とくに、この地域のアオサギは、その餌(モーモロというエビ)にルシフェリンの異性体で発光力の強いセレンテラジンが多量に含まれているため、闇夜でなくても光っているのがはっきり見えるということです。

一方、日本でもそういった場所が皆無ではありません。小笠原諸島の兄島ではごく最近まで光るアオサギの小規模な個体群が残っていました。その個体群が、今から20数年前に兄島に空港が建設されるというので、存続が危ぶまれたことがありました。空港の計画は後に無くなりましたが、当時、自然保護の観点から全国的にかなり大きく取り上げられたニュースでしたから、そのとき話題になった光るサギについてもご記憶の方は多いのではないでしょうか。私はその前後に小笠原を訪ねたことがあり、兄島のコロニーにも立ち寄ってきました。当時、兄島のアオサギは7つがいにまで減っており(後にコロニーは消滅)、おまけに満月に近い夜だったこともあって、期待したアオサギは思ったほどの光りようではありませんでした。ただ、その光の中に冷たさだけでなく確かな暖かみを感じたことだけは鮮明に記憶しています。やはり、人工物の光と生き物が発する光には、自分が生き物であるからこそ感じられる何か決定的な違いがあるのです。

そのとき撮影した古い映像がありますので、興味のある方は御覧いただければと思います。後半に写っているのは、父島のお土産屋さんで売っていた「光鷺まんじゅう」です。なお、画質が悪いため、人によってはまったく別のものに見えるかもしれません。
⇒ 兄島のアオサギの映像

2012/04/01(Sun) 14:35      まつ@管理人      神々の王

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

あっという間にもう四月。この春は本州方面の天候がぱっとしなかったせいか、アオサギの渡りもだいぶん遅れているようですね。それでももう四月ですから、まだのんびり構えているサギたちもそろそろ本気になってくる頃でしょう。

さて、話変わって、今回は久々に古代エジプトのべヌウについて書いてみたいと思います。ベヌウは当サイトでも何度も取り上げたことがありますが、アオサギがモチーフになった古代エジプトの聖鳥です。左の写真の赤枠で囲んだ部分が、ヒエログリフで書かれたベヌウという文字。そして、枠の中の右端に描かれた、膝を立てて座っている人の絵によって、ベヌウがただの鳥でなく神であることが示されています。

ところで、この写真で紹介した文章は『死者の書』にあるものですが、大英博物館のエジプト学者であるヴォリス・バッジョが英訳したものを、拙いながら和訳してみました。だいたい以下のようなことが書かれています。

「我は原初の丘より飛びいでしものなり。我はケペラのごとく来たれり。我は植物の如く芽を吹きたり。我は亀の如く甲羅の中に隠れたり。我の名はベヌウ。全ての神々の王なり。」

どうでしょう。ベヌウというのはじつはただの鳥でないどころか、ただの神ですらなく、神々の王、最高神だったのですね。エジプトで有名な神といえば、ラーとかオシリスとかがまず思いつきますけど、そうした神々が擡頭してくる以前はベヌウこそが神々の王だったのです。それもそのはずで、エジプト中王国の初期の頃は、ベヌウはもとよりアオサギが最高度に崇拝されていたことが、死者の書だけでなく様々な文書によって明らかにされています。サギの一声で、人々はおろか、神々までもが皆ひれ伏していたのです。

たとえば、紀元前5世紀にギリシャ、ケファロニア島のアッゲロスが書いたと言われているエジプトの旅行記。その本に、彼がヘリオポリスの神官から聞いた話として次のような文が収められています。

「千五百年前(訳注:今から4000年前)頃までは、人々に最も崇められていた動物はアオサギで、コロニーの近くには必ず立派な祭壇が設けられていたという。(中略)そして、ひとたびアオサギのコロニーが放棄されると、人々はアオサギのためにペルセアの木を組み合わせて壮大なピラミッドをつくったという。」(小松修著『古代エジプト人の動物観』より)

いま考えればとんでもなく滑稽に思えるかもしれませんが、当時の人々にとってはアオサギは自分たちよりはるかに多くの能力をもち、畏敬するのが当たり前の存在だったのでしょう。人間など飛ぶ能力さえ無いのですからね。そんな謙虚だった人間がいつのまにかどうでもいいような仮初めの技術やくだらない思想を身につけ、自分たちだけが他の動物たちとは違う高級な次元にでも住んでいるかのように思い上がってしまった、そのなれの果てが現在の私たちなわけですね。

4000年前に木でつくられたピラミッドは、残念ながら現在ではそのかけらさえ残っていません。乾燥したエジプトの気候とはいえ、材質が木では4000年の歳月はさすがに長すぎました。ただ幸いなことに、カルナック神殿に残された壁画から、私たちはその壮麗な建築の一端を伺い知ることができます。大英博物館のサイトに写真があるので紹介しておきますね。ピラミッドの先端にとまっているのは、もちろんアオサギです。 ⇒ アオサギピラミッドの写真

2011/04/01(Fri) 01:11      まつ@管理人      こんなアオサギ見たことない!

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

ずいぶん暖かくなりましたね。3月最後の1週間は一年でもっとも劇的に季節が変わるような気がします。そして、今日からはもう4月。すでに抱卵に入っているアオサギも多いのではないでしょうか。

さて、しばらく前からお知らせ欄に掲載していた「こんなアオサギ見たことない!」のコーナー。これが予想外に反響が大きく、全国各地から多くのアオサギの写真を送っていただきました。あらためて御礼申し上げます。写真がかなりの量(32枚)になりましたので、3月いっぱいでこのコーナーはひとまず終了することにします。皆さんの写真はきちんと整理した上で近日中に専用のページでご紹介するつもりです。お楽しみに。

ところで、今回は海外からも写真を提供してくださった方が何人もいらっしゃいました。たぶん当サイトを翻訳機能で自国語に直したのでしょうね。そこまでしてわざわざ読んでくれるとはありがたいことです。せっかくなので、そのうちのおふたりの写真をここで紹介したいと思います。いずれもかなり珍しく貴重な写真です。

まずはアイスランドから。アンナ・グズムンズドッティルさんの撮ったアオサギです。これは顔そのものが変なわけではありません。どのアオサギでもこのアングルで向き合えばだいたいこんな顔になるのです。変わっているのは瞳の色。本来、真っ黒なはずの瞳が、このアオサギでは青みがかった灰色になっています。じつはこれ、30年ほど前から知られていることで、アイスランドのある地域では普通のことなのです。

アンナさんによると、これを撮影したのはアイスランド西部、ヴォトロックル間欠泉の近くということです。青い目のアオサギたちの唯一の生息地として知られているところで、全世界でこの一角にのみ200羽ほどが確認されています。ただ、目の色は変わっても種が違うわけではないのですね。そればかりか亜種のレベルでも違わないのです。地理的に隔離されているわけでもなく、彼らは繁殖期には他の黒い目のアオサギと一緒に繁殖活動を行います。つまり、目の色以外は全て同じ。ただ、もうひとつ決定的に違うことがあります。

普通、アイスランドで繁殖したアオサギは秋になるとイギリス方面に渡ります。ところが、この小さな個体群は他のアオサギが去った後も冬じゅうアイスランドに留まるのです。アイスランドといえばその一部が北極圏にかかるほど北方にある国ですが、どうも間欠泉の周囲一帯は地熱で温められており越冬することが可能なようなのです。それにしても、目の色の違いで渡るか留まるかがはっきり分かれるというのもおかしな話です。普通に考えれば、目の色と渡りの行動との間には関連があるとも思えず、青い目のサギが渡ったり黒い目のサギが越冬したりしても良いはず。しかし現実はそうはなりません。

じつはこれについては遺伝学の分野でかなり研究が進んでいて、現在ではそのメカニズムがほぼ解明されています。詳しい内容については分かりかねますが、大雑把に言うと、目の色を決定する遺伝子と、渡りの衝動を促すホルモンをつくる遺伝子が染色体の極めて近い位置にあるため、染色体の交叉時にこれらの遺伝子が離れ離れになることがほとんどないということのようです。つまり、青い目と越冬するという表現型は常にワンセットということですね。

なお、青い目の形質は劣性遺伝のため、つがいが両方とも青い目でなければ青い目の子供は生まれません。越冬のほうも同じく劣性遺伝で、越冬個体どうしのペアでなければ越冬個体は生まれません。ただ、染色体の交叉時に両遺伝子が分離することが全く無いわけではなく、ごくまれに青い目のアオサギが渡りの群れに混じることもあるようです。ところが、イギリスで青い目のアオサギを目撃したという報告は未だかつて無いのです。おそらく南方の強い陽射しのもとでは色素の薄い瞳は致命的なのでしょう。

次はスイスから送っていただいた写真。ディディエ・ブランシャールさんのアオサギです。何と言えばいいのか、こんなアオサギは初めて見ました。頭の黒いラインがなくなるだけでこんなにイメージが変わるものなのですね。ディディエさんもここまで真っ白な頭のアオサギは初めてだったそうで、地元の新聞に写真が載った際にはかなり話題になったといいます。これだけインパクトがあれば、地元と言わず全国紙でも注目を集めそうですね。

ところでこのアオサギ、突然変異ではありません。もともとはありふれた風貌のアオサギだったはずなのです。つまり、いつの頃からかだんだん白くなったというのが真相。つまり、人間で言えば白髪になるようなものですね。ただ、そうとう長生きしなければこうはならないので、十数年生きれば長寿という野生のアオサギではまずお目にかかることはありません。

この白髪(形態学的には頭部白化と言うそうです)については滅多にあることでないのでほとんど研究されていませんが、唯一、ロンドン動物園で飼育下のアオサギを対象にした報告があります。そのアオサギは1965年、翼を負傷したところを保護されデイブと名づけられた雄の幼鳥で、以来、22年間、一度も動物園から出ることなくその長寿を全うしています。そして素晴らしいのは、デイブのほぼ全生涯にわたる形態上の変化が克明に記録されたこと。こういうところはイギリスらしいというか流石です。

その報告によると、デイブの頭部はおおよそ16、7歳の頃から次第に灰色っぽくなり、20歳前後でほぼ真っ白になったということです。ということは、写真のアオサギも少なくとも20年は自然界で生きているということになりますね。そう思って見ると、なんだか仙人のようにも見えてきます。それに、この歳になってもまだ鮮やかな婚姻色を呈しているところなど、野生の逞しさを感じるというか、まったく天晴れというほかありません。

ところで、ヴィヴィエさんによれば、このアオサギのいたレマン湖近くのシャテル・サン・ヴィーゴという村では、白頭のアオサギをテト・ブランシュ(フランス語で白い頭、そのままですね)と呼んで崇拝する風習が今も残っているということです。なんでも、白頭のアオサギを見た人は長寿を授かるのだとか。スイスに行かれる方はぜひ探してみて下さいね。

このおふた方の写真は今回とくに珍しかったので、一緒に添付されていた他の写真と合わせてギャラリー風のページを特別につくってみました。ここまで読んでもまだ寛容であられる方は是非ご覧いただければと思います。
アンナさんとヴィヴィエさんの写真のページ

2010/04/01(Thu) 20:25      まつ@管理人      オタマジャクシ騒動、その後

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

昨年の夏、空からオタマジャクシが降ってきたのはまだ記憶に新しいところです。私は初めから犯人はアオサギに違いないと言ってきましたが、世間ではアオサギがどうやら一番怪しそうとなったところで急速に興味を失ったように思います。ああいうのは犯人が謎のままのほうがメディアとしては好都合だったのでしょうね。最初から正解を言ってしまうような人間は空気が読めない人として敬遠されるようです。

さて、そのオタマジャクシ騒動ですが、個人的に面白い情報を得たのでお知らせしたいと思います。じつはあの後、イギリスの雑誌「Bird Study」に、騒動の顛末をニュースレターとして投稿しました。そして、それを読んだキャサリン・ライアーというカンザス州立大学の大学院の学生さんが自分の国でも似たようなことがあるとかなりまじめに調査してくれたのです。もともと彼女の研究分野は気象学のほうで、竜巻の成長速度と落下物の関係が主な研究テーマなのだそうです。そして、様々な落下物を調査しているうち、竜巻ではどうしても説明できないものが出てきて頭を悩ませていたところ、偶然読んだのが私の投稿記事だったというわけです。それで、彼女が何をしたのかと言うと、原因不明の落下物とオオアオサギ(アオサギの近縁種)のコロニーの位置関係を徹底的に調べました。その分析結果が本日メールで届いたので、新鮮な情報をそのままお届けします。

分析の対象となった落下物は過去2年間に収集したものだけで合計182点です。カンザスと言えば麦畑が延々と広がっているイメージしかありませんが、あんなところでよくこれだけのサンプルを集めたものだと感心します。原因不明の落下物だけでこの数なのですから、竜巻由来と分かっているものはものすごい数になるのでしょうね。さすがは「オズの魔法使い」を生んだ土地だけのことはあります。一方、調査対象としたコロニーは7ヶ所、これも標本数としては十分な数だと思います。さて、結果ですが、これは予想以上のものでした。原因不明の落下物がコロニーと餌場を結ぶライン上にきれいに並ぶのです。おそらく、あちらは田んぼなどの面的に広がる採餌場が無いので、餌場である川とコロニーを結ぶラインがかなり限定されているせいもあるのでしょう。とはいえ、これほど美しい結果が出るとは思いませんでした。

ところで、この原因不明の落下物、皆さん何だと思いますか? オオアオサギが川で獲ってくるものなので魚が主体(オタマジャクシもいくらか含まれています)ですが、十数センチていどのフナやウグイをイメージしていると大間違いです。標本の約1割は30センチクラスの半ば消化されたアメリカナマズですし、アメリカハタネズミに混じってカピパラも数個体見つかっています。さらに驚くべきことに、50センチのワニまで確認されているのです。アオサギより一回り大きいオオアオサギとはいえ、これはさすがにあり得ないだろうと私も最初は思いました。しかし、キャサリンさんによると、あちらでは最近オオアオサギに混じってオニアオサギ(体長1.5mで世界最大のサギ)が見られるようになったと言うのです。これまた驚きです。オニアオサギといえば本来アフリカのサハラ以南に生息しているはず。それが、7年前にニューオリンズ近郊で5羽の群れが初確認されて以来、ミシシッピー川伝いに急速に生息域を拡大しているそうなのです。これが証拠と言ってメールに添付してくれた写真がありますのでご覧になってください。⇒ オオアオサギの群れに混じるオニアオサギ
オオアオサギとオニアオサギが一緒にいるところなどあまり見慣れない光景なので、どこか取って付けたような違和感がありますが、間違いなくこれはオニアオサギです。今ではカンザスでも十数個体がオオアオサギのコロニーで繁殖しているのだとか。オニアオサギは本来ひとつがいずつ縄張りをもって営巣するはずですが、環境が変われば営巣形態もそれに合わせて変えるのですね。アオサギ一族の適応力の高さにはいつもながら驚かされます。

それと忘れていましたが、落下物とコロニーの位置関係を示した図のほうも是非ご覧になってください。とても美しい結果が示されていて感動すること請け合いです。
「落下物とコロニーの位置関係」の図

2009/04/01(Wed) 11:19      まつ@管理人      「北千島日誌」より

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

松浦武四郎の北海道関連の著作物にはアオサギについての記述がほとんど無い、ということはこれまでに何度か書いてきたところです。他に当時の北海道周辺の鳥類相を知る資料が無いこともあり、私もその当時は北海道や樺太千島方面にはアオサギがほとんど生息していなかったのではとこれまで思ってきました。ところが、どうやらこの推測は間違っていたようです。

先日、北海道新聞社から「北千島日誌」というタイトルの本が出版されました。これは、2年前にユジノサハリンスク博物館の収蔵品の中から発見された宇曽津吉兵衛という人の書いた日誌をまとめたものです。この吉兵衛という人は松浦武四郎の甥で、武四郎の2回目と3回目の北海道探検に同行しています。3度目の探検(安政5年、1849年)で武四郎と択捉を踏査した後、吉兵衛だけがさらに北千島まで足を伸ばし、結局そのまま島に留まって毛皮の取引などを生業としつつ1902年に国後の古釜布で亡くなっています。

さて、この本さっそく私も読んでみたのですが、これはことアオサギに関する限り全く驚くべき内容の本でした。まず、衝撃的だったのは、春牟古丹島でラッコ猟の最中に吉兵衛が目撃したという次の光景です。
「・・・(アオサギを)三つ四つばかり見しが巳の刻になりてその数まことにおびただしき様にて数うることあたわず。その群れ捨子古丹の沖より温禰古丹に至りて四半時ばかり尽くることなし」
つまり、夥しい数のアオサギの群れが、30分もの間、途切れることなく頭上を通過したということです。これだけの場景描写では具体的な数まではなかなか分かりませんが、数千、もしかすると数万単位のアオサギが空を埋め尽くしていたのかもしれません。書かれた日付は旧暦の3月6日ですから、今で言えば4月1日、ちょうど今時分になります。ということは春の渡りだったはず。北千島の島々でこれほど多くのアオサギが繁殖できる環境はありませんから、彼らが向かったのはおそらくカムチャッカだったのでしょう。現在でこそアオサギの生息域としてはほぼ空白地帯のカムチャッカですが、150年前の当時は今とは全く別の環境だったのかもしれません。何はともあれ、吉兵衛の見た壮大なアオサギの渡りが今や昔の話になってしまったのが残念でなりません。

ところで、もうひとつ意外だったのは、当時、千島に住んでいたアイヌの人々がアオサギをペッチャカムイ(川の神)として崇めていたことです。考えてみれば、タンチョウやシマフクロウでさえ神様なのですから、アオサギが神様なのは当然と言えば当然かもしれません。なお、千島では毎年春の彼岸前後に「鷺迎え」というお祭りが行われていたそうです。アオサギの春の渡りに合わせて三日三晩踊り明かしたと言いますから、このことから見てもアオサギはかなり格の高い神様だったと想像できます。

この「鷺迎え」というお祭り、ネットで調べてみると、本来はサケの回帰を願う儀式で戦前まで行われていたそうです。サケの回帰とサギの間にどのような関係があるのかについては、北海道立北方民族博物館のサイトに詳しい説明があります。なお、同サイトではこの祭りの当時の写真を見ることができます。色褪せてぼんやりとしか見えないのが残念ですが、現在、津和野や京都の八坂神社に伝わっている鷺舞に似た格好で踊っているのが分かるかと思います。現在の様式化された踊りでは表現できない、サギと人が完全に一体化した瞬間を撮った鬼気迫る一枚になっています。
「鷺迎え」の写真

2008/04/01(Tue) 0:13      まつ@管理人      快挙!

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

今日から4月ですね。これから7月頃まではアオサギ関連のニュースがあちこちで聞かれることでしょう。

さっそくですが、アメリカから嬉しいニュースが飛び込んできました。写真の新聞はアメリカで隔月で刊行されている「Heron News」の一面です。新聞名を和訳すると「サギニュース」となって本当にそんなものあるのかと疑われそうですが、もともとはシラサギ類の飾羽の相場情報を提供するのを目的に、1887年にパリで創刊された非常に由緒ある新聞(当時の紙名は「Egret News」)なのです。最初はパリの服飾店組合の有志が細々と作っていたらしいのですが、飾羽の需要増に伴い19世紀の末にはLe Mensongeという新聞社が版権を買い取り、月刊誌として一時期は10万部を売っていたそうです。ところが、乱獲が祟ってヨーロッパからサギ類が姿を消し新聞も休刊状態になります。その後、1992年にLe MensogeがBoston Heraldに買収され、その時に「Heron News」と紙名を変えて復刊したということです。もちろん、現在はかつてのような飾羽の取引は無いため、記事はもっぱら生態や保全の内容となっています。
この「Heron News」、野生生物を対象にしたアメリカの新聞としては1、2を争うほどメジャーなものなので、皆さんの中にも御存知の方がいらっしゃるかもしれませんね。

さて、前置きはこのくらいにして、気になる記事の内容です。以下に拙いながら和訳してみます。
「アオサギ、宇宙に一番乗り  (フロリダ州ケープカナベラル発)6月に打ち上げ予定のスペースシャトルディスカバリー号に、成鳥で雌のアオサギが搭乗する予定であると、昨晩、NASAが発表した。このアオサギは過去3ヶ月間、NASAのケネディ宇宙センターで厳しい訓練を受けてきた」

これは驚きましたね。鳥を宇宙に連れて行くことも驚きですが、鳥の中で敢えてアオサギが選ばれたこともびっくりです。上に訳したのは冒頭の部分だけで、この後さらに興味深い内容が続きます。それによると、今回のアオサギの搭乗は当初は昨年に予定されていたのだそうです。昨年というと、1957年にスプートニク2号でライカ犬が宇宙に行ってからちょうど50年、それを記念して再び宇宙に人間以外の生物をということのようでした。残念ながら多少時期が遅れましたが、アオサギにはそのことが却って好都合だったようです。というのは、昨年まではアオサギでなく北米に生息するオオアオサギが搭乗する予定だったからです。その後のシャトル船内の改造に伴い、オオアオサギではスペース的にやや無理があることが判明し、急遽ひとまわり小型のアオサギが選ばれたとのことです。
それにしても、なぜよりによってサギ類なのかということですが、今回行われる実験の主目的が、無重力状態でのベルヌーイの定理がどうのこうの(この辺は知識が無いので何を書いているのか解読不能)で、それを検証するにはサギ類に飛んでもらうのが一番という結論に達したそうなのです。なんでも、鳥類の中ではサギ類の翼が空気力学的に最も理想的な形なのだとか。

この話題、一両日中に日本の新聞にも載ると思いますが、「Heron News」そのものはweb版(英語)で見ることができます。アオサギ用の宇宙食のこととか、船内に羽毛やフンが飛散しないための工夫、訓練中の模様などが写真入りで詳しく書かれています。とくに、重力加速装置に乗せられて目をくりくりさせているアオサギの写真は必見ですよ。
英語でも構わないという方は、こちら「Heron News」をご覧になって下さい。

2007/04/01(Sun) 12:43      まつ@管理人      無題

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

最近のアオサギ関係の話題をふたつばかり。

ひとつめは先月の中国新華社通信の日本語版に載っていたもので「鳥になり損ねた男」の話。
記事によると、「鳥になり損ねた」のは新疆ウイグル自治区瑪納斯に住む王軍さん(58歳)で、3階建ての息子宅の屋上から飛び降りて大けがをしているのを孫が見つけ保護されたというものです。このとき王軍さんが身につけていたのは絹でつくられた長さ約4.5mの翼。自称鳥類飛翔研究家の王軍さんは以前から翼に改良を重ね、何度も実験を繰り返していたそうです。

王さんのような人はたまにいますが、この人がすごいのは翼だけでなく自らの肉体も鳥に近づけようとしていたところ。一般に鳥が飛べるのは、翼もさることながら強靱な胸筋によるところが大きく、胸筋の重さは体重の約4分の1に達すると言われています。王さんが目をつけたのはこの点です。5年前に中国空軍を退役した王さんは、第二の人生を鳥になることに賭け、一日のほとんどを胸筋を鍛えるためのトレーニングに費やしてきたそうです。体重62kgの王さんは今では推定11kg(体重の18%)の胸筋をもつと言います。記事には事故前の王さんの写真がのっていましたが、これはちょっと人間とは思えないような上半身です。今回の事故で両足を骨折し入院中の王さん、「胸筋の鍛え方がまだまだ足りなかったようで悔しい。次は体重の20%まで胸筋を増やしてなんとか成功させたい。歩けないと両足の筋肉が落ちるので胸筋の割合が高くなって幸い」と、まるで懲りてないようです。

さて、なぜアオサギかということですが、王さんが鳥に憧れたそもそもの原因がアオサギとの出会いにあったそうなのです。以下、記事からの引用です。
「昔、ミグに乗っていた頃、パキスタン国境で山越えするアオサギの一群に遭遇したんだ。こちらは猛スピードの戦闘機だから確認できたのは一瞬だったけど、100羽くらいの群れだったかな。残照の雪山を背にゆったりと羽ばたく彼らの姿は本当に美しかった。それを見たとき、おれは何をしているんだろうとふと思ったよ。自分が理解している世界とまるで違うもうひとつの世界があることに気付かされたんだね」
もうひとつの世界を理解するために、自分の力で飛ぶ能力を身につける、それが王さんのとった方法だったわけです。思考と行動との間がやや飛躍しすぎの感が無いわけではありませんが、このコメントを読むと、王さんの胸筋がさらに肥大化することを願わずにいられません。

もうひとつの話題はまた後で。


2007/04/01(Sun) 16:30      まつ@管理人      Re: 無題

こちらの話はいつも厄介がられているサギのフンについてです。
2週間ほど前のブラジルの新聞Jornal do Brazilに、サギのフンが大豆の肥料として極めて有効だという記事が載りました。これはブラジル農務省が研究機関に委託して行った実験により分かったもので、サギのフンを様々な穀物に施肥したところ、その収量はウなど他の鳥類のフンを施肥した場合よりも1.8倍から2.3倍も高くなったそうです。これは化学肥料に比べても遜色がないものですが、とくにマメ科植物に対する施肥効果は驚くほど高く、既存の化学肥料の3、4倍になると言います。今のところサギのフンの供給源が限られているので商業ベースに乗るのはまだしばらく先になりそうですが、すでにブラジル国内だけでなく大豆の生産量が世界一のアメリカなど各国の農業機関から問い合わせが相次いでいるそうです。また、このところ大豆生産量の減少が続いている中国でも今回の結果には多大な関心を示しており、3日ほど前のYahooニュースによると、国の農業部がサギ類のコロニーを全面的に保護するとの声明を発表したそうです。なんだか動機が不純ですが、食べられていなくなるよりはよほどましかもしれません。

ところで、鳥のフンを肥料にすることは珍しいことではなく、昔は日本でもサギやウなどのフンを集めて売ることもありました。サギのコロニーが近くにあると簡単に良質の肥料が得られるので、サギがいなくなると家が潰れるという言い伝えまであったほどです。ペルーなどは海鳥の住む島からグアノと呼ばれるフンを削り取って、今でも肥料産業として成り立っています。

話は変わりますが、昨年の平成の大合併で多くの市町村が消滅する一方、合併により新たに生まれた自治体も多数ありました。そうした自治体は市の鳥、町の鳥を新たに選定したのですが、選ばれた鳥の中で最も多かったのがじつはアオサギなのです。市町村全体の中ではウグイスとカッコウがまだまだ圧倒的に多く、3位以下の他の鳥たちを大きく引き離していますが、アオサギは合併前に37位だったのが現在はカモメに次ぐ4位ですから大躍進です。近年、アオサギが如何に身近な鳥になったか、あまりにもよく分かるデータです。
身近になったぶん、私たちはサギとヒトとの共存についてますます真剣に考えていかなければなりません。そういう意味では、今回のことはサギとヒトとの共存を考える良いきっかけにはなるのではと思うのです。


2007/04/01(Sun) 19:02      まつ@管理人      Re: 無題

上に紹介した記事はネットに載っていたものですが、アメリカに本部のある「Love Heron! Society」(サギ大好き!協会)の会報にも同じものがまとめられています。会の名称だけ見るといささか軽薄ですが、会報の内容はまさに博覧強記。毎号毎号、百花繚乱のサギの世界が余すところなく紹介されています。サギに関するものなら噂レベルのものから最新の学説まで何でも揃っており、これはもう圧巻というほかありません。これについては協会の日本支部が日本語訳したものがネットで配信されていますので、興味のある方は是非このサイトをご覧になって下さい。

2006/04/01(Sat) 0:53      まつ@管理人      一番人気!

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

4月になりました。皆さんのところのアオサギたちも日ごとに活気づいているのではないでしょうか。

さて、今回はアオサギにとってとても嬉しいニュースがあったのでお伝えします。国際鳥学会(IBS)のニュースレターによると、アオサギが世界で「最も人気のある鳥」に選ばれたそうです。これは今月初めにロンドンで開かれた国際鳥学会(IBS)で発表されたもので、IBSの創立250周年の記念イベントとして行われたアンケート調査の結果です。アンケート総数は723,084(計178ヶ国)ということですから、これはかなり真に受けて良いのではないかと思います。アオサギは分布域が広いので認知度はそこそこ高いだろうとは思っていましたが、ここまで人気のある鳥だとは正直予想してませんでした。ちなみに、このアンケートは「最も○○な鳥」を18部門で選んでいるのですが、嬉しいことに「最も美しい鳥」と「最もエレガントな鳥」でもアオサギは3位と4位に選ばれています。

なお、IBSではアオサギが「最も人気のある鳥」(どうやらこれが一番栄誉ある賞らしいです)に選ばれたことを記念して、ロンドン塔近くのテムズ河畔にアオサギのモニュメントをつくる予定だそうです。このモニュメントはアオサギが飛び立つ瞬間を模した高さ約5.5mのブロンズ製で、毎正時にはアオサギの声を流すのだとか。声を流す趣向はどうかと思いますが、ともあれロンドンに行かれる方は必見ですね。

ところでこのアンケート、「最も声のひどい鳥」という穏やかでない部門もあります。この部門でベラルーシオオオニタゲリとエリマキサケビドリに次いでアオサギがワースト3に入っていたことは内緒です。

2005/04/01(Fri) 1:56      まつ@管理人      春の椿事?

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたもので、内容はまったくの出鱈目です。

一週間ほど前にふたつがいが巣作りを始めて話題になった札幌のテレビ塔ですが、その後も渡ってきたアオサギが続々と合流しており、この先まだまだ増えそうな勢いです。昨晩、私が見に行った際には、総勢70羽から80羽が鉄塔にとまっていました。報道関係の人やデジカメを持った人たちが大勢詰めかけており、なかなかゆっくり見ることはできませんでしたが、死角になった部分も含めれば優に100羽は超えるのではないかと思います。ほとんどのアオサギは展望台よりも上にいて、鉄骨が三つ又になった部分に巣をつくっているようです。

ところで、雪に埋もれた大通り公園でどのように巣材を見つけているのかというと、毎朝、散歩に来る方々がわざわざ塔の下に巣材をばらまいているのだそうです。しかし、アオサギが営巣するとなると、テレビ塔が糞で白く汚れたり、テレビ電波の送信に障害が出るといったことも考えられ、市のほうではあまり歓迎していません。来週初めにも対策協議会を設置してアオサギへの対処の仕方を検討するということです。

塔での営巣といえば、一昨年123個の巣がつくられたエッフェル塔が有名ですが、あちらは塔の内部にアオサギの子育てを見られる観察スペースをこしらえたり、非常階段を解放して観察ツアーを行ったりと、アオサギは大いに歓迎されているようです。観光客の人気も上々のようで、ちょっと信じがたいことですが、昨年エッフェル塔を訪れた人の3分の1はアオサギが目当てだったといいます。
札幌市もエッフェル塔の例を見習って、人とアオサギが共存できる工夫をしてほしいものです。


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