アオサギを議論するページ

島のコロニー

sabaru去年、今年と、道南にある島のコロニー(江差沖シタン島)を見て以来、その異常な光景が頭から離れなくなっています。じつは島でアオサギが営巣すること自体は特別珍しいわけではありません。たとえば国内で言うと三重の佐波留島(地図)のアオサギコロニーは昔から有名でした。残念ながら現在は同島では営巣していないようですが、半世紀ほど前には三百数十つがいのアオサギが巣をつくっていたそうです(出典)。そのため島の所在地である尾鷲市は今でもアオサギを市の鳥に指定しています。ただ、佐波留島の場合は普通に木の生えている島で、尾鷲の町までも近く、島であることを除けば一般的なアオサギのコロニーとたいして変わりません。

私が道南の2ヶ所のコロニーを見て驚いたのはわざわざ島に営巣しているということもありますが、彼らが樹上でなく地面に直接巣をつくっているということでした。サギたちは木もないような辺鄙な島に行ってわざわざ営巣しているわけです。私はそれまでアオサギの巣といえば樹上にあるのを当然と思っていましたからこれは衝撃でした。それ以来、他にも似たような環境のコロニーはないかとあれこれ探しています。今回はそんな島のコロニーの中から2ヶ所をピックアップしてみたいと思います。

mauritaniaまずひとつ目はモーリタニアの大西洋岸にあるコロニーです。ご覧のようにのっぺらぼうの島で一本の木も生えていません(地図)。大きさは南北の長辺が1キロに満たないくらい。大陸からは7、8キロ離れています。大陸のほうではダメなのかと地図を見るとそちらは一面砂漠なんですね。これは厳しい。よくまあこんな所を選んだものです。他の土地に興味をもっても良いように思いますが、ここのサギたちはじつはここしか知りません。渡りをせず昔からずっとここに留まり続けているのです。そのせいで彼らは亜種のレベルで分化しています。私たちが日本で見かけるアオサギに比べると色がかなり薄いようです。この写真は幼鳥のようですが、光の加減ではなく明らかに白っぽいですね。

ddあとここのアオサギが変わっているのは彼らのつくる巣です。なにしろ本来巣材になるべき木枝が集めようにもどこにもないのです。私が観察した江差沖コロニーにも木はありませんでしたが、それでも数百メートル飛べば樹林があり、手間はかかるものの巣材は一応確保できる環境でした。モーリタニアの場合、はるばる数キロ飛んでもそこは砂漠です。ではどうするのでしょう? 答えは木枝の代わりにペリカンの骨を使うのです。さすがアオサギですね。(写真:Heron Conservation(J.A.Kushlan and H.Hafner 編著)より)

primoryeさて、次に紹介するのはロシアと北朝鮮の国境近くにあるフルグレン島のコロニー(地図)です。ここはモーリタニアの島より少し大きく長辺が3キロ近くあります。ただ樹林がないのは同じです。このコロニーについては現在どうなっているのかよく分からないのですが、かつてはかなり熱心に調べられていました。たとえばこの論文には同島でのアオサギの営巣状況がかなり克明に記録されています。そして地上営巣ならではというべき驚くべき観察事例がいくつも挙げられているのです。

ひとつは兄弟間の死に至る争い。これはかなり多いようで、別の論文によるとこの島のヒナの死亡要因の88%を占めるそうです。兄弟喧嘩はアオサギでは普通に見られ、それが原因で死ぬことも稀ではありませんが、88%という数値は度を超しています。この論文ではさらにカニバリズムの観察事例も報告されています。大きなヒナが余所の巣の小さなヒナを食べてしまうのです。恐るべき過酷さに満ちた幼年時代です。また、ヒナへの給餌時には余所の巣のヒナが餌泥棒に来ることがありますが、この島ではその巣のヒナも入れてなんと15羽のヒナが集まったといいます。ことほど左様に何もかも尋常ではありません。結果的にこの島ではヒナの巣立ち率がとても悪く、1巣あたり1.23羽しか巣立たなかったそうです。北海道では平均3羽ていどのヒナが巣立っていることを考えると、これもかなり極端に低い値と言わざるを得ません。

地上営巣というのは隣り合った巣どうしの境目が曖昧になることでもあります。樹上にかけられた場合のように巣と巣の間に物理的な断絶があるわけではなく、隣の巣とは文字どおり地続きになるわけです。親がいれば縄張りがありますから巣としての独立性は保たれますが、親が巣を離れるようになるとヒナは辺りを自由に歩き回り、そこはもうたちどころに無法地帯に変わります。こうなると樹上営巣では起こりえない特殊な状況が起きてしまいます。論文で挙げられている異常行動は必ずしも地上で営巣していることが原因ではなく、たまたま極度の餌不足のような非常事態に見舞われただけかもしれません。ただ、地上営巣はこうした異常な状況を助長することはあっても緩和することにはならないと思うのです。

論文には岩棚で営巣している写真が載っていますが、私が観察した道南の江差沖コロニーもこれと同じでした。江差でもあるいは同じような状況が起きているのかもしれません。島のアオサギについてはもっともっと研究する必要がありそうです。


墓石はアオサギの頭になり得るか?

ボブ・ディラン、結局、ノーベル賞はもらうみたいですね。ところで、ディランという名がウェールズの詩人ディラン・トマスに由来することはよく知られたところです。そのトマスはつい先日の10月27日が誕生日で、生きていれば102歳のはず。しかし、若くしてというか30代で亡くなっています。ボブ・ディランが12歳のときです。

ということで、今回はそのトマスの詩について、ちょっと気になったことを書いてみます。もちろんアオサギのことです。トマスの詩にはアオサギがよく出てきます。しかも、点景として描写されるのではなく、詩の中でアオサギはいつも重要な要素になっているのです。あちらはなぜかアオサギが大人気のお国柄ですが、トマスのアオサギへの思いは特別なものがあったようです。

そんな彼の詩に「Over Sir John’s Hill(サー・ジョンの丘の上で)」という一編があります。描かれているのは丘の上で小鳥がタカに襲われて…といった分かりやすい光景ですが、そこに横溢するイマジネーションには圧倒されます。英文の原詩はネット上にいくらでもあるのでぜひ探してみてください。

さて、気になったというのはこの詩の和訳です。原文は英語ネイティブの人たちでもストレートには理解できないのではないかと思いますが、これを日本語に訳すといっそう判りにくくなります。詩を他の言語に訳すのが難しいのは分かります。とくにトマスの詩はひとつの単語に複数の意味を持たせることも多いですから正確な訳などまず不可能でしょう。ただ、今回ご紹介するのは明らかにおかしい、決定的な誤訳と思われるものです。いま手元に40年以上前に和訳された詩集と比較的最近の文献があり、どちらも同じように訳しています。もしかしたら、別の訳もあるのかもしれませんが、とりあえず以下は古い詩集からの引用です。英語の原詩と見比べてみてください。

and slowly the fishing holy stalking heron
In the river Towy below bows his tilted headstone
そして下手のタウィ川で魚を漁って忍び寄る聖なる青鷺は
その傾いだ墓石の頭をゆっくりと下げる

まあ詩ですから独特の表現や意表を突く言葉が選ばれるのは珍しいことではありませんし、この一節も詩全体の中に置かれている分にはととくに違和感はありません。しかし、情景を思い浮かべながら読むとやっぱり変です。頭が墓石とは一体どういうことでしょうか? あんな重いものがアオサギの細い首に載っていて、それで何をイメージせよというのでしょう? ウェールズの墓石は特別ということもなさそうですし。headstoneで辞書を引くと、たしかに墓石と載っています。詩の中で小鳥たちが死ぬことを思えば、墓石のイメージを想起させるためにこの単語を用いたのはおそらく間違いないでしょう。けれども、それはあくまで言葉に隠されたイメージで、トマスがこの言葉によってビジュアルに提示しようとしたイメージとは違うと思うのです。墓石の頭はどうしたって不可能です。

img_5906それでは、トマスはheadstoneに何をイメージしていたのでしょうか? じつはこの単語にはもうひとつの意味があるのです。写真は北大の第二農場にある製乳所を撮ったものですが、窓の上部にアーチ状にレンガが意匠されています。この頂点に嵌め込まれているレンガをとくに要石(かなめいし)と呼びます。そうです。これがheadstoneのもうひとつの意味なのです。要石を支えるアーチ状の意匠からはアオサギの首が容易に連想されます。それに、同じ石とはいえ、これなら墓石とくらべてずっと軽やかではないでしょうか。

素晴らしいことに、この詩はYouTube上でディラン・トマス本人の声で朗読が聞けます(こちら)。詩中、問題の箇所を筆頭にHeron(アオサギ)が6回出てきます。動画の下に詩の全文が載っていますので、確認しながらぜひ聴いてみてください。日本語でヘロンと聴くとなんだか頼りなく響きますが、トマスの声で聴くと、トマスのアオサギへの思いもあってかとても力強く聞こえます。アオサギが想像以上に堂々とした鳥に思えてきますよ。ヘロン、いい響きです。


バンクーバーの海岸にて

先日、アメリカに行ったついでにバンクーバーに寄ってきました。もちろんオオアオサギに会うのが目的です。この地域は太平洋に面していますが、入り江が深くまで入っているためサギたちの餌場には事欠かないようで、さらに、北海道より北に位置しているのに冬も温暖で雪もほとんど降りません。このためオオアオサギは冬も南へ渡ることなく年中ここで過ごしているとのことです。

そのように素晴らしい環境ということもあって、この地域は昔からオオアオサギの研究が盛んです。とくにバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学ではこれまでいくつもの優れた研究がなされてきました。たとえば1974年にはJ.R.Krebsがコロニーに出入りするオオアオサギの飛翔方向を観察して有名な情報センター仮説の検証を試みています。そのとき観察したコロニーというのがじつは同大学のすぐ脇の森にあるんですね。Googleの地図で調べたところ現在はもう無くなっているようですが、当時の雰囲気だけでも感じられたらと思い、コロニーのあった辺りを訪ねてきました。

dscn0110写真がその森です。あとで当時の論文を見直すと、当時のコロニーは写っている場所の尾根を超えた向こう辺りになるようですが、まあいずれにしても雰囲気自体は同じようなものだと思います。針葉樹の優先する森で、その目前にはいかにもサギが餌場として好みそうな浅瀬が広がっています。これはサギがいるはずだと思っていたら、案の定、遠くに佇むオオアオサギの姿を確認。それがオオアオサギとの初めての出会いでした。

森のほうからはワタリガラスのどこか神々しい声。先の情報センター仮説については私も別角度から調べたことがあるだけに、当時、J.R.Krebsはこんな雰囲気の中で観察していたのだろうなと思うと感慨深いものがありました。

ただ、現実はいつもそんな独りよがりを許さないもの。観察している間、私の背後でパンツをはいていないおじさんがうろうろしているんですね。見間違いかと思いつつ、なんだか居心地の悪いものを感じていたのですが、観察を終えてあらためてビーチを見るとあっちにもこっちにも裸ん坊の人たちが…(ただしお腹の出た中高年のおじさん限定)。帰りに気付いた看板にはClothing Optional Beach(服は着るも脱ぐもご自由に)と書かれていました。

サギたちの見る景色も時代とともに変わっていくんですね。


ページの先頭に戻る