アオサギを議論するページ

コロニーに思うこと

アオサギのコロニーというのはじつに千差万別で、立地環境も違えば、当然、規模も違い、さらにそれぞれ異なる歴史をもっています。それは人間の町や村と同じようなものです。一時期繁栄していたかと思えば、いつの間にかゴーストタウンになっていたり、ひどいときは町そのものが忽然と消えていたりします。コロニーが放棄される原因はワシやクマなどの捕食者であることもありますが、なんと言っても多いのは人による影響です。

この週末、道北地方のコロニーを7ヶ所ほど巡ってきました。道北は北海道の中でも人口の少ない地域ですが、人が少なくてもアオサギが人の活動に翻弄されるという図式は変わりません。右の写真はオホーツク海沿岸、猿払村にあるコロニー(正面の林)。右側の建物がおととし閉校になった猿払小学校で、小学生と入れ替わりで林にやってきたのがアオサギでした。付近に人の出入りが絶え、営巣場所として都合が良かったのでしょうね。ところが、子育て真っ最中の昨年5月中旬、おもわぬ騒ぎが起きてしまいました。使われなくなった手前のグラウンドがなんと自衛隊の演習場になってしまったのです。小学生が走りまわるぐらいは何てことありませんが、自衛隊の演習をやられたのではサギたちはたまったものではありません。当然、コロニーはもぬけの殻です。どんなに静かな環境のように見えても安心して子育てできる場所というのはなかなか無いのですね。

ところで、今回確認した7ヶ所のうち、いつの間にか林が伐採されていたところが3ヶ所ありました。そのうちの1ヶ所、中川町の町外れで営巣していたサギたちは、伐採後、街中の林に引っ越しています。人の多く住むところに行けばたいてい苦情が出ます。ここも案の定、鳴き声がうるさいとかフンを落とされるとか散々迷惑がられていました。

ただ、アオサギをよく思わない人がいる一方、逆にアオサギの肩をもつ人たちもいます。写真は、中川町の町外れに昔あったコロニー。現在、ここのサギたちは中川の街中に移り住んでいます。当時、この林はある個人の所有でした。その後、その方が土地を離れ管理できなくなり手放すことになったのです。その話があったとき、写真の林の裏手にあるお寺の住職さんが、林にはアオサギが住んでいるのだから人に売るのだったらワシが買うと言っていたそうです。残念ながら林は別の人の手に渡り伐採されてしまったのですが、住職さんのような方がいるのは本当に心強いですし、その思いは時と場所を変えてきっと受け継がれていくと思います。

アオサギの味方はこの住職さんだけではありません。同じく道北の名寄市で、以前、林を売る話が出たとき、やはりそこにアオサギがいるからというので、同市の弁護士さんが林を買い取りコロニーが救われたことがあります。このコロニーはそれから何年か後にオジロワシの執拗な襲撃に遭い放棄されるのですが、それまでの間、道北地方の一大拠点として何千羽ものヒナが巣立っていきました。

それで思い出すことがあります。20年ほど前、札幌市平岡のイオン敷地内の森にアオサギが住みはじめた頃、この先、イオンとして森をどう維持、あるいは開発していくかということが問題になりました。その時、植物の権威、大御所だという大学の教授だか名誉教授だかが呼ばれて森のことを調べていったのですが、その人云く、木を切ってもアオサギは別の森に飛んでいくだけだから気にすることはない、と。それを聞いたときの驚きと怒りは今も忘れません。サギたちが安心して住めるような森は本当にわずかしか残ってないのです。こんな勘違いな迷惑専門家はとっとと退場していただきたいものです。そして、中川の住職さんや名寄の弁護士さんのような気骨ある動物の理解者がもっと存在感を発揮できる世の中になってほしいなと思います。

虻が島問題 — 植物の保護か、アオサギの命か?

富山県氷見市の沖合にある虻が島という小さな島でとても気がかりなことが起きています。簡単に言うと、島の植物をアオサギのフンから守るために、市が猛禽を放ってアオサギを追い払っているのです。そこで使われる猛禽は鷹匠により訓練されていますからアオサギが直接襲われる心配はありません。しかし、そんな状況でアオサギが落ち着いて子育てできるはずもなく、結果的に親鳥は巣を放棄し島を去ることになります。まあここまでは百歩譲って許容できます。しかし、問題はこれがアオサギの子育ての期間中も続けられていること。こうなると、巣に残された卵やヒナの運命は言わずもがなです。市が直接手を加えたものでないとはいえ、結果的にアオサギの命が奪われているわけです。

虻が島は氷見市の沖合800mほどに位置する無人島で、写真で分かるとおり、樹林が少しあるだけの小さな島です。ただ、小さいとはいえ富山湾内では目立つ孤島であり、地元の人たちには昔から親しまれてきたようです。また、この島には北方系の植物と南方系の植物が同所的に混生するという学術的な価値があり、このことから島そのものが天然記念物に指定されています。

一方、アオサギはというと、約20年前から島で増えはじめたということで、少なくとも2004年には新聞でもフン害が報じられるようになっています。添付したGoogleの写真では、緑の樹林の中にアオサギの巣が灰色の点として写っています。昨年はこの島で約200羽のアオサギが確認されたそうです。単純に計算して100巣。小さな島ですからこれだけのアオサギがいれば島じゅうアオサギだらけという感じになっていたのでしょう。

こうなると島の植生も多かれ少なかれアオサギの影響を受けることになります。それを氷見市というか地元の方々が問題視したわけですね。もっとも、市もこれをどうにかしたいという思いは以前からあって、ここ十数年、営巣期の前に巣を落としたり蛍光色の糸を木に巻き付けたりとさまざまな対策を施しています。ただ、それらの方法は一時的な効果しかなく、結局は失敗に終わっていました。そこで新たな方法として昨年から採用されたのが今回の猛禽による追い払いというわけです。

追い払いが最初に行われたのは昨年の4月で、基本的に1週間に1度のペースで行っているようです。回数や実施間隔の詳細については分かりませんが、昨年の作業は少なくとも6月までは続けられています。時期的に言えば、親鳥が産卵し、ヒナが生まれた後も追い払いを続けているわけです。卵がダメになり、ヒナが餓死ないし捕食者に襲われた可能性は非常に高いと考えざるを得ません。実際、氷見市のほうでも、捕食者に食べられたと見られるヒナを確認したということです。今年は昨年の追い払いですでに相当数がコロニーを放棄している上、3月から追い払いを行っていることもあり、3月25日時点での営巣数は7巣に留まっているようです。追い払いを続けることで、これら7つがいが産卵前に巣を放棄してしまえば、少なくとも今シーズンに関しては問題はありません。しかし、氷見市のほうとしては、この先、アオサギが産卵しヒナが孵った場合も、昨年同様に追い払いを続けるつもりのようです。

繰り返しになりますが、私は今回の猛禽による追い払いそのものにはとくに反対ではありません。同じ世界に人とアオサギが生きているわけですから、アオサギのために人が一歩引かなければならないときもあれば、逆にアオサギに少し遠慮してもらわなければならないときもあるわけで、それは仕方がないと思います。しかし、今回の件は追い払いに留まらず、結果として不当にアオサギの命を奪っているという点でまったく受け入れられるものではありません。アオサギを島から一掃するのが目的なら、アオサギが卵を産む前に短い間隔で繰り返し追い払えば済むことです。もしその年に全てのアオサギを追い払えなくても翌年、さらに翌年と繰り返せば、いずれは目的を達成できるでしょう。子育てが始まったらそこで作業は打ち切るべきなのです。子育てを行っているにもかかわらず追い払いを行い、ヒナを死に至らしめるような行為は、単に作業効率を優先させるためとしか思われず、動物の命を甚だしく軽視した行為とみなさざるを得ません。

氷見市の行っている追い払いは実質的には駆除です。市のほうも結果的に卵やヒナを犠牲にするかもしれないことは当初から想定しており、県のほうに予め捕獲申請を上げ許可されています。これで法律上は問題なさそうに見えますが、それで納得できるくらいなら、わざわざここにこんなことは書きません。では何が問題なのでしょうか?

まず法律の解釈に疑問があります。アオサギは狩猟鳥獣ではありませんから、鳥獣保護法により成鳥やヒナの捕獲はもとより卵を採取することも禁じられています。ただし、この条項にはいくつかの例外規定があって、そのうちのひとつに「生態系に係る被害の防止」というのがあります。つまり、氷見市は虻が島での駆除にこの例外規定を適用しているわけです。たしかに、動物によっては、本来の捕食者がいなくなったり、外国から連れてこられたりして生態系に大きな悪影響を与えている種もあります。そういった種に対してはこの例外規定が該当するケースもあるでしょう。しかし、虻が島のアオサギに果たしてこれが当てはまるでしょうか? 私には到底そうは思えません。「生態系に係る被害の防止」というのは非常に曖昧な表現で、それを用いる側の意向でどのようにでも解釈を広げられます。そこに怖さがあるのです。

結局のところ、この問題は、植物の学術的な価値とアオサギの命とどちらを優先するかという問題に行き着きます。これに対する考えは人それぞれと言えばその通りです。しかし、たとえば、アオサギを島から追い払ってほしいと市にかけあった地元の人たちはどう思うでしょう? おそらく、その人たちも大部分は、今回の追い払いも方法が違うだけでこれまでと同じく単なる追い払い、つまりアオサギ自体を傷つけるものではないと思っているはずです。しかし、もし、実際はそうではなく、植物を保護する代わりにアオサギのヒナが死んでいるのだと知ったら、それでも仕方のないことだと納得するでしょうか?

市のほうも卵やヒナの殺傷を目的にやっているのではありませんから、聞かれもしないのに敢えてそのことに言及することはないはずです。新聞報道も猛禽を使った追い払いに効果があるということを賞賛するばかりで、負の側面を調べてみるような奇特なところはありません。そして、ヒナが死んでもそんなことは誰も気にすることなく問題にもならないのです。これは鳥獣の保護にとって看過できない問題です。

虻が島での追い払いはアオサギを島から追い出すのが目的です。それは構いません。しかし、卵を産んでヒナがいる段階での追い払いは、法律の例外規定の適用に相当な疑義がある上、動物倫理の上からも大いに問題があります。今回の問題は鳥獣行政がどのような理念に基づいて行われるべきかを考える上で核心的な問いを投げかけています。にもかかわらず、表向き、それは問題ではないかのように見過ごされているのです。もちろん、行政にはひととおりの要望は出しました。しかし、鳥獣の命をどう考えるかというのは行政に任せるべき問題ではなく、私たちひとりひとりが答えを出していかなければならない問題だと思います。もとより正解のある問題ではないので意見はさまざまでしょうけど、ここで必要なのは意見の一致ではありません。議論を活性化し、私たち個々の意識、社会の意識の中に動物の命の問題を常在化させること、これが何より大事です。この問題にあまりにも無関心な日本社会にあって、まず最初に目指すべきはそこだと思うのです。

なお、前段で触れたとおり、氷見市と富山県には、私が主宰する北海道アオサギ研究会のほうから、卵、ヒナを殺傷することのないようにとの要望書を送付しています。本記事とは多少異なる視点からも書いていますので、興味のある方は是非ご覧ください。県への要望のほうは市の捕獲申請を許可しないようにとの主旨ですが、内容は基本的に市に宛てたものと同じです。

    [氷見市への要望書 (pdf) ]    [富山県への要望書 (pdf) ]

虻が島のアオサギ問題はこれまで幾度となく新聞に取り上げられています。以下は当サイトの『アオサギ関連記事一覧』からそうした記事を抜き出したものです。時系列順に並べていますので、今回の件について考え、判断されるときの参考にしてしていただければと思います。じつは虻が島のことを私が書いたのは今回が初めてではなく、4年前にも『虻が島の問題』として記事にしています。ここに挙げた新聞記事について私の思うところを書いていますので、こちらも参考にしていただければ幸いです。

    アオサギのフン害防げ 虻が島で営巣材撤去 氷見市教委と住民連携 (中日新聞 2004年4月19日)
    島にも人間生活の弊害? (中日新聞 2004年4月25日)
    海浜植物をサギの被害から守れ 富山県氷見市の虻が島 蛍光の糸で包囲が奏功 (富山新聞 2007年12月18日)
    虻が島のアオサギの巣撤去へ 氷見市教委、「ふん害」対策 (富山新聞 2010年9月1日)
    虻が島のふん害深刻 氷見・巣除去いたちごっこ (北日本新聞 2014年03月10日)
    虻が島のSOS (北日本新聞 2014年7月25日)
    虻が島を清掃、自然観察 灘浦小・中 (北日本新聞 2014年7月29日)
    虻が島の環境保護 氷見署員取り組み (中日新聞 2017年5月31日)
    アオサギ対策 タカ活躍 虻が島 貴重な植生守れ (中日新聞 2017年6月17日)
    アオサギ撃退 タカで虻が島のフン害防ぐ 氷見/富山 (毎日新聞 2017年6月19日)
    アオサギ対策にタカ 氷見・虻が島で市教委(北國新聞 2017年6月19日)
    フン害アオサギ、タカで撃退 9割超の減少に成功(朝日新聞 2017年6月27日)

冬ねぐら

写真は今日、つまり2月最後の日に撮った江別のアオサギ冬ねぐらです。アオサギはというと、1羽もいませんでした。ひと昔前には20羽も30羽もいて、冬じゅう彼らの姿が絶えることはなかったのに、あれはもう過去の記憶でしかないようです。どういうわけか、ここ数年、ここで越冬するアオサギは少しずつ減っていました。そしてとうとう…。もちろん、この時間帯にたまたま餌場に出かけていていなかっただけかもしれません。けれども、漸減してきたここ最近の傾向を考えると、彼らが今なおここに留まっている可能性は限りなく小さそうです。この場所は冬ねぐらとしての役割を静かに終えようとしているのでしょう。国内最北の冬ねぐらのひとつだったのですが、なんとも残念です。

ところで、越冬地がなくなるということは、それまでそこで越冬していたサギたちが別の場所へ移るということ。近くにもっと良い越冬場所を見つけて移る場合もあるでしょうし、こんな雪国もうやめたといって他の仲間と南の地方に渡っていく場合もあるでしょう。ともあれ、これまでとは違った新しい環境で新しい生活が始まるわけです。

私たちがふつう鳥に対してもっている認識というのは、1年をワンセットとして、その同じパターンが毎年繰り返されるというものだと思います。土地Aで子育てしたアオサギは、冬になると土地Bに渡り、翌春再び土地Aに帰ってくる、そして死ぬまでそれを繰り返す、そんなイメージではないでしょうか。もちろん年中同じところにいるサギたちもいますが、彼らの場合も毎年同じ1年が繰り返されるという点では同じです。けれども、実際はそんなに単純なものではないと思うのです。たぶん、彼らの生涯は私たちが想像する以上にバラエティに富んでいます。数年で死んでしまう小鳥類だとあれこれやっている暇もないでしょうけど、ときには20年も30年も生きるアオサギです。その長い生涯のうちに、営巣地、越冬地を何度か変えていても不思議ではありません。

変える理由は、場所で餌が獲れなくなったとか捕食者が増えたなどの外的要因かもしれないですし、アオサギ自身の体調や年齢からくる内的要因かもしれません。いずれにしても、彼らの生涯はどの1年も同じといった、おたや飴のようなものでないと思います。たとえば若いときと歳をとってからで変わったり…。まあ、鳥の場合は人間と違って歳の差が人間のように顕著には出ないのだろうと思いますが、まったく無視できるものでもないかと。「若い頃は雪国で越冬するくらい何でもなかったんじゃが、この年になったらやっぱり冬は暖かい所が一番じゃのぉ。」とか、今頃ひょっとすると年老いたアオサギたちが南国の水辺で語り合っているかもしれません。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

今年2018年は北海道の名付け親である松浦武四郎が生まれてちょうど200年目、北海道と命名されて150年目にあたるそうです。彼は当時の北海道をくまなく探検した人で、そのとき書かれた日誌は博物学的な記載が多くとても楽しい読み物になっています。ただ、ひとつ残念なのはアオサギの記載がひとつもないこと。一ヶ所だけそれらしい記述があるにはあるのですが、それすらもアオサギのことを言ったものかどうかいまいちよく分かりません。当時は実際にアオサギがほとんどいなかったのかもしれませんね。その代わり、面白いことにシラサギの記述はいくつも見られるのです。これはシラサギがいないのが通説になっている北海道の状況からするととても意外です。しかし、その通説もこのところだんだんと通じなくなってきました。全道各地でシラサギの目撃情報が増えてきているのです。基本的にアオサギのことしか書かない当サイトですが、そんなわけですので、シラサギの動向にも少しだけ注目していきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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