アオサギを議論するページ

人工営巣木

右の図は何だと思いますか? じつはこれ、サギが巣をつくるための台座なのです。この図はこちらのページにあったもので、御覧のように板材の寸法まできちんと規格化されています。直径15-20cm、長さ9mの丸太にこの構造物を取り付けるというわけです。一本の丸太に付ける台座は3個で、それぞれ高さと角度を変えて配置します。ちゃんと止まり木(右方向に付き出した長い棒)まで用意されているところが素晴らしいですね。

日本ではこのような話は聞いたことがありませんが、アメリカのほうではけっこう前からこうした取り組みが行われているようで、失敗はしつつもそれなりに上手くいっているようです。サギ類の繁殖を人間がサポートするようになったのは、営巣木の枯損倒壊によってコロニーの存続が危ぶまれる事態になったことが理由です。営巣木の枯損倒壊については、立ち枯れ病のような樹木の病気によるものもあれば、ビーバーのつくったダムで湿地の水位が上がったことが原因の場合もあるようです。また、ハリケーンでコロニー自体がほとんど壊滅することいったこともあるそうです。そんな時、周辺に新たなコロニーがつくれる場所があれば良いのですが、国土の広いアメリカとはいえサギの住める場所は無限にはありません。人口密度が高く隅々まで開発されたところでは彼らが繁殖できる場所は限られています。その辺の事情は日本と変わりません。問題は、そこで何もしないで放っておくか、困っているサギたちに手を差し伸べるかというところです。

日本の場合、アオサギは個体数も多く広範囲に分布しているため、今のところ将来を心配するような状況にはありません。それなら放っておけば良いのではと思われるでしょうけど、必ずしもそうとは言えないのです。アオサギはそれまで利用していたコロニーに住めなくなると、往々にして人間の生活圏により近い場所に新たなコロニーをつくります。それでは人にもアオサギにも気の毒な結果にしかなりません。もし放置することで不幸な事態が予想されるのなら、人為的な営巣木をつくってでも既存コロニーを保存するのが今のところ一番賢いやり方のようです。

アメリカでの事例をひとつご紹介します。場所はウイスコンシン州のホリコン湿地。ミルウォーキーやシカゴの近くです。この湿地にはもう70年以上も前からコロニーがあったところで、オオアオサギをはじめ4種類のサギとウが混合コロニーをつくっていたようです。一時は1000つがいもの規模になっていたとか。ところが、その後、営巣木のニレが病気で枯れ、サギの営巣数は漸減します。ここで、州の自然資源局が数十本の人工営巣木を建てることになります。それが1992年から93年にかけての冬のこと。もう20年近く前からこうした取り組みをやっているわけですね。なお、この湿地に設置した人工巣は上の図のものとほぼ同じです。ただ、丸太の高さは12mから20mで、1本あたりの巣の数も8巣と先に書いたものよりは少し大掛かりです。このコロニーはその後、猛烈な嵐に遭うなどしてさらに規模が縮小しますが、オオアオサギは現在も残って数十つがいで営巣を続けているそうです。

さて、その人工営巣木、2009年に建て替え作業が行われたようです。その時の様子が天然資源局のニュースサイトに載っています。何と言いますか、これではまるで電柱ですね。たしかに巣としては十分機能しそうですけど、もう少し自然な感じに配置できなかったものかと…。ここで育ったサギたちが町の電柱に巣をかけないことを祈るばかりです。

巣立ってからが大変!

前回の投稿で、今年巣立った幼鳥はこの時期にはすでに多くが死んでいるはずと書きました。2割か3割はもうこの世にはいないだろう、と。それは幼鳥たちの餌捕りの下手さ加減を見れば容易に想像できます。けれども、これはただの推測ではなく、その根拠になるようなデータがずいぶん昔に報告されているのです。その報告というのは、オーエンという人が1959年に発表したオオアオサギの死亡率に関する論文。オオアオサギですからアオサギについてもほぼ同じと考えて差し支えないでしょう。

生存率、死亡率といったこの種の調査は、人の国勢調査と同じで、まず個々の鳥を識別しないことには始まりません。どのように識別するかというと、鳥では脚輪を付けるというのが一般的です。ただ、サギのように警戒心の強い鳥は簡単には捕まりません。そこで、巣にいるヒナを捕まえることになるのですが、樹上高いところに巣をつくる鳥なので作業はとても厄介です。その上、コロニーで捕獲するとなると、よほど注意してタイミングを選ばないと、ヒナが捕食者に襲われるなど彼らの営巣活動に多大な悪影響を与えかねません。そんなことで、私はコロニーでの捕獲は行ったことがありません。ところが、海外では昔からけっこう大胆にコロニー内での捕獲が行われているようなのです。そして、相当数のアオサギやオオアオサギのヒナに脚輪が付けられています。写真は前述のオーエンさんがオオアオサギの巣に登って調査しているところ(D.F.オーエン著、1977年、「生態学とは何か」より)。これはヒナに脚輪を付けるためではなく、おそらく別の調査時の写真だと思われます。それにしても、かなり大きな巣ですね。

話が少し脱線してしまいました。元に戻って死亡率についてです。左のグラフ(上記「生態学とは何か」より、一部改変)は先ほどのオーエンさんがまとめたもので、アメリカ全土で回収されたオオアオサギの1年目幼鳥の死体数を月別に表したものです。オオアオサギの巣立ち時期は個体によって多少ずれますが、大ざっぱにグラフの左端の7月にほとんどのヒナが巣立っているとみなして問題ないと思います。御覧のように死亡数が多いのは巣立ち直後で、その後、徐々に少なくなっていきます。7月の死亡数がそれ以降の数ヶ月にくらべて少ないのは、まだ巣立っていないヒナがいるということと、巣立ち直後で体に多少の蓄えがあり、少々食べなくてもすぐには餓死しないということでしょう。

ともかく、幼鳥にとっては巣立ち直後が最大の山場。別の研究者の報告では、コロニーを出て55日以内に40-70%の幼鳥が死亡するという見積りもあるくらいです。けれども、その時期をなんとか食いつなぐことができれば、翌春を迎える頃には餓死する可能性はぐんと減ります。冬は餌条件が厳しく死亡率も当然高くなるだろうと私は考えていたのですが、そういうわけでもないようです。冬よりも巣立ち直後のほうが圧倒的に死亡数が多いところをみると、餌が得られにくい状況よりも餌獲りの技量が劣ることのほうがよほど致命的ということですね。

こうして、たった1年のうちにかなりの幼鳥が死んでしまいます。オーエンさんはその死亡率を71.1%と見積もっています。これはアオサギの場合でもだいたい似たようなもので、いくつかの研究報告のうち、低いものでも55.8%、高いものでは78%というのもあります。せっかく巣立っても、1年以内に8割近くが死んでしまうのではやりきれませんね。兄弟間のあの熾烈な餌争奪戦を生き抜くだけでも大変なのに、ようやく巣立つことができたと思ったら、その時点で、一年後に生きている確率は20%と宣告されるのですから。

けれども、その一年を無事に切り抜けることができれば2年目の死亡率はぐんと下がります。そして、3年目以降はだいたい20〜30%ていどで推移するようです。それでもやはりかなり高い死亡率です。ちなみに、死亡率20%というと、たとえば日本人の男性では93歳頃の死亡率と同じです。アオサギやオオアオサギに関する死亡率は複数の研究で調べられていて、だいたい同じような推定値が出ています。それらの結果をもとに平均的な値をとって生存率を計算すると、100羽のヒナが巣立ったとして、10年後まで生きられるのは1羽か2羽というところ。ただし、中にはその後さらに10年、もしかすると20年と生きるサギもいるのですから、決して短命なわけではありません。彼らの大多数は一年未満、そうでなくてもほんの数年の命しかありません。しかし、その一方でごく少数のサギたちは何十年も生きることができるのです。何とも不思議な世界です。

満月で一休み

今夜は中秋の名月ですね。写真はその名月とアオサギ、と言いたいところですが、残念ながらこれを撮ったのは初夏。夜明け前に西の空に沈みゆこうとする月と巣立ちを前にしたヒナの取り合わせです。

それから数ヶ月。このヒナが本物の中秋の名月を拝めるとすれば、巣立ってからこれまでの月日をかなり上手く生き抜いてきたということになります。たぶん、仲間のうち2割か3割はすでにこの世にはいないはず。たとえ生き残っていても、胃の中は空っぽで餓死寸前の幼鳥も多いことでしょう。独り立ちしているとはいえ餌捕りの技術がまだまだ劣る幼鳥たちは、満腹の成鳥が休んでいる傍らでいつまでも餌を探し続けなければなりません。

けれども、もしも今、彼らが干潟の表れる浅瀬を餌場にしていたら、これからしばらくは一息つけるかもしれません。なぜなら、満月の日から少し遅れて訪れる大潮は、その干潮時にアオサギの採餌場として絶好の浅瀬を提供してくれるからです。その上、夜でも月明かりで餌を見つけやすいというおまけも付けてくれます。

満月の日に魚がよく釣れるというのは人もアオサギもたぶん同じなのでしょうね。

鷺の漢字

サギは漢字で鷺と書きます。今はスペースキーを押せば勝手に変換されますからパソコン上では誰でも鷺の字を書けますが、何も見ずに書ける人は意外と少ないかもしれませんね。それに画数が多いので、活字だけ見れば鷲などと混同されかねません。それが原因で、たとえばハムレットの一節、「(ハムレットの狂気は北北西の風のときにかぎるのだ。)南になれば、けっこう物のけじめはつく、鷹と鷲との違いくらいはな。」などという大変な誤植が生まれたりします(詳しくは「文学の中のアオサギ」の2002/11/11の記事をご参照下さい)。

ところで、この鷺という漢字、なぜ路に鳥と書くのでしょう? 何かの本に、サギは露のように白いことから鷺という字が当てられたとありました。たしかに、鷺という字が出来た時代は、鷺と言えば通常はシラサギを指していたと考えられますから間違いとは言い切れませんが、それにしてもいかにも取ってつけたようで嘘っぽいです。そこで、「路」そのものの意味を当たってみました。白川静著「常用字解」では「路」を次のよう解説しています。

各はさい(注1)(神への祈りの文である祝詞を入れる器)を供えて祈り、神の降下を求めるのに応えて、天から神が下ることをいう。それに足を加えた路は、神の降る「みち」をいう。[説文]二下に「道なり」とある。異族の人の首を持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を払い清めたところを道といい、道路とは呪力によって祓い清められたみちをいう。

(注1):「さい」という字はアルファベットのUの真ん中にはみ出さないように横棒を引いた形。

まさにこれです。これなら鷺の名前の由来にぴったりです。

古来、鳥というのは神の世界(あるいは冥界)と人の世界を自由に行き来できる存在とみなされてきました。これは地域、文化の隔たりを超えてかなり普遍的に流布されているイメージです。中でもサギは各地の神話や伝説に頻繁に登場しており、神々と人々を繋ぐ鳥として非常に人気があったようです。

たとえば、古代エジプトでアオサギがモチーフとなったベヌウという聖鳥がいます。このベヌウはオシリスの心臓から生まれ出たとされており、オシリスの司る冥界と地上の世界を自由に行き交うことができました。また、ギリシャでは女神アテネが戦場にいるオデュッセウスに伝言するのにサギを遣わしています。神のお使いとしての鳥という点では共通したイメージですね。

もちろん日本も例外ではありません。日本の場合も、大昔、とある神様のお遣いとしてサギが地上に降り立っていた時代があったのです。そのことは「サギ」が「サギ」という音で呼ばれていることが何よりの証拠です。謎をかけたままで申し訳ないのですが、この話は長くなるのでまたいずれ。今回はそれよりやや時代の下った「古事記」の頃の話を紹介します。

「古事記」にはサギの登場する場面が2ヶ所あります。このうち今回の話題に関係のありそうなのは天若日子の葬儀の場面です。天若日子というのはもとは高天原にいた神様で、ある神様を連れ戻すよう天照大神の命を受けて地上に降りてきます。ところが、ミイラ捕りがミイラになって天若日子も戻ってきません。そこで、天照大神は第二弾として雉鳴女を遣わします。これが雉鳴女でなく鷺鳴女とかであればとてもきれいに話がまとまるのですが、そう上手くはいきません。さて、雉鳴女は天若日子の家の庭にある木にとまると高天原の神様たちの伝言を伝えます。ところが、愚かなことに天若日子はこの雉を矢で射貫いてしまうのですね。射られた矢は雉を貫き天上まで達し、そこにいた神様が投げ返した矢は天若日子の胸を貫いてしまいます。こうして天若日子の葬儀が行われることになったのです。この葬儀ではいろいろな鳥がそれぞれ違う役割を担って登場します。ガンは岐佐理持(きさりもち)、カワセミは御食人(みけびと)、スズメは碓女(うすめ)、キジは哭女(なきめ)という具合です。そして、サギはというと掃持という役目です。掃持とは葬儀の際に穢れを祓い、墓所の掃除のために箒を持ち従う者なのだとか。

どうやら、上手い具合に「路」の語源と繋がってくれたようです。

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