アオサギを議論するページ

脱走フラミンゴ、いのちの行方

フラミンゴが旭山動物園を脱走したのが去年の7月18日。あと1週間ほどで、その脱走劇も半年になろうとしています。あのフラミンゴはこの寒い冬を、いまどこで、何を思って過ごしているのでしょうか。

本来、このサイトはアオサギのことしか書かないのですが、フラミンゴがコムケ湖での一時期をアオサギとともに過ごしたという誼もあり、今回は特別にフラミンゴのためにページを割きたいと思います。

先日、テレビ東京で、旭山動物園のドキュメンタリー番組が放映されました。その中で坂東園長は、脱走中のフラミンゴは、本来、日本にいない生き物なのだから、捕獲できなければ駆除(射殺)も止むなしとの発言をされました。これは、そうですかと打ち捨てておけるような類の発言ではありません。影響はフラミンゴにとどまらず、日本にいない生き物全体に及びますし、生き物のいのちをどう考えるのかという根本的な問題に触れることでもあるからです。そもそも、フラミンゴを駆除する正当性があるのかという疑念が私にはありました。旭山動物園の園長だからといって、常にその発言が正しいわけではありません。そこで私は、昨日、坂東園長宛に問い合わせのメールを送りました。内容は、駆除の根拠、社会的合意の必要性、情報の開示に関するものです。これは要約すると論旨が理解されなくなりそうなので、少々長くなりますが、以下にその全文(前文、末文を除く)を掲載します。

お尋ねしたいのは、フラミンゴを捕獲できなければ駆除も止むなしとの判断に至った根拠です。今月6日にテレビ東京で放映された番組の中で、坂東さんご本人が同趣旨のことを語っておられました。その後、私は、関係する法律、条例にいたるまでことごとく目を通してみましたが、今回のケースで駆除が許可される蓋然性のある規定はひとつも無いと解釈しました。

坂東さんが駆除の根拠にされたのは、平成16年に環境省が告示した『展示動物の飼養及び保管に関する基準』ではないかと考えます。これは告示ですから、本来、書かれた内容に法規的性質はありません。ただし、この場合は、動物愛護法の規定を補充する内容であることから、実質的に法規の性質を持つものと考えられます。この基準中、「終生飼養等」の項に、展示動物が「人又は他の動物に著しい被害を及ぼすおそれのある場合」は、管理者は殺処分が可能であると解釈できる一文があります。もし今回のフラミンゴがこのケースに該当するのなら、最終的には駆除も止むなしとした坂東さんの判断は妥当だと私も納得できます。しかし、影響の程度が「著しい」ものでない場合、この基準は駆除を正当化するものではありません。

坂東さんが駆除が止むなしとお考えになったのは、この影響の程度が「著しい」と判断したからだと推察します。私は「著しい」とは考えません。その論拠を以下に説明します。

まず、人への影響についてです。人に危害を加える可能性、農林水産業へ経済的な被害を及ぼす可能性、いずれも全く無いとは思いませんが、逸走しているフラミンゴが1個体であることから、その影響は極めて軽微であると考えます。

つづいて自然生態系への影響です。これまでのご発言から判断して、坂東さんはこの点をもっとも重視されていると感じました。在来種でない生き物が自然生態系に悪影響を及ぼす可能性があることについては私も異論ありません。しかし、今回の場合、フラミンゴは1個体であり、他の動物への影響は限定されています。また、国内の自然環境には、他にヨーロッパフラミンゴが生息していないことから、野外で繁殖し子孫を増やす可能性は現時点でゼロです。また、国内には近縁な種も存在しないことから、異種間での交雑が起こる可能性もありません。さらに、渡りの可能性が考えられる東南アジアやロシア極東についても、フラミンゴ科の鳥類は生息しておらず、国内の場合と事情は変わりません。

一方、これらは現時点での状況であり、今後、逸走中のフラミンゴが生存しつづけた場合、別の新たな逸走フラミンゴとつがいになるなど、将来、懸念される事態がまったく起きないとの保証はありません。しかし、そうしたことが起こる確率は非常に小さいと私は考えます。

以上のことを総合的に考慮した結果、私は、今回の逸走フラミンゴによって「著しい」被害を予想するのは困難であるとの結論に至りました。つまり、私としては、坂東さんの今回の発言内容に、駆除を正当化するのに十分な根拠は無いと考えます。

私は、動物のいのちの尊厳に対する坂東さんの認識を疑うものではありません。ただ、動物に対して個人が抱く意識や感情はさまざまであり、この種の問題で重大な決定を下す際には、その判断に対して人々から広くコンセンサスが得られていなければならないと考えます。これが動物のいのちに対する考え方に大きな影響力をもつ旭山動物園の園長としての発言であればなおさらです。

平成18年に環境省が告示した『動物の愛護及び管理に関する施策を総合的に推進するための基本的な指針』に、「合意形成」について書かれた箇所があります。そこでは、「国民が動物に対して抱く意識及び感情は、千差万別」であり、外来生物の駆除等々、法に基づいて行われる行為においてさえ賛否両論があることを認めています。続けて、「個々人における動物の愛護及び管理の考え方は、いつの時代にあっても多様であり続けるものであり、また、多様であって然るべきものであろう。しかし、万人に共通して適用されるべき社会的規範としての動物の愛護及び管理の考え方は、国民全体の総意に基づき形成されるべき普遍性及び客観性の高いものでなければならない」としています。これは私もまったく同意見なのでそっくり引用しました。この指針を踏まえた上で今回の件を振り返ってみますと、「捕獲できなければ駆除も止むなし」との判断は、現段階で「国民全体の総意に基づき形成されるべき普遍性及び客観性の高い」考え方とは到底言えません。今回の問題に関しては、いまだ国民の同意が得られている段階にはないと考えます。

今回、坂東さんの見解はメディアを通して全国に発信され、すでに衆目を集める状況になっています。断片的なことしか伝えられないメディアの弊害とはいえ、視聴者には番組が放送したとおりの形でしか伝わりません。もともと日本にいない生き物は殺さなければならないという発言は、それが旭山動物園の園長の発言である以上、当然、法的にも正当性があるものと多くの人は捉えるはずです。私がもっとも危惧するのはまさにこの点です。そして、今回の坂東さんの見解が、逸走中のフラミンゴだけでなく、「もともと日本にいない生き物」全般に対しても適用されかねないことを懸念しています。

繰り返しになりますが、今回の件については、私は法的な正当性は無いと考えています。また、もし仮に正当性が認められるとしても、前述した「著しい」のていどの解釈をはじめ、議論すべき事項は多々残されています。こうした社会的コンセンサスが得られていない問題については、公での発言には慎重であるべきで、もしどうしても駆除が必要とのお考えであれば、法律上の正当性を含め広く議論し、予めコンセンサスを得ておく必要があると考えます。

そこで、最後に私からお願いがあります。今回の件に関する貴園の今後の行動計画について、その計画が必要であると判断された論拠とともに、何らかの形で公に示していただけないでしょうか。差し出がましい発言を許していただけるなら、今回の一連の出来事に対する貴園への非難の一部は、貴園が捕獲の理由を世間が納得できる形で示してこなかったことにあると私は思います。ことここに至っては、その生き物が日本にいないからという理由だけでは、もはや世論を納得させることはできません。捕獲を継続し、最終的には駆除しなければならないとの判断について、具体的で、誰もが正統と認める論拠が是非とも必要です。

なお、今回の出来事については、坂東園長ご自身がその経緯を『ゲンちゃん日記』で説明されています。ただし、昨年9月に書かれたものなので、それ以降のことは分かりません。また、今回問題にした番組はこちらのページに動画が貼られています。フラミンゴの話は23:27辺りから始まります。問題の発言の箇所では、坂東園長はそれを当然のこととして語っているのではなく、かなり逡巡されながら苦悩の果てに話された、そんな感じを受けます。番組だけを見ると、番組のつくりのせいもあり、どうしても坂東園長に同情する声が多くなるのは分かります。しかし、今回の問題は、動物のいのちをどう考えるのかという極めて重要な問いが含まれており、感情を差し挟む余地のないところできちんと議論されなければなりません。今回ここに載せた坂東園長への手紙が、建設的な議論をするための判断材料のひとつとして役立てれば幸いです。なお、この手紙に対する動物園側の対応については、何らかの動きがあり次第、ここでもお伝えしていきたいと思います。

動物愛護法関連の法令や基準には、「命あるものである動物」という文言が繰り返し繰り返し出てきます。単に「動物」とせず、あえて「命あるもの」と形容するのは、それが動物愛護法の核となる精神に他ならないからです。手紙の中で引用した『展示動物の飼養及び保管に関する基準』には、展示動物を止むを得ず処分しなければならないときでも、「動物が命あるものであることにかんがみ、できるだけ生存の機会を与えるように努めること」との一文があります。今後、今回の問題が議論されるにあたって、「命あるものである動物」の語に込められた思いが、普遍的価値をもつもとして再確認されることを切に願わずにはいられません。

【追記】これを書いて数時間後、坂東園長から回答の電話をいただきました。駆除は法的にもできないし、するつもりも無いとのお話でした。番組では、坂東園長の意図するところとは別の形で発言の内容が伝わってしまったとのことです。如何ともしがたいメディアの弊害ですね。坂東園長には本当に丁寧に説明していただき感謝しています。とりあえず、これでひと安心です。昨日は浦河のほうで動物写真家の方がフラミンゴを目撃したとの情報もあります。今回の出来事がハッピーエンドの結末を迎えられるよう祈っています。

アオサギのイメージいろいろ

nenga明けましておめでとうございます。
本年もまたゆるゆるとやっていきますので、お時間のあるときにお立ち寄りいただければ幸いです。

今回は正月らしく肩の凝らない話題をということで、アオサギという鳥がどのような印象をもたれているのかを、ネット上の言葉から拾ってみました。ここふた月ばかり、思いついたときにツイッター内を「アオサギ」で検索して集めたものです。

まずはポジティブな評価から。

・アオサギが好きです
・アオサギだー(*◎∀◎)!!この鳥大好きなんです♪

これはストレート。何もコメントすることはありません。好きなものは好きなんだから仕方がないですね。

ということで、もう少し具体的な印象を見てみます。アオサギを形容する言葉でもっとも目に付いたのは、なんと「かっこいい」という表現でした。

・アオサギ、カッコいいですよね。
・アオサギかっこいい。
・あの鳥格好いいですよね!
・アオサギかっこいいよアオサギ。
・青鷺さん、白鷺さんはやっぱりカッコイイ!
・アオサギは立ってるところもかっこいいです。
・アオサギのヒナ♪なんてカッコいいんだ!(*゜∇゜)q
・スタイリストのアオサギ格好良いですね。
・獲物を狙って佇む感じがプテラノドンぽくてかっこいいです。
・アオサギは、いつ見ても一匹狼で仙人の様な佇まいが、格好いい。
・!やべえ!近い!でかい!格好良いー!!。+゜(ノД`*).:。もううう大興奮!

スタイルのかっこよさもあるんでしょうけど、他を簡単に寄せ付けない佇まいにかっこよさを感じている人も多いのかもしれません。

一方で、「かわいい」と感じる人も。

・わあ可愛い!
・わー可愛いのいた!!
・頭の後ろの長い黒冠羽2本が可愛い。
・アオサギさんはひとりで遠い目してるのがかわいい。

「かわいい」というのは「かっこいい」に比べると適用範囲の広い言葉ですから、同じものを見ても、なんでこんなのがかわいいのか、という場合もあると思います。けれども、嘘でも誇張でもなく、あんなアオサギでも文字通りかわいく見えることがあるんですよ。

その他、肯定的な印象のツイートを並べてみます。

・白サギと感じ違うねwなんかワイルドww
・アオサギがすごく綺麗
・アオサギってばっさばっさ感も含めて白いのよりも優雅(主観)なところが好きです。
・優雅と形容したくなりますね。
・あの優雅な足さばきに、ほれぼれ~。羽を大きくひろげて飛んでいくところに、くらくら~って^^♪
・美しくっていつも心をすっと元に戻してくれる。
・いつ見ても大きく、優雅で存在感を醸し出す鳥です!!
・群れずに一匹狼で、仙人の様な佇まい。その様が、いつも実に凛々しい。
・アオサギはダイサギより大きいんですよ色もおしゃれ
・アオサギきたwwwwあいつの存在感異常

みなさん、さまざまな印象をもたれているのですね。どの感想にもいちいち共感できます。

では続いて、ネガティブイメージ、行ってみましょう。

・なんかダミ声なんですよアオサギて。
・ぐえーぐえーってアオサギの鳴き声かっこわるい
・アオサギって「がらがらがらがらぁ…」って品の無い鳴き方
・アオサギの声って結構大きくて汚いですよね(^^;)
・怪鳥の雄叫びっぽい感じで鳴いています。
・すっごく鳴き声が汚いんですよ(主観)。油差してないブランコ揺すった音みたいな声で鳴くの。

なにもそこまで具体的に書かなくてもと思いますが、一番の不人気はやはり声なんですね。ただ、これは日本人の感性によるところが大きいのかもしれません。実際、英文で書かれたものには、声が悪いというのは一度も見たことがありませんから。この辺は、感性というか、美意識の違いということになるのかなと。アオサギの声と一口に言っても、彼らはいろいろな鳴き声をもっています。偏見を取り払って耳を澄ませば、意外に清らかな声に聞こえるかもしれません。

あと、とくにネガティブなイメージというわけではありませんが…。

・目が怖いんだよな・・・
・生で見ると恐竜みたい
・プテラノドンかと思ったわ。
・恐竜に近い生物やと思ってます。
・暗闇に響くアオサギの声。ジュラシックパークの世界のようだ。
・なに考えてるのかわからない度が高い

これもよく分かります。私もアオサギに初めて遭ったときは、プテラノドンかと思いましたから。その直後にコロニーを見て、ジュラシックパークに迷い込んだかと。あれは衝撃的な体験でした。「なに考えてるのかわからない」というのも、アオサギに爬虫類的で恐竜チックな目を見てしまうからなんでしょうね。

そんなわけですから、アオサギとの遭遇は、ときに恐怖体験にもなります。

・夜道に何度こいつにびびらさせられたことか…。
・でかいアオサギが道の真ん中に立ってて、一瞬めっちゃスリムな人影に見えてびっくりしたりもしますw
・川の中に幼稚園くらいの子供が立っている!と思ったらアオサギだった(;´д`)急に飛び立ってこちらにきたので、ラドンに襲われたらこんなん感じか?と思った。怖かった!

江戸時代には、アオサギは妖怪だったわけですし、その雰囲気は今でも多少残っているのかもしれません。ときどき人を驚かせてみたくなるのでしょう。

・すごいふてぶてしい態度しちょるし。とりあえず敵と認識

まあ、そう言わずに、とりあえず良いところも見つけてください。

なんだかんだ言っても、好悪の感情にかかわらず、ここまで多様な見方をされる鳥というのはそう多くない気がします。それがアオサギの魅力でもあるんですね。

そんなことで、今年も、かっこよく、かわいく、野性味があって、きれいで、優雅で、美しく、凛々しく、おしゃれで、存在感があって、恐竜みたいで、声に品のない鳥のことについて、あれこれ書いていこうと思っています。本年もどうぞよろしくお願いします。

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