アオサギを議論するページ

『幻像のアオサギが飛ぶよ』書評

reviw当サイトの掲示板にもときどき投稿して下さっている佐原さんが、先日、『幻像のアオサギが飛ぶよ』という本を出されました。佐原さんはアオサギやゴイサギなど鳥や魚の生態を長年研究されてきた方ですが、今回の本はタイトルから推察されるように純粋な生物学からはかなりかけ離れた内容になっています。ひと言で言うと、アオサギと人の関わりを文化史の面から考察していったものです。この手の話には私も一方ならぬ関心があり、ことあるごとに当サイトでもあれこれ書き散らかしてきました。じつはそうした私の興味自体、佐原さんから相当な影響を受けてきたのです。

そんなことで、先日、新聞に同書の書評を書きました。掲載誌は佐原さんの地元である津軽地方の陸奥新報で、掲載日は4月1日です。書評を読んで興味をもたれた方は本のほうもぜひ読んでみて下さい。

人とアオサギの文化史

古来、人は動物にさまざまなイメージを付与してきた。アオサギにあってもそれは例外でない。例外でないどころか、イメージの豊かさという点では他のもっと身近な動物に勝るとも劣らないだろう。

本書は、そうしたアオサギのイメージ、「アオサギ観」に焦点を当て、人とアオサギの関わり合いの歴史を紐解いたものである。まずタイトルが印象的だ。これは近代詩の一節からとられたものだが、日本人のアオサギイメージの一典型として示されている。このように、著者は近代詩をはじめとした古今東西の文献資料を幅広く渉猟し、それら一連のテキストから日本人独特のアオサギ観を洗い出す。

そして、そこで浮き彫りになるのは「憂鬱で不気味な」アオサギである。一方、西洋のアオサギは「高貴で精悍だが孤独」だという。どこでこのような違いが生じたのか? なぜ日本のアオサギ観はこうもネガティブなのか? その理由として提示される事実はなかなか衝撃的だ。日本のアオサギはかつて妖怪視されていたというのである。ところが、時代をさらに遡ると田を守る穀霊であったともいう。穀霊から妖怪への大転換。なぜそんなことが起こったのか? そこにはまたシラサギを交えての新たな謎解きが控えているのだ。人とサギ類の関わりはかくも奥深い。

本書の特徴は、こうした謎解きが文献からの推測にとどまらず、生物学的事実に裏付けられていることにある。アオサギの登場するさまざまな文化史的テキストを縦糸に、生物学的知見を横糸に、日本人のアオサギ観を丁寧に織り上げる、これは相当にしんどい作業である。にもかかわらず、堅苦しさを感じることなく著者と一緒に謎解きが楽しめるのは、「(アオサギの)研究と並行して、アオサギゆかりの品々を集め始めた」という著者の軽やかで旺盛な好奇心が語りのそこかしこに感じられるからだろう。

なお、本書が単なる碩学の書ではないことは強調しておかなければならない。人とアオサギの関わりの歴史を通して生きものに親しみを感じ、ひいては生きものの保全に関心をもってほしい、それが本書に通底する著者からのメッセージである。本書を読んでアオサギと共有してきた歴史を心の内に感じられれば、アオサギはもはや得体の知れないよそ者ではない。もちろん妖怪でもない。いまや我々は共感できる隣人になり得るのである。

サギ類一斉調査ご協力のお願い

《注意》この記事はエイプリールフール用に書いたものでまったくの出鱈目です。お間違いなきよう。

すっかり春めいてきましたね。ここ北海道では南からのアオサギの群れが続々と到着し、日ごとにコロニーが賑やかになっているところです。

さて、すでにいろいろなところで話題になっているとおり、今年は全世界でサギ類の一斉調査が行われています。サギというと大きくて目に付きやすいため調査も十分になされていると思われがちですが、これが意外にほとんど調査されていないのですね。比較的丁寧に調査されているのはヨーロッパ、あとは北米ぐらいなもので、そのほかの地域は日本も含めもう全然ダメなのです。そんな状態ですから、今回のプロジェクトに寄せる期待は嫌が上にも高まります。

今回の調査はGoogleが進めているGoogle Maps of Wildlifeプロジェクトの一環で行われるもので、小型機を利用し上空からサギ類のコロニーを探索するのが目的です。ただ、困ったことに現段階で調査者がまだ全然足りてないのですね。日本での調査時期は5月、6月ということで、もうひと月しかありません。ところが、北海道地域だけでも調査スタッフが少なくともあと10人は必要という状況なのです。そこで今回のプロジェクトに携わっている者のひとりとして今回あらためてご協力をお願いしているような次第です。

本年度はコロニーの位置とおおよその規模の把握が目的で、種ごとの営巣数など詳細な情報収集は求められていません。そのため、調査者には特別な能力は必要なく、車が運転できるていどの普通の視力があって飛行機が苦手でなければどなたでも参加可能です。

なお、今回のプロジェクトはGoogleに加えてNational Geographicも協賛という形で参加しています。なので、ご想像のとおり調査資金はけっこう潤沢で、調査に参加される方には相当な謝礼が用意されているようです。まあ謝礼はおまけのようなものですが、航空機センサスなど個人ではなかなか企画できるものでありませんし、またとない貴重な体験になるのは間違いないと思います。そんなわけで、とりあえず以下に募集の詳細を貼っておきます。ご協力いただける方には私からもアオサギカレンダーを差し上げますので、お時間に都合のつく方は是非ご検討ください。どうかよろしくお願いいたします。

『Google Map of Wildlifeプロジェクト』調査者募集のお知らせ

その鷺、青き衣を纏いて…

アオサギは青くもないのになぜ青鷺なのかという疑問。おそらくこれは数あるアオサギの疑問の中でも筆頭に位置するのではないでしょうか。たしかに、色で名付けるなら灰鷺のほうが妥当なように思えます。実際、世界のほとんどの国では「灰色の鷺」と呼ばれているわけですから。ところが、この疑問の答えを見つけようとネット上を調べてみても、分かったような分からないような説明しか出てきません。曰く、古語では灰色のことを青と言っていた云々。もちろんそれも間違いではないのですが、これで納得できる人はかなり物分かりの良い人でしょう。

そこで、今回はこのことをもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。まずアオサギの青はどの漢字で書くのが正しいのかという問題。「青鷺」と「蒼鷺」、これはどちらも正解です。それに、いずれか片方が最近になって加わったとかではなく、両方とも大昔から日本で使われてきた漢字です。「青鷺」のほうは奈良時代初期に編纂された『常陸国風土記』に出てきますし、「蒼鷺」のほうはこれも奈良時代あるいはそれ以前に書かれた『漢語抄』に出てきます。「蒼鷺」のほうがなんとなく古そうですが、実際そのとおりで、「蒼鷺」の漢字は中国から伝わったものなのです。だから、今でも中国では「蒼鷺」の字が使われています。一方、あちらには「青鷺」という語はありません。アオサギといえば「蒼鷺」であって「青鷺」ではないのです。というのも、中国の青は日本の青と色合いがずいぶん異なるからなのですね。あちらの青は日本の青に比べるとずっと緑がかった明るい青色を指すようです。これではもうまったくアオサギの色合いとは言えません。かといって、日本の青がアオサギの色合いに合致するかといえばこちらもさっぱりですが…。そんなことで色の問題はともかく、「蒼鷺」の語が中国起源で、これが日本に伝わった後、蒼の代わりに青が当てられたというところまでは間違いなさそうです。

さて、青くもないサギになぜ青という色を冠したのかという冒頭の疑問。これはネットの知識的には、時を経るうちに青の意味が変わってしまったということで簡単に片付けられるわけですが、もう少し具体的に言うと、昔は現在の青色だけでなく、緑や灰色など寒色系の白黒はっきりしない色が総じて青とみなされていたということです。もっとも、昔の人の色の識別能力が現在の人より劣っていたということではありません。視覚的に見えているものは現代人も昔の人たちも同じです。要は、昔の人々には青や緑や灰色など個別の色をこと細かく区別する必要性がなかったということなのですね。結局、必要性こそが言葉をつくっているのです。

現代の日本では青と灰色を違う言葉で表せないと何かと不便ですが、では、朱色と橙色の違い、あるいはバーミリオンとスカーレットの違いはどうだと問われれば戸惑ってしまう人がほとんどではないでしょうか。それらの色が微妙に異なることは視覚的には分かっても、その色区分に実際的な意義を見い出せる人などほとんどいないと思います。それらの色を区別できなくても何不自由なく暮らしていけますから。同様に、もっと単純な色区分だけで用の足りる社会であれば、青と緑、青と灰色をわざわざ分ける必要などどこにもないのです。実際、ごく最近まで(あるいは今も?)青や灰色のない言語、社会はけっこうあったそうですよ。

そんなことで、色の種類は社会的必要性に迫られて少しずつ増えていくというのが普通のようです。なので、最初はどの社会どの言語でもわずかな色区分しかありません。そして面白いことに、色の表現の初期の段階では、あらゆる言語で例外のない規則があるということです。つまり、まず黒と白が区別され、その次に赤が来るという規則性ですね。この段階では青はまだ現れず、青の色合いは黒とみなされることが多いといいます。で、この黒白赤3つの色の次に、緑、黄、青という辺りが区分され、さらに後になって灰色などの曖昧な色が追加されていくようです。この辺のことは『言語が違えば世界も違って見えるわけ』という本に詳しく書かれているので興味のある方はぜひ読んでみてください。とても面白い本です。

この色の表現についてもう少し説明すると、黒、白、赤、青はどれも「い」で終わる形容詞形をもっています。緑や紫や灰色などはそうはいきません。つまり、黒、白、赤、青の4色はその他もろもろの色とは一線を画した別格の語彙と言えそうです。色の名そのものを表すということの他に、モノの様態や様相を表す言葉でもあったということなんですね(なお、黄色と茶色にも「い」が付けられますが、これらは黒、白、赤、青とは別の成り立ちをもつようです)。

それでは青が色以外に意味するものとはいったい何なのでしょう? これはおそらく無数の説があるのでしょうが、ここではありふれたものではない説を敢えて挙げてみたいと思います。まず、宗教(仏教)上の解釈として、青は死や怒りといった負のエネルギーを表しているという説があります。たとえば、青色の肌をしたインドのシバ神などがこれに当たります。また、青は魂や霊威の横溢した状態を示すとの解釈もあります。これはさらに青が呪力をもつという解釈にも繋がります。これらのイメージはベクトルの向きは多少違えど、いずれも強烈な精神性をもつという点ではかなり似通ったものと言えそうです。

一方、そうした青のイメージの受け入れ母体となるアオサギはというと、これこそ人によってそのイメージはさまざまなはず。けれども、アオサギの恐竜っぽさとか近寄りがたさとか、立ち姿の凜とした感じ、水面下に獲物を狙うときのはち切れそうな緊張感、そうした印象はそれほど個人差なく誰もが共通に感じとれるものではないでしょうか。そして、これらアオサギに本質的に備わっているイメージは、上に挙げた青の意味するものとかなりよく共鳴するような気がするのです。

アオサギがイメージを生成する主体だとすれば、青という語は基本的にアオサギに関係なく生成されたイメージの集合体といえます。このふたつがアオサギの色合いを拠り所に合体するとき、そこには名付け親が予想だにしなかった生成変化が起こるはずです。アオサギは青の語をさらに進化させ、青はアオサギをさらに魅力的な存在に変える…、これは青や赤白黒にしかできないマジックです。とても灰色や茶色の真似できる芸ではありません。アオサギが青鷺であり灰鷺でなかったことの意味はとてつもなく大きいのです。

アオサギの駆除に対する国の姿勢

今回は少し堅苦しい話になります。内容はタイトルに示したとおりでアオサギの駆除に関してのものです。あまり世間で話題になる話ではありませんが、アオサギは有害鳥獣とみなされる場合があり、全国各地で何千羽ものアオサギが毎年駆除されています。そして、この駆除件数はここ十数年のうちに激増しています。問題はその駆除が不当な理由で行われることが多々あることです。このことについては私も関わっている北海道アオサギ研究会が「アオサギの有害駆除に係る問題点に関する報告」として詳しくまとめていますので興味のある方はぜひご覧下さい。

今回は、この問題多き有害駆除に対し国がどのような考え方をもっているのかを話題にしてみたいと思います。北海道アオサギ研究会では上記報告書にもとづき、一年以上前に国に対して3つことを要望しました。その後、長い間、何の返事もなかったのですが、再度、回答するよう催促してみたところ、先月中旬になってようやく簡単な回答が届きました。以下、それぞれの要望と回答を見ていきたいと思います。なお、3つの要望のうち捕獲実績を管理するシステムの整備については、国も問題改善の意思をもっているようなのでここでは割愛します。

まず、それ以外のひとつ目の要望、アオサギを「特に慎重に取り扱う」べき種へ変更すべきとの要望です。「特に慎重に取り扱う」べき種というのは、国の定めた「鳥獣の保護を図るための事業を実施するための基本的な指針」で以下のように規定されています。

狩猟鳥獣、ダイサギ、コサギ、アオサギ、トビ、ウソ、オナガ、ニホンザル、特定外来生物である外来鳥獣、その他の外来鳥獣等(タイワンシロガシラ、カワラバト(ドバト)、ノヤギ等)以外の鳥獣については、被害等が生じることはまれであり、従来の許可実績もごく僅少であることにかんがみ、これらの鳥獣についての有害鳥獣捕獲を目的とした捕獲許可に当たっては、被害の実態を十分に調査するとともに、捕獲以外の方法による被害防止方法を検討した上で許可する等、特に慎重に取り扱うものとする。

つまり、現状ではアオサギは「特に慎重に取り扱う」べき種から外されているわけです。以下、研究会からの要望と国の回答です。

要望 平成19年1月に告示された鳥獣保護法の指針以降、駆除を目的とした捕獲を許可する際の「特に慎重に取り扱う」べき対象種からアオサギが除外されている。この措置は計画性のない安易な駆除を助長し、結果としてアオサギの被害を拡大している可能性がある。アオサギは明確な個体群構造を示す種であることから、駆除による影響が個体群レベルで顕在化しやすく、個体群構造の不安定化がさらなる被害をもたらす場合が多い。このため、アオサギの鳥獣管理は個体群構造を理解した上で周到な計画に基づいて行うことが不可欠である(詳細は報告書5.参照)。以上の理由により、アオサギを「特に慎重に取り扱う」べき種へ変更することを求める。
回答 鳥獣の保護・管理においては、地域の実情や種の特性などに応じて、被害の防除・個体数の管理・生息環境の整備を行う必要があります。このことを踏まえ、本基本指針においては、有害鳥獣捕獲のための捕獲許可は原則として防除対策をしても被害等が防止できないと認められるときに行うこととしています。ご指摘の「特に慎重に取り扱う」としている種は、被害等が生じることがまれである、ないしは、従来の許可実績がごく僅少である種を指しているに過ぎず、それ以外の種を無秩序に駆除することを容認する趣旨ではありません。

正直なところ、国からのまともな回答など端から期待してないのですが、案の定、今回の件についても期待に違わず見事に的外れな回答でした。無秩序な駆除が容認される種があるなどといったい誰が考えるのでしょうか? こういう答え方をされると、質問をわざとはぐらかそうとしているのか、それともまともに答える能力が無いのか、どちらなのか理解に苦しみます。

話を戻しますが、そもそもこの分類には、被害の生じる頻度と従来の許可実績数というたった2つの基準しかなく、そのことがさまざまな問題を生む原因となっています。駆除によってその種にどのような保全上の悪影響が想定されるかといったことはまるで考慮されていません。アオサギなど集団繁殖を行う種は、その特殊な個体群構造を考慮した上で独自の管理計画をつくるべきですが、当然、そういったこともことごとく無視されています。何が悪いと言って、こうした安易な二分法そのものが問題なのです。アオサギを「特に慎重に取り扱う」べき種に入れるか外すかといったことはむしろ二次的な問題でしかありません。本来であれば、分類法を再検討するか分類の必要性そのものを問い直すべきなのです。

続いて、もうひとつの要望。こちらは繁殖期間中の駆除を禁止せよというものです。

要望 アオサギの繁殖期間中の駆除(コロニーでの駆除を含む)は、法律、倫理の面で問題であるばかりでなく、科学的な鳥獣管理を事実上不可能にするものである(詳細は報告書4.(9)および(10)参照)。このため、同期間中に生じる被害については、危急に対応が必要な甚大な人的被害がある場合を除き、防除、追い払い等、捕殺以外の方法で対処し、殺傷を伴う行為は全面的に禁止すべきである。このことを法ないし指針に明示することを求める。
回答 アオサギの繁殖期間中の捕獲を含め、個別の種への対応については、種の特性、生息状況、被害状況及び地域の実情等に応じて、適切に実施されるべきものと考えます。

これまた期待どおりに愚にもつかない回答が送られてきました。適切に実施されていないから要望しているのに、適切に実施されるべきものと考えますなどと、どうしてこんな人ごとのようなことが言えるのでしょう? もっとも、アオサギの駆除は都道府県や市町村がその許認可業務を行っており、国が直接関与しているわけではありません。しかし、ここでの要望は、繁殖期の駆除の禁止を法や指針に盛り込めというもので、これは国が動かなければどうにもならない話なのです。

繁殖期の駆除禁止については、この問題に関心がある人でも、現実的ではないと考える人は少なくないと思います。しかし、都道府県レベルでは、同期間中の駆除禁止を「鳥獣保護事業計画」に明記しているところがいくつもあります。やればできるのです。国もはっきりダメと言えば良いところを、どっちつかずで放置しているために、問題のある駆除が各地で横行するのを許しています。その点、国は責任を免れません。

繁殖期の駆除については、既存の法律に抵触することや科学的な鳥獣管理の妨げになるといった実際的な問題はもちろんですが、それ以外に動物倫理という非常にデリケートな問題が含まれています。具体的には、たとえば子育ての期間中に親鳥を駆除すると、そのヒナも死んでしまうといった例が挙げられます。仮に百歩譲って親鳥の駆除が正当化できるとしても、ヒナには何の罪もありません。にもかかわらず、ヒナは保護者のいなくなった巣で、餓えるか捕食者に食べられるか、いずれにしても避けられない死をただ待つしかないのです。これは特殊な例ではありません。繁殖期に駆除を行えば、ヒナのいる巣では必ず同様のことが起こります。

こんなことはほんの少し考えれば誰でも分かることです。しかし、こうした事例については嫌悪感がもたれることはあっても、絶対的な善悪の判断基準を示すのが難しいため、ではどうすれば良いのかという話になるとうやむやにされがちです。国もそんなわけの分からないことに率先して関わりたくないのだと思います。となれば、動かしていくのは結局、世論ということになります。自らの心情に照らして、これは受け入れられない、とんでもないことだと、考え、声に出す人が多くなれば、やがてそれが民意になります。だからこそ私もここであれこれ書いているわけです。

国の回答についてはここに書いたとおりまったく納得できるものではありませんが、アオサギのような普通種を対象とした鳥獣管理について国がどのていどの意識をもっているか、あるいはもっていないかを少しでも分かっていただけたら幸いです。環境省はお金の無い小さな組織で、シカなど大きな被害を出す鳥獣や稀少鳥獣への対応で精一杯なのは分かります。アオサギの問題など関わっている暇はないというのはおそらく事実でしょう。しかし、やるべきことができていないのもまた厳然たる事実なのです。そのために不当に理不尽に多くのアオサギが殺されています。環境省の苦しい事情を汲み取ってなどと悠長なことはとても言ってられません。ということで、研究会のほうでも補足意見を環境省宛にすでに送付したところです。その内容についてはこちらに全文を載せていますので、ここに書いたことの繰り返しになりますが、興味のある方はぜひご覧下さい。

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