アオサギを議論するページ

巣から落ちたヒナと救護の是非

昨年5月下旬、北海道長沼町の方から、アオサギのヒナが巣から落ちている、どうしたら良いだろうかと電話で問い合わせがありました。そこで、とりあえず様子を見るだけでもと車で現地に直行。その後いろいろあって、それから巣立ちまでの約ひと月半、結局、私がそのヒナの面倒をみることになりました。保護していた間のことはまたあらためて記事にするとして、今回はその顛末を紹介するにあたってどうしても必要となる前置きを書いておきたいと思います。

電話をくださったのは長沼神社の方でした。この神社の社寺林には小さなコロニーがあって、十数年前から3、40羽のアオサギが毎年子育てしています。今回、その方がヒナを見つけたのはコロニー周りの下草を刈っている時だったそうです。危うく草と一緒に刈られるところだったわけですね。巣から落ちても致命傷を負わず、草刈りも無事にやり過ごし、さらには人に保護されるのですから、何とも運の良いヒナです。

さて、私が連絡を受けてそこに着いたとき、ヒナはフキの葉陰におとなしく隠れていました。孵化後20日をやや過ぎくらいで、体型はまだずんぐりむっくり。翼も風切羽が少し伸びはじめたていどで、もちろんまだ飛ぶことはできません。近づいてもとくに逃げるふうもなく、持っていった布を頭から被せると、多少手に噛みついたくらいで簡単に捕まりました。アオサギは突っつきもしますが、噛みつくことも多いのです。もっとも、小さなヒナに噛みつかれたところでたいして痛くはないのですが。

一見したところ、ヒナが怪我している様子はありませんでした。ただ、逃げる様子もなかったので、脚の骨をどうかしたのかとか、落ちたショックで内臓がやられたのかとか、見かけだけではいまいち安心できませんでした。その日はたまたま日曜だった上、救護施設も近くにはないという状況。月曜になればどこかケアしてくれるところも見つかるかもしれないし、それなら長沼よりは札幌のほうが良いだろうということで、とりあえずヒナは私が預かることになりました。そんなわけで、当初は一時的に預かるだけのつもりだったのです。それが思いがけずひと月半もの同居生活に…。

もっとも、アオサギは野生動物ですから、勝手に家に連れ帰ってコンパニオン動物のように飼うことはできません。これは鳥獣保護法では違法な捕獲であり違法な飼養ということになります。これに違反すると6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金刑に処せられます。ただし、今回は特別なケースのため法律に違反することもなく…、と言いたいところですが、実際は特別なところなど何もなく、法律上はおそらくアウトです。完全に違法ではなくてもかなり黒に近い灰色なのは間違いないでしょう。私も最初からそのことは十分承知していました。ただ、巣から落ちたアオサギのヒナを救護することの是非については以前から思うところがあり、鳥獣保護法の規定を額面どおり受け入れることにはいささかの抵抗を感じていたのも事実です。今回の保護の話はこの点について十分に説明しておかないと単純に興味本位でやった違法行為と受け取られかねないので、まずはその辺のことについて私なりの考えを書いておきたいと思います。

地上にいるヒナには手出しすべきでないという考え方は、最近では社会の共通認識として広まりつつあります。鳥のヒナはたとえ地上にいても、たいてい近くに親鳥がいるのだから、可哀想に思って保護したりせずそのままにしておくべき、無理にその場から連れ去るのは誘拐と同じというわけです。これは多くの場合その通りだと思います。けれども、ことアオサギに関してはまったく当てはまりません。アオサギのヒナはいったん巣から落ちると、親鳥がその後の面倒をみることはほぼ100%ありません。落ちたらそのままにされ、たとえ落下によるダメージがなくても、遅かれ早かれ飢えるか他の動物に食べられるかして死んでしまいます。つまり、巣から落ちたヒナの運命は鳥の種類によって異なるので、助けることが鳥のためにならないとは一概には言えないのです。

あるいは、保護したりせず巣に戻せば良いだろうと考える人がいるかもしれません。けれども、アオサギのコロニーをご存じの方ならそれが現実的でないことは容易に想像できるはずです。今回ヒナを保護した長沼神社の営巣木は20mを超えるような大木でした。巣はそのてっぺんにかけられています。まず登れませんし、仮に登ったとしたらその行為自体がアオサギの営巣に多大な悪影響を及ぼすことでしょう。そのほうがよほど法に触れる行為です。それにたくさんの巣があるコロニーで、ヒナがどの巣から落ちたかなど分かるわけがありません。

先に書いたとおり、鳥獣保護法はその第八条で野生動物を許可なく捕まえることを明確に禁じています。ところが、法律ですから巣から落ちたヒナをどうするかなどといった細かいことはいちいち書かれていません。一方、行政が鳥獣保護法を実際に運用していくにあたっては「鳥獣の保護及び管理を図るための事業を実施するための基本的な指針」というのがあって、たとえば傷病鳥獣の扱いなどはそこで言及されています。もちろん巣から落ちたヒナについてはその指針でも触れられていませんが、落ちた際に怪我していれば傷病鳥獣ということになり、その場合は指針に沿った対応ができるわけです。けれども、巣から落ちたにもかかわらず元気だった場合は傷病鳥獣扱いにはならないので、そういった状況にどう対応するのかは宙ぶらりんなままです。現行の鳥獣保護法やその指針に書かれている範囲で考えれば、状況にかかわらずその鳥が健康である以上は自然の成り行きに任せるというのがたぶん妥当な解釈になるのでしょう。とはいえ、アオサギの場合、巣から落ちたのをほっておけば死んでしまうのは分かりきっています。落ちて怪我すれば保護されて生きられる可能性があり、落ちてたまたま怪我しなければ運がなかったと諦めてもらうしかない…、これでは何が何だか分かりません。

ところで、落ちたヒナを保護する保護しないの問題には、このような法律そのものに起因する問題のほかに、もうひとつ忘れてはならない側面があります。それは私たちが身の回りの自然をどのように認識しているのかという話に関わるものです。

今回、ヒナを保護した話をTwitterに書いたところ、それはやってはならないことだと反論された方がいました。その方によると、ヒナが巣から落ちればそのヒナを食べに来る捕食者がいる、人がヒナを助けるのはその捕食者から本来の食料を取り上げることに他ならない、食べる食べられるの関係で健全な生態系が保たれているわけだから、そうした自然の営みを人間が介入して壊してはならないというわけです。一見、筋が通っていてまっとうそうな意見です。けれども、この方は重要な点を見過ごしています。

たとえば、人跡未踏の地にアオサギコロニーがあり、そこで巣から落ちたヒナを可哀想だからと保護したとします。これは自然生態系への不当な介入であり非難されて然るべきです。けれども、今回、ヒナを保護したのは人間の生活圏のただ中にある神社。そもそもアオサギがそのような環境で営巣していること自体、すでに純粋な自然状態ではないのです。そのような場では本来の自然では起こりえないことが日常的に起こり得ます。人の手が加わっていない北海道の自然環境を想定するなら、地上に落ちたヒナは十中八九キタキツネの餌食になるはずです。ところが、最近ではそれがアライグマの場合も十分ありうるのです。道内ではそのくらいアライグマがどこにでもいますし、アオサギのコロニーもあちこちで彼らの被害に遭っています。ご存じのとおりアライグマは人間の都合で北米から連れてこられた動物であり、アオサギとアライグマが出会う状況というのは本来の自然状態ではあり得ないのです。そのアライグマにヒナが襲われるのを見て、これは自然の摂理だから仕方がないと果たして言えるでしょうか?

ヒナの救護についてはここで書いたこと以外にも議論すべきことはまだまだたくさんあります。それらについてはここでもまた折りに触れて問題提起していきたいと思っています。ともかく、今回の件だけでなく、人と野生動物との関わり方についての議論はあまりにも貧弱です。そして議論が尽くされないまま、人と野生動物は完全に没交渉であるべきという考え方が幅を効かせているような気がしてなりません。ヒナを一羽一羽すべて助けるべきだとは私も思いません。それは生物学的に考えても自然に対する明らかな不当介入ですし、実際にそうしようとしてできるものでもありません。また、たとえ助けるのがヒナ1羽だけだとしても、よほど条件が整っていない限り、巣立ちまでヒナの面倒をみるのはかなり困難です。安易に考えて彼らと不用意に関わりをもってしまうのは考えものです。ただ、今回書いたような制度的な理不尽さや人がこれまでアオサギにしてきた数々のろくでもない行為を思うと、救護すること自体を頭から否定するような考え方にはどうしても抵抗を覚えずにはいられないのです。この問題には単純な解はありません。それだけになおさらもっともっと議論していくことが必要です。まずはこの件に関して問題意識をもつ人が少しでも増えてくれればなと切に思います。

ところで、私が保護して札幌に連れ帰ったヒナは、幸いにも懸念していたようなダメージもなく、いたって健康であることが分かりました。こうなると傷病鳥獣として動物病院に連れいていくことはできません。かといって、その状態で自然に帰せばたちどころに死んでしまうのは目に見えています。神社でヒナを保護したとき、もし何事もなく元気なら、どこも当てにできないかもしれない、そうなれば自分で責任をもって面倒をみるしかない、ということは当然予想していました。そしてそのとおりになったわけです。もちろん、ヒナが元気だと分かった時点で、ここに書いたようなあれやこれやをいちいち考えていたわけではありません。ただ、目の前に為す術もなく佇むヒナがいるのに、姥捨て山のようにどこかに捨ててくるなどどうしてできるでしょう? これはもはや理屈ではありません。私が何とかするより他に選択肢はありませんでした。

以上が私がヒナをしばらく預かることになった経緯とヒナの救護問題について私が考えていたことのあらましです。前置きが長くなりましたが、ヒナと共に暮らしたひと月半のことはまた近いうちにあらためて記事にしたいと思います。では。

ページの先頭に戻る