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合唱曲「蒼鷺」掲示板
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無題 投稿者:3ー1 投稿日:2014/11/10(Mon) 17:59 No.293   
私も今年の合唱祭で青鷺を歌います。
私の学校の音楽の先生はかなり変わっていて、自由曲(青鷺)をもらう時に「この歌の主題は?」と聞かれました。
そこから歌声委員で調べ上げ、音楽の先生のところへ自由曲をもらいに調べた事を言いにいきました。

☟それがこのような内容です☟
まず、青鷺は死んだのか死んでいないのかです。これは私達の解釈によると死んでいません。この詩を書いた、更科さんの両親は開拓使です。そして更科さんはアイヌ民族研究家でした。この曲は、簡単に言うとアイヌ民族が開拓使によって占領されていく中必死に耐えて生きていた事と渡り鳥が自然の厳しさに耐えながら生きているのを重ね合わせた詩だと解釈しました。
この詩の舞台は、北海道の釧路です。その釧路には、アイヌコタンというアイヌ民族の遺跡があります。もうすでにこの時点で重なっていますね。
エゾハンノキに、片脚を立てた青鷺が黙って耳を澄まし、葦を押している風の音を聞いています。そして、最後らへんの歌詞にある「枯骨」が重要です。枯骨の意味は、死人の朽ち果てた骨です。これは歌詞にもある、「ゆるさぬ枯骨」と関連していて、かつて開拓使に自分達のものを奪われたアイヌ民族はその行いを許さぬまま死んでいったということだと思います。しかし、最初に言った「青鷺は死んでいない」という解釈とはこのままだと真逆なものだと思われてしまいます。死んだのかと思わせるような詩ですが、死んでいないのです。
アイヌ民族ももちろん人間なので死んでしまいますが、この思いは消えません。この作詞者の更科さんのような、アイヌの文化を守っていこうとしている人達がいるのですから。そして、この渡り鳥の青鷺と重ねたということです。

あくまでこれは私自身の解釈です。
参考にしてくれるといいと思います。


Re: 無題 - まつ@管理人 2015/02/14(Sat) 16:06 No.294

3-1さん、こんにちは。投稿されたのがずっと前なのでもうこの返事を見ることもないかと思いますが、とりあえず気になった部分をお答えしたいと思います。

アイヌの人々とこの詩との関係についてです。更科源蔵の「北海道・草原の歴史から」という著書に、この作品がどのようなきっかけで作られたのかについての説明があります。それによると、このアオサギは「ただ孤独な影を曳いた鳥の姿ということだけではなしに、明治のはじめ、茫漠とした釧路湿原の奥に入って、風雪に逆撫でされながらついに動かず、この土地の土に化した父母や、その仲間たちの姿がそれにダブって見えた」とあります。つまり、ここではアイヌとの関わりは出てきません。アオサギの姿に重ねて彼が見たのは、アイヌの人々の境遇ではなく自らの父母をはじめとする開拓民の生きざまだったということです。

本当は創作の背景が分からないまま各人が思い思いに想像を巡らすほうが楽しいのですが、著者本人としては以上のような思いで作った作品のようです。ご参考までに。


無題 投稿者:アスカ 投稿日:2013/10/02(Wed) 16:38 No.288   
はじめまして。
今度の文化祭で蒼鷺を合唱することになりました。
この間の授業で、担任が「蒼鷺の歌詞を見て、読み取ったことを発表しろ」と言われ、
「蒼鷺は最後寒さで死んだと思う」と言ったのですが・・・。
蒼鷺が死んだのか死んでいないのかで意見が分かれまして。
クラスの男子がどこから持ってきたのか蒼鷺に関する文章を
読み上げだし、「蒼鷺は死んではいない」と言ったのですが、
私は何回歌詞を読み返しても死んだとしか思えないです。
皆さんは、どっちだと思いますか?


Re: 無題 - まつ@管理人 2013/10/02(Wed) 20:39 No.289

アスカさん、はじめまして。
本当はここを訪れる皆さんの意見を聞きたいところですが、待っていても誰もいらっしゃらないかもしれないので、とりあえず私の意見を書いておきますね。

はい、これはもう定番中の定番のご質問です。皆さんどうしてもこのことをはっきりさせたいようで、定期的にお尋ねがあります。死んだと捉えるか死んでないと捉えるかで歌い方もまったく変わりますから蔑ろにはできないのでしょう。

さて、少し脱線して話をはじめますが、『蒼鷺』という詩はもともと合唱曲にするつもりで書かれたのではなく、詩そのものとして世に出たものです。詩ですから、本来、人により受け取り方が異なるのは当然で、また、同じ人でも時とともに解釈が変わることもあるかと思います。基本的に、この詩をどのように解釈するかはひとりひとりの自由です。

ところが、合唱曲になるとそれでは困るのですね。皆があるていど同じイメージで歌わないと曲として成立しませんから。逆の見方をすれば、曲として成り立たせるだけならステージで歌う皆の解釈が同じでありさえすれば良く、アオサギが死んだか死んでないかは大した問題ではないとも言えます。生か死か、どちらを選ぶかで合唱の雰囲気はずいぶん変わるでしょうけど、いずれか一方に決めさえすれば、あとはその世界観を堂々と歌で表現すればOK、やや乱暴ですがそう思います。

もっとも、私としてはアオサギは死んでいないと思っています。そう思う理由についてはこれまで当掲示板で何度も書いてほぼ書き尽くした感があります。アオサギの生死に関する皆さんと私の意見については、今回、特別に下記ページにまとめましたので参考にしていただければと思います。
「アオサギは死んだのか?」 ⇒ https://www.grey-heron.net/forum/58-chorus/dead-or-alive/
死んだと思う人、死んでないと思う人、皆さんいろいろです。私の意見も時とともに多少変わっているかもしれません。

他の方々のご意見、お待ちしています。皆さんはどちらだと思いますか?



Re: 無題 - まつ@管理人 2013/10/06(Sun) 12:52 No.290

アオサギは死んだのではないか、との解釈はアスカさんに限りません。この掲示板を開設してもう8年以上になりますが、その間、アスカさん同様のご質問を数多くいただきました。その都度、私も私なりに考え独自の解釈をいろいろ書いてきたところです。

しかし、それも今回で終わりそうです。先日、この詩の作者、更科源蔵の「北海道・草原の歴史から」(1975年刊)という古書を見つけ、そのタイトルにひかれて139円で購入しました。そして、その最初のページに「蒼鷺」の詩が引用されていたのです。以下はその後につづけて書かれた作者本人による詩の解説です。

『これは戦前に私の書いた、「蒼鷺」という詩である。これを読むと蒼鷺は留鳥のように書いているが、実は渡り鳥である。ただ、釧路湿原の落日の中に、風に吹かれてポツンと一羽だけ、枯木のように立ちつくして飛び立とうともしないその姿に、私の若い血がゆすぶられたのである。それはただ孤独な影を曳いた鳥の姿ということだけではなしに、明治のはじめ、茫漠とした釧路湿原の奥に入って、風雪に逆撫でされながらついに動かず、この土地の土に化した父母や、その仲間たちの姿がそれにダブって見えたからでもある。』

更科源蔵は摩周湖の南、現在の南弟子屈に生まれ育った人です。彼の父とその友人が故郷の新潟を出て、たった二人でこの何もない原野に入植したのは明治24年のこと。その後、新潟から家族を呼び寄せたり、話を伝え聞いた友人が集まったりで、2年後には7戸の部落になったといいます。7戸とはいっても隣の家まで何キロも離れているようなところでした。10年ほどして源蔵が生まれたわけですが、当時、彼らが住んでいたのは「草を積み上げたような小屋」。「家の中まで密林の中のように雪が吹き込んだり、雪が顔にかかって寝られないとか、雪の積もった布団の上を鼠が走って歩く」家だったといいます。彼らの暮らしがどのようであったかは推して知るべきでしょう。けれども、そんな風雪にいためつけられる暮らしをしながらも、「七戸の人びとのうち誰一人として国へ引揚げたものはな」かったと、彼はこの章の最後に書き記しています。

それが百年と少し前の北海道の原野の風景であり「蒼鷺」の書かれた背景です。「動かぬ」アオサギは死を意味しているわけではありません。「動かぬ」アオサギとは、原野に入植し、その土地で生き、その土地の土に化した人びとの生きざまそのものなのです。

もはやこれ以上の説明は蛇足でしょう。


蒼鷺の背景 投稿者:とうか 投稿日:2013/09/13(Fri) 20:44 No.286   
はじめまして。
今年蒼鷺を合唱させてもらうことになったんですが、
意味を調べていたら、「蝦夷榛」は”エゾハンノ木”
「凍原」は”北極の木のない原野”と出てきました。

「蝦夷榛」は木なのに木のない原野って、どういうことなんでしょう、、、。

もしよかったら、回答ください。


Re: 蒼鷺の背景 - まつ@管理人 2013/09/14(Sat) 07:54 No.287

とうかさん、はじめまして。
添付した写真は「蒼鷺」の詩が載っている更科源蔵の「凍原の歌」という詩集です。昭和18年発行で定価2円となっています。更科源蔵は北海道東部(弟子屈町)の熊牛原野に開拓民の子として生まれ、その地で前半生の多くを送っています。この詩集にはそこでの人々の暮らしや身の回りの自然が描かれています。つまり、この詩集のタイトルになっている凍原とは作者の生まれ育った熊牛原野そのものなのです。

辞書では、凍原という語はたとえば「ツンドラ」(『広辞苑』初版)のように狭義の意味だけが紹介されているかもしれません。けれども、一般的には字面そのままに「凍った原野」の意味で使われる場合が多いように思います。冬の北海道には凍原としか言い表せないような場所がたくさんあります。この詩の場合もそのような凍った原野として捉えるのが正解です。北海道東部のしばれた原野なのです。ですから、そこに木があっても不都合はないのですよ。

この詩に描かれるエゾハンノキは湿地に多く生育する樹種で北海道では普通に見られます。詩ではエゾハンノキに冬の陽が当たって凍原の上に青い影が伸びると書かれています。冬なので木は葉を全て落とし幹と枝の輪郭だけになっています。それが冬の弱い陽に照らされ凍った白い雪原に薄く長い影を落とすわけです。エゾハンノキは1本で孤立しているか、そうでなくてもわずかな本数なのでしょう。そうでなければ影の印象がこれほど鮮やかなものにはならないはずですから。

ところで、エゾハンノキの花言葉は「忍耐」あるいは「不屈の心」なのだそうです。作者が意図したわけではないと思いますが、この花言葉は詩中のアオサギの心、あるいは詩のテーマを的確に言い当てています。偶然にしてはあまりに素晴らしい偶然ですね。



無題 投稿者:はるか 投稿日:2011/10/29(Sat) 11:09 No.194   
はじめまして。

今年の合唱コンクールで蒼鷺を歌います。

そこで、私は曲紹介をすることになりました。
1分間という短い間で
蒼鷺という鳥を知ってもらえたり
曲の意味をわかってもらうには
どうやって書けばいいのですか??
ずっと悩んでいるのですが
うまくまとまりません。
回答よろしくお願いします。



Re: 無題 - もんち 2011/10/29(Sat) 18:56 No.196

私たちのクラスは
極寒の冬に耐える青鷺と まだまだ未熟な自分たちを比較した様な感じの曲紹介でした。
曲紹介担当の子は先生と相談してみた!と言っていました。
先生とかと相談してみるのもいいと思います!!
頑張ってください♪



Re: 無題 - まつ@管理人 2011/10/31(Mon) 17:32 No.202

はるかさん、はじめまして。
1分ですか。これは難題ですね。ただ、時間が限られているということは、瑣末なことを切り捨てて本当に重要なことのみに絞れるわけで、そう考えればそれほど難しいことではないように思います。

まず、できればアオサギの姿形の説明はしたほうがいいでしょうね。サギの姿をまるでイメージできない人もいるはずですから。ツルのように首と足が長い鳥を想像してもらえばOKです。ただ、1分の中では難しいということなら、これはばっさり省いても構わないと思います。さて、ここからがポイントです。この詩のアオサギは首を縮めて立っています。文字では書かれていませんが、首を縮めたアオサギでなければこの詩は成立しません。いわゆる佇むという姿勢です。おそらく、サギ以外で佇むという表現が当てはまる鳥は他にいないでしょう。佇んでいるアオサギについては下記ページにいくつか写真がありますので、それらを見て参考にしていただければと思います。
「合唱曲『蒼鷺』」 ⇒ https://www.grey-heron.net/forum/58-chorus/
ともかく、アオサギが佇む姿勢であることがこの詩では決定的に重要です。この姿勢さえイメージできれば、あとは北海道の凍原でじっと動かないという場面を説明するだけで、この詩の紹介としては事足りると思います。アオサギが佇んでいるイメージとそのアオサギが置かれている場面を視覚的に理解できるように丁寧に説明すれば、それだけで1分くらいは経ってしまいます。詩の意味するところなど説明しはじめたら、それこそ時間がいくらあっても足りません。つまらない先入観を植え付けるだけで却って逆効果です。詩に何を想像するかは人それぞれ、それは聴く人に任せておけば良いのではないでしょうか? 

ここに書いたのはおそらくもっともオーソドックスな曲紹介の仕方です。この点さえ押さえておけば、もんちさんのところのようにオリジナリティのある曲紹介も可能だと思いますよ。



Re:Re: 無題 Re:No.202 - ひーちゃんのしんゆう 2013/09/02(Mon) 22:14 No.284

私も、合唱コンクールで蒼鷺を歌うことになり、スピーチをすることになりました。そこで、まつ@管理人さんの佇むという表現を使わせていただきます。といっても、これでやっと2文目が思いついたところなのです。一分には程遠い。


Re: 無題 - まつ@管理人 2013/09/03(Tue) 07:39 No.285

ひーちゃんのしんゆうさん、はじめまして。お役に立てて何よりです。
参考までに春先の氷が解けはじめた頃に撮した写真を貼っておきました。時期が時期なので詩に描かれたような壮絶な悲壮感はありませんが、佇むという姿勢はこれで分かっていただけるかと思います。

サギに特有の姿勢とまではいわなくても、この姿勢をとれる鳥はそうそういないはずです。この格好がともすれば人のように見えることもあり、サギの擬人化は古今東西、さまざまな文化の中で行われてきました。昔から人が感情移入しやすい鳥だったのでしょうね。

短い時間のスピーチは、初めから短い枠で考えるより、思いついたことをあれこれ全部並べて、その上であまり重要でないことをばっさばっさと削ぎ落としていくほうが楽ですよ。メインは合唱のほうですし、あまり気負わずがんばってください。



中学三年生です。今度合唱コンク... 投稿者:欝桟゙ 投稿日:2013/06/22(Sat) 09:09 No.281   
私の学校の音楽の先生が
作詞?作曲者?どちらかだったか
さだかではないですが
直接話を聞きに行ったところ
この歌はアイヌの文化を継承していく
青鷺はその意志の強さを表している
青鷺は死んでないし死ぬわけにもいかないそうです

掲示板の中にそのような話があったので
気になり書かせていただきました


Re: 中学三年生です。今度合唱コ... - まつ@管理人 2013/06/22(Sat) 18:32 No.283

欝桟゛さん、はじめまして。
貴重な情報をありがとうございます。行動力のある先生ですね。
ご存知のように、この合唱曲は更科源蔵さんが作った詩に長谷部匡俊さんが曲をつけたものです。詩自体は『凍原の歌』という昭和18年(1943年)に発行された詩集に収められているもので、もともと曲をつけることを目的に書かれたものではありません。その後、更科さんは1985年に亡くなっており、この詩が合唱曲として再び世に出るのはそれからさらに8年後のことになります。音楽の先生がお話を伺ったというのは合唱曲になってからのことでしょうから、更科さんではなく作曲した長谷部さんのほうに尋ねられたのでしょう。その長谷部さんはというと、更科さんが亡くなったときは二十歳そこそこです。『蒼鷺』を作曲するのがこれよりずっと後であることを考えると、あくまで想像ですが、更科さんとの直接の面識は無いのではないかと思います。だとすると、音楽の先生が長谷部さんから聞き取った話は長谷部さん独自の『蒼鷺』の解釈だと考えられます。もっとも、更科さんが自分の詩について、真意はこのようなものであったとか、アオサギは実際は死んでいるとかいないとか、そういったことを何か別のところに書き残していて、それを長谷部さんが読まれたということも考えられますが、私の知っている限りそうした資料はありません。それが無いために、この掲示板にもあれこれ想像を巡らして書いているようなわけです。更科さんだけでなく詩を書く人は、はじめから読者にひと通りにしか解釈できないようなイメージは提供しないでしょう。詩の解釈に正解はありませんし、正解の無い自由さこそ詩の命なのですから。

とはいえ、アオサギが死ぬのか生きるのかという問題は、どちらの解釈を取るかで作者の思いがまるっきり変わってしまいます。その点、この部分の自由度はかなり制限されているのかもしれません。この詩では生死の問題は曖昧なままぼかされ、それが一面ではこの詩の妙味にもなっています。しかし、作者にしてみればわざと答えをぼかしているという意識はなかったのではないでしょうか。自明のことだからはっきり書く必要がなかっただけなのだと思います。

つまり、私も長谷部さんと同じ解釈です。アオサギは死んでいないし死ぬわけにもいきません。ただし、アイヌ文化の継承云々という部分についてはそれだけではないと考えています。そこには作者本人にも正確に把握できないほど複雑で多様な背景があったはずです。その様々な思いをアオサギという象徴に集約したのではないかと。ともかく、詩ですからいろいろな解釈があっていいと思いますよ。


やっぱりアオサギは死んだのでは 投稿者: 投稿日:2013/01/30(Wed) 07:26 No.278   
初めまして
今度合唱コンクールで歌うことになり、
曲の事や詩について調べているうちにこのサイトにたどり着きました
そこで、少し疑問なのですが、まずそもそも冬の北海道にアオサギはいるのでしょうか
アオサギの生態の項を見たところ
冬は越冬の為に暖かい地域に渡ると書いてあるのですが
普段なら南に越冬しに行くはずの鳥が立ち尽くしているのは何か変ではないでしょうか
詩中の
「許さぬ枯骨」や「凍った青い影」や「動かぬ」
といった単語も、どうにも死を連想させます


併し天然は常に小さな人間の血と汗を一呑にして あがく悲嘆を絶望の底につつぱなし 更に冷酷な狡猾は勤勉を食ひあらし さまよふ騙詐は素朴をかすめさつた だが風がたち日影がさせば 土の子は倒れた豆の支柱をなほし 無慙に踏み荒された暴力の足跡に もう一度腰をかゞめて不撓の種子をうづめる このきびしい北方に生きるためには 常に休みなきたちなほりを要求され 鈍重絶えて敗退を忘れ 天の理法に則し 地の法則にしたがひ 小さくたよりなき自らをたよるよりない

この詩で描かれている世界は「厳しい世界」と「それでもなお生きる」という事だと感じられます
ですが蒼鷺の詩世界ではそれとは異なり「厳しい世界」と「その結果の死」を描いているのではないでしょうか
私は「立派に生きる事」と「立派に死ぬ事」は同義だと思っています
なぜなら立派に生きなければ立派に死ねないし、死がこないならば、それも生きているとは言い難いからです
私は更科さんはアオサギの死から自然の厳しさとアオサギが必死に生きて生きて生き抜いたであろう事を想像して描いたのではと思うのです
そして、アオサギは死んでしまったが、私たちもアオサギのような死を迎える為にも「生きて生きて生き抜こう」と

更科さんの詩世界に一貫して見られる「生」を
蒼鷺では「死」を通して描いているんだと私は思っています


Re: やっぱりアオサギは死んだの... - まつ@管理人 2013/01/30(Wed) 22:34 No.279

梨さん、はじめまして。
死をポジティブに捉える梨さんの解釈は新鮮でなるほどなと思いました。この詩でアオサギが死ぬと解釈する人は、多くの場合、自然に打ち負かされ力尽きたアオサギをイメージすると思います。それだと作者の他の詩との一貫性がなくなるのですね。それに、彼をとりまく諸々の状況を考えても不自然ですし。私の思考はそこで止まっていたので、死をポジティブに捉えるという発想がありませんでした。梨さんの解釈だと、そうした矛盾もなくすっきり読めますね。

さて、冬の北海道にアオサギがいるのかというご質問ですが、ごく限られた越冬地にわずかに残るのがいるくらいで、ほとんどは南の地方に渡ってしまいます。作者がこの詩で描いたと思われる北海道東部に、もし厳冬期にアオサギがいたとすれば、それはかなり特殊なケースです。

一般的には、北海道にアオサギが渡ってくるのは3月の初め頃になります。3月初旬といえば、春の兆しを感じる日はあっても、辺りはまだまだ一面の雪と氷。普通の感覚で言えば季節は冬です。もしかしたら、作者はその時期の情景を描いたのかもしれません。ただ、この詩はいわゆる象徴詩ですから、事実を反映しているかどうかにはそれほど拘らなくてもいいように思います。

ところで、梨さんの意見ではじめて気付いたのですが、「奥の底から魂がはばたくまで」という箇所は、人によって正反対の意味で捉えられるのですね。アオサギが死ぬと考える人には、「魂がはばたく」ことは昇天を意味しているのでしょう。一方、私はそうは考えませんでした。だからこそ私はこれまでアオサギの死をイメージできなかったのだと思います。私のイメージでは、「魂がはばたく」とは、本当になすべきことをする、またそれができる季節が到来するということであり、それは他でもなくアオサギの季節、春ということになるのです。その時が来るまで過酷な状況をひたすら堪え忍び、頑として動かない、そんなアオサギが描かれているように私には思えるのです。

私がこの詩をはじめて読んだのは10年以上前でしたが、これまでに何度も違った解釈をしています。もしかしたら、そのうち梨さんの解釈がいちばんしっくりくると感じるようになるかもしれません。いずれにしても、詩自体はとてもシンプル。それだけに読み手次第でさまざまな捉え方ができます。自由度の高い詩なんだなと思いますよ。



Re: やっぱりアオサギは死んだの... - まつ@管理人 2013/02/03(Sun) 11:28 No.280

ついでにもう一点だけ、私がこの詩がアオサギの死を意味するものではないと考える理由を書いておきます。問題となるのは「奥の底から魂がはばたくまで」のところです。ここで「魂がはばたく」の意味がふた通りにとれることは前に書きました。注目したいのは、この魂が「奥の底から」はばたくものだということです。奥の底というのは暗くて狭い、そうとうにネガティブなイメージです。もし、魂がそこから脱出して死後にその苦しみから開放されるという意味で書かれたのだとすれば、作者は人生そのものを「奥の底」と言っていることになり、自虐的なほどに人生を悲観していると考えざるをえません。しかし、彼の他の作品を読む限り、現世を悲観し、来世に安寧を求めるというような雰囲気は少しも見られないのです。そうであれば、「奥の底」の解釈は別のものでなければならないのではないかと。私はそれを冬と考えます。そして、春になればその魂ははばたくのです。

前に書いたようにこの詩は極めてシンプルな構成です。枝葉を切り捨てると、この詩にあるのは冬とアオサギだけです。そして、アオサギが動かないことがこの詩を特徴づけています。この詩に死をイメージする人は、アオサギが動かないことに尋常でないものを感じるのだと思います。しかし、アオサギは本来、そんなに動かないものです。何もしないときは本当に置物のように微動だにしません。他の鳥と比べると動かないことが特徴だともいえるかもしれません。詩の最後の4行、「痩せほそり風にけづられ 許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり 動かぬ」というのは、大袈裟な表現は使っているものの、これが冬に凍原に立ち尽くすアオサギを見たときの率直な印象です。それが彼ら本来の姿であり、そこにとりたてて死をイメージする必要はありません。

昨日、札幌近郊で越冬するアオサギを見ながら、ふとこの詩が頭に浮かんだので、余計なこととは思いつつ、またあれこれ書いてみました。


はじめまして 投稿者:bluebird 投稿日:2011/11/06(Sun) 12:55 No.217   
初めまして。
今度合唱コンクールの審査員をすることになり、
今、蒼鷺のレポートを必死になって書いています。
だケド蒼鷺の聴かせどころが分かりません(ーー゛)

教えてください!!


Re: はじめまして - ハヤ太くん 2011/11/06(Sun) 14:15 No.218

僕は
胸毛のとこから熱情か
ってとこが一番大事だと思います!!

だと思います!!←



Re: はじめまして - もんち 2011/11/07(Mon) 16:57 No.219

あたしも
胸毛のところは大事だとおもいますよ。
それと だが青鷺は動かぬからも結構大事だとおもいます。
レポート頑張ってください!



Re: はじめまして - まつ@管理人 2011/11/07(Mon) 18:25 No.221

bluebirdさん、はじめまして。
私は曲そのものをほとんど聞いていないので音楽については何とも言えませんが、詩の音楽的な要素については、2011/07/17の私の投稿にいくらか参考になることを書いています。下記ページに保存していますのでよろしければご覧下さい。
「合唱曲『蒼鷺』」 ⇒ https://www.grey-heron.net/forum/58-chorus/


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