アオサギを議論するページ

王家の鳥

今回はイギリス中世の話です。その頃、イギリスのアオサギはRoyal Bird(王家の鳥)とされていたそうです。何がRoyalなのかというと、食の対象として高貴だったのですね。なんでも、アオサギの出ない宴会など当時は考えられなかったとか。逆に、一般人にはアオサギ料理はとても手の届く代物ではなかったようです。

たとえば、13世紀後半から14世紀初頭にかけてエドワード1世が統治していた時代は、アオサギが他のどの鳥よりも高価だったといいます。当時、1羽の価格が18ペンス。これを現代のレートに換算してみたところざっと1万円近くになりました。なるほどこれでは王家の人々の口にしか入らないわけです。

もう少し時代が下って15世紀後半のエドワード4世の時代にも、アオサギは相変わらずもっとも価値ある狩猟鳥としてもてはやされていたようです。ある祝宴では、キジ200羽、クロヅルとサンカノゴイがそれぞれ204羽、それに400羽のアオサギが供されたのだとか。キジやツルと比べたら味も肉の量も格段に落ちると思うのですが、なぜアオサギのほうが格が上なのかとても不思議です。何か当時の人にしか分からない美点があったのかもしれません。

それにしても、宴会があるごとにこれほど多くの犠牲が出ていたのでは鳥たちはやってられません。コロニーごと全滅させられたり、そういったことが日常茶飯事だったのでしょう。そんなこと知ったことかという時代だったのでしょうね。

以上、ここまでの話は “The Heron” (Frank A. Lowe著、1954年) という本を参考に書いています。出版されたのはずいぶん昔ですが、その当時のアオサギの知見が総動員された情報満載の本です。食材としてのアオサギの話も、ここに紹介したのはほんの一部。本にはアオサギの食味から料理法までじつに詳しく書かれています。

その辺の話をここで紹介しても良いのですが、それをやると一部の人たちはあるいは不快に思うかもしれないなと思って止めました。何を隠そう、私自身ちょっと抵抗があるのです。やっぱりこれだけ長くアオサギに関わっていると、アオサギを客観的な対象として見るのには限界があります。今回のような話も、食卓にアオサギの肉が供されると書いていても、自分の中ではアオサギの死体がテーブルに載っているといったイメージなのです。だからそれを食べようなどとはもっての他で…。たぶん、こうした感情というか感覚が、アオサギだけでなくあらゆる動物に拡張されるとベジェタリアンになったりビーガンになったりするのでしょうね。

そんなことで、今回は生々しい部分は敢えてカットしました。ただ、アオサギの歴史のあまり知られていない部分を少しは紹介できたかなと思います。今回の話が人とアオサギの関わりを考えていく上で何らかの参考になれば幸いです。もちろん、食べるということではないですよ。食べるということを想像して一人一人がどう感じるか、そこを起点にすればこれまでに無い新たな視点が見つかるのではないかなと、ちょっと期待しています。


縁起の良い鳥

ここ1年ぐらい、ネット上で「アオサギは縁起が良い」と書かれているのをよく目にします。えっ、そんな話もあるんだ、と思っていろいろ調べてみるのですが、どの辺からそういう話が出てきたのかどうもよく分かりません。まあ、話の出所が分かったところで、迷信のようなものですから真偽も何も確かめようがないのですけど。

ところで、これに類似した話は、私も以前聞いたことがあります。それはアオサギそのものというより、アオサギが家の近くに巣をかけると縁起が良いというものです。これは十数年前、道東で牧場をされている御夫婦から伺ったお話です。御夫婦のご自宅前の林には数十つがいのアオサギが営巣しており、彼らはアオサギが毎年やって来るのを楽しみにしてるということでした。その御夫婦は自分たちの代で北海道に入植されたとのことでしたが、アオサギの言い伝えは内地にいた時から聞かされていたそうです。

というわけで、これは割と昔からある言い伝えなのかもしれません。それにしてもなぜアオサギがいると縁起が良いのでしょう? 考えられるとすれば、彼らが巣をつくることで、人がフンを肥料として利用できたということでしょうか。化学肥料の無かった昔、サギのフンは田畑の肥料としてずいぶん貴重なものでした。肥料をただで提供してくれるサギは有り難がられ、縁起の良い鳥とみなされるようになったということかもしれません。なにしろ、サギ山(コロニー)が出来るとその家は栄え、サギがいなくなると家は没落すると言われていたほどなのです。

ともかく、元となった理由が何であれ、こうした言い伝えが巷で囁かれているのは嬉しいことです。アオサギは縁起の良い鳥。その言葉に共鳴するものがなかったら誰も口にしないでしょうから。

【追記】道東の御夫婦のお話、改めて当時の記録を調べてみたところ、サギが巣をかけるとどうこうといった話ではなく、「サギが来なくなると良くないことがある」というのが正解でした。「サギが来ると良いことがある」の裏返しと言えばそうですが、逆だとネガティブな印象のほうが強くて多少ニュアンスは違ってきますね。ただ、伝承というのはそもそも根拠がはっきりしたものではないですし、情報の受け渡しが繰り返される中で、時とともに徐々に形が変わっていくのが普通なのだと思います。御夫婦に教えていただいたアオサギの話が十数年を経て私の中で変形してしまったのは、人々の抱くアオサギのイメージが最近どんどんポジティブなものに変わってきたことが影響しているのかもしれません。とかなんとか、結局、出所不明の民間伝承の強化に私も加担しているみたいですね。「アオサギは縁起が良い鳥」。十年、二十年後も、そう言われていれば良いなと思います。


写真集『蒼鷺』

これまでありそうで無かった写真集、アオサギだけを撮った写真集がついに刊行されました。写真集のタイトルはずばり『蒼鷺』です。この貴重な写真集を出されたのは北海道幌加内市の写真家、内海千樫さん。じつは内海さんは当サイトの掲示板にもよくお越しいただいており、写真も数多くご投稿いただいてます。なので、ここをご覧いただいている方であれば、今回の写真集の中に既視感のある写真を見つけられる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。

内海さんによると、昨今、写真集は全然売れなくなっているのだそうです。実際、昔と違って誰もがカメラを持ち歩く時代ですから、アオサギに限らず対象を見たいだけならネット上にその手の写真は溢れています。その上、最近は人を警戒しないアオサギが多くなったせいで、すぐ手の届く距離で撮られた写真も普通に見かけるようになりました。だからアオサギがどんな鳥なのか見てみたいというだけの理由で写真集を買う人は今日まずいないと思います。

そんな中、敢えて刊行されたのが今回の写真集だったわけです。けれども今回鑑賞してみて、写真集の存在意義をあらためて見直しました。一冊の写真集は紛れもなくひとつの作品であり、その中で世界が完結しています。雑多まばらに散らかっているネット上の写真では絶対に得られないものがそこにはあります。

何にも邪魔されずにアオサギの世界に身を置ける贅沢さとそこから得られる充足感、それはたぶん内海さんご本人が撮影中そのように感じていたからこそ、作品を通じて見る者に伝わってくるものなのでしょう。内海さんはアオサギを撮りつづけて20年近くになるそうです。写真集を見終えたあとに感じる深く静かな余韻は、その長い歳月が無意識のうちに写真の中に織り込まれているせいなのかもしれません。そして素晴らしいのは、その感覚がアオサギのもつ雰囲気と見事に調和しているということです。アオサギと内海さんという組み合わせの奇蹟に心から感謝せずにはいられません。

今回ご紹介した写真集は今月20日に刊行されたばかりです(価格は税込みで2,700円)。ただ、発行部数はそんなに多くないとのことで小さな本屋さんには置いてないかもしれません。Amazonなどネットでも買えますが、いま現在、Amazonではすでに品切れらしく、在庫が確保されるまでしばらく待たなければならない状況です。そんなことで、写真集を購入したい方は内海さんに直接連絡をとってみることをお勧めします(メールアドレス:heronsアットマークchicドットocnドットneドットjp)。内海さんも是非そうしてほしいと言ってました。気軽に連絡してみてください。


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