アオサギを議論するページ

満月で一休み

今夜は中秋の名月ですね。写真はその名月とアオサギ、と言いたいところですが、残念ながらこれを撮ったのは初夏。夜明け前に西の空に沈みゆこうとする月と巣立ちを前にしたヒナの取り合わせです。

それから数ヶ月。このヒナが本物の中秋の名月を拝めるとすれば、巣立ってからこれまでの月日をかなり上手く生き抜いてきたということになります。たぶん、仲間のうち2割か3割はすでにこの世にはいないはず。たとえ生き残っていても、胃の中は空っぽで餓死寸前の幼鳥も多いことでしょう。独り立ちしているとはいえ餌捕りの技術がまだまだ劣る幼鳥たちは、満腹の成鳥が休んでいる傍らでいつまでも餌を探し続けなければなりません。

けれども、もしも今、彼らが干潟の表れる浅瀬を餌場にしていたら、これからしばらくは一息つけるかもしれません。なぜなら、満月の日から少し遅れて訪れる大潮は、その干潮時にアオサギの採餌場として絶好の浅瀬を提供してくれるからです。その上、夜でも月明かりで餌を見つけやすいというおまけも付けてくれます。

満月の日に魚がよく釣れるというのは人もアオサギもたぶん同じなのでしょうね。

鷺の漢字

サギは漢字で鷺と書きます。今はスペースキーを押せば勝手に変換されますからパソコン上では誰でも鷺の字を書けますが、何も見ずに書ける人は意外と少ないかもしれませんね。それに画数が多いので、活字だけ見れば鷲などと混同されかねません。それが原因で、たとえばハムレットの一節、「(ハムレットの狂気は北北西の風のときにかぎるのだ。)南になれば、けっこう物のけじめはつく、鷹と鷲との違いくらいはな。」などという大変な誤植が生まれたりします(詳しくは「文学の中のアオサギ」の2002/11/11の記事をご参照下さい)。

ところで、この鷺という漢字、なぜ路に鳥と書くのでしょう? 何かの本に、サギは露のように白いことから鷺という字が当てられたとありました。たしかに、鷺という字が出来た時代は、鷺と言えば通常はシラサギを指していたと考えられますから間違いとは言い切れませんが、それにしてもいかにも取ってつけたようで嘘っぽいです。そこで、「路」そのものの意味を当たってみました。白川静著「常用字解」では「路」を次のよう解説しています。

各はさい(注1)(神への祈りの文である祝詞を入れる器)を供えて祈り、神の降下を求めるのに応えて、天から神が下ることをいう。それに足を加えた路は、神の降る「みち」をいう。[説文]二下に「道なり」とある。異族の人の首を持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を払い清めたところを道といい、道路とは呪力によって祓い清められたみちをいう。

(注1):「さい」という字はアルファベットのUの真ん中にはみ出さないように横棒を引いた形。

まさにこれです。これなら鷺の名前の由来にぴったりです。

古来、鳥というのは神の世界(あるいは冥界)と人の世界を自由に行き来できる存在とみなされてきました。これは地域、文化の隔たりを超えてかなり普遍的に流布されているイメージです。中でもサギは各地の神話や伝説に頻繁に登場しており、神々と人々を繋ぐ鳥として非常に人気があったようです。

たとえば、古代エジプトでアオサギがモチーフとなったベヌウという聖鳥がいます。このベヌウはオシリスの心臓から生まれ出たとされており、オシリスの司る冥界と地上の世界を自由に行き交うことができました。また、ギリシャでは女神アテネが戦場にいるオデュッセウスに伝言するのにサギを遣わしています。神のお使いとしての鳥という点では共通したイメージですね。

もちろん日本も例外ではありません。日本の場合も、大昔、とある神様のお遣いとしてサギが地上に降り立っていた時代があったのです。そのことは「サギ」が「サギ」という音で呼ばれていることが何よりの証拠です。謎をかけたままで申し訳ないのですが、この話は長くなるのでまたいずれ。今回はそれよりやや時代の下った「古事記」の頃の話を紹介します。

「古事記」にはサギの登場する場面が2ヶ所あります。このうち今回の話題に関係のありそうなのは天若日子の葬儀の場面です。天若日子というのはもとは高天原にいた神様で、ある神様を連れ戻すよう天照大神の命を受けて地上に降りてきます。ところが、ミイラ捕りがミイラになって天若日子も戻ってきません。そこで、天照大神は第二弾として雉鳴女を遣わします。これが雉鳴女でなく鷺鳴女とかであればとてもきれいに話がまとまるのですが、そう上手くはいきません。さて、雉鳴女は天若日子の家の庭にある木にとまると高天原の神様たちの伝言を伝えます。ところが、愚かなことに天若日子はこの雉を矢で射貫いてしまうのですね。射られた矢は雉を貫き天上まで達し、そこにいた神様が投げ返した矢は天若日子の胸を貫いてしまいます。こうして天若日子の葬儀が行われることになったのです。この葬儀ではいろいろな鳥がそれぞれ違う役割を担って登場します。ガンは岐佐理持(きさりもち)、カワセミは御食人(みけびと)、スズメは碓女(うすめ)、キジは哭女(なきめ)という具合です。そして、サギはというと掃持という役目です。掃持とは葬儀の際に穢れを祓い、墓所の掃除のために箒を持ち従う者なのだとか。

どうやら、上手い具合に「路」の語源と繋がってくれたようです。

闇夜の声

昔、私がアオサギとはじめて遭遇したのは、その姿ではなく声を通してでした。森の中を歩いていると、いきなり頭上低いところをギャッという甲高い声が横切ったのです。強烈なインパクトのある声でした。もしこれが人気のない暗闇で相手の正体を知らずに聞いた声だとすれば、心中穏やかではいられなかったかもしれません。

サギの声といえば、漱石の「吾輩は猫である」にちょっと気になる一節があります。小説の場面は、例のごとく苦沙弥先生の家に浮世離れしたいつもの連中が集まってたわいもない雑談をしているところ。ここで客の一人である寒月君が、ヴァイオリンを弾ける場所を求めて、夜中、ひとりで山に登ったときの体験談を披露します。寒月君、目的の場所に辿り着き、闇と静寂の中で一枚岩の上に腰を下ろして恍惚としています。

「こういう具合で、自他の区別もなくなって、生きているか死んでいるか方角のつかない時に、突然後ろの古沼の奥でギャーという声がした。…」
「いよいよ出たね」
「その声が遠く反響を起して満山の秋の梢を、野分と共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った…」
(…中略…)
「それから、我に帰ってあたりを見渡すと、庚申山一面はしんとして、雨垂れほどの音もしない。はてな今の音は何だろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎるし、猿の声にしてはーーこの辺によもや猿はおるまい。何だろう? (…中略…)今考えてもあんな気味の悪かった事はないよ、東風君」

恐怖に怯えた寒月君は、このあと一目散に山を駆け降りることになります。もっとも、漱石はこれがサギの声だとはどこにも書いていません。もしかすると、キツネか何かのつもりだったのかもしれません。けれど、「人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎる」というのは正にサギの声の特徴です。しかも、声が聞こえたのはいかにもサギがいそうな「小沼の奥」、ここはやはりサギのほうが相応しいと思うのです。どうしてこれがサギでなければならないか、それにはもうひとつ理由があります。どうも漱石は不気味なイメージを象徴する存在としてサギをみなしていた節があるのです。

漱石の別の小説「夢十夜」にサギの出てくる場面があります。サギが登場するのは怪談調に書かれた第三夜、ここではサギがまるで闇の使いでもあるかのように描かれています。

左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。

漱石に限らず、日本人のサギ、とくにアオサギに対する印象はいつも多少の不気味さを伴ったものであったようです。その辺りの詳しい考察は、以前、弘前大学の佐原さんが鳥学会で発表されたことがあります。発表のごく簡単な内容がこちらのページの「3. 西欧文学と日本文学におけるアオサギイメージの異同」で紹介されています。そこに書かれている「憂鬱」「暗鬱」「幽かな」、これらのイメージをアオサギに読み取る人は今でもまだ少なくないのではないでしょうか。

現代になってアオサギとこれらのイメージの関係は多少薄れてきたかもしれません。しかし、あの声に限って言えば、今でも私たちの想像力を十分掻き立てる魔力をもち続けているように思うのです。

青鷺の 声鳴き渡る 闇夜かな (舂鋤)

そういえば、怪談の季節なのでした。暑い夜、アオサギの声で涼んでみてはいかがでしょう?

キツネとサギ

今回は久々に童話の紹介です。タイトルは「キツネとサギ」。このように動物名がふたつ並ぶのはイソップの特徴ですね。そのイソップ童話ですが、私はイソップというとその内容が教訓を含んだものばかりなので、てっきり中世のキリスト教世界で作られたものとばかり思っていました。ところが、イソップ童話の起源は紀元前6世紀まで遡るのだそうです。場所はギリシャ。ペルシャ戦争よりもさらに前、ちょうどピタゴラスの定理とかが考えられていた頃のことだったのですね。そんなに古くからある話なので、話の内容も作られた当時の原形が必ずしも保たれてはいません。「キツネとサギ」の話にしても、「キツネとツル」だったり「キツネ とコウノトリ」だったりと様々なバリエーションがあります。キツネとういうのはキャラクターが際立ちすぎて他に変え難いということでしょうか。一方、キツネの相手は誰でも良かったのでしょうね。少なくともあの形をした鳥であれば。ただ、ここで「キツネとサギ」とした場合のサギの表記はEgretでなくHeronになるので、サギはアオサギのことと解釈して構わないと思います。私もそれがアオサギでなければここで紹介する意味がなくなってしまいますから。

さて、それでは寓話の中身のご紹介。

「キツネとサギ」

むかしむかし、あるところにキツネとアオサギが住んでいました。あるときキツネはアオサギを食事に誘いました。アオサギは喜んでキツネの家に出かけました。「アオサギさん、いらっしゃい。さあ、一緒にスープを飲みましょう。」そして、キツネは平たいお皿にスープを満たして持ってきました。ところが、アオサギはくちばしが長いものですからスープを一滴も飲めません。キツネは一人でペロペロとスープを舐めてしまいました。そこで、アオサギは言いました。「キツネさん、今日はごちそうさまでした。明日は私が食事に招待しますよ。」翌日、キツネは喜んでアオサギの家に出かけました。「キツネさん、いらっしゃい。 さあ、一緒にいただきましょう。」そして、アオサギは首の狭まったボトルにご馳走を入れて持ってきました。アオサギはボトルの中に首を入れ、中のカエルやドジョウをおいしそうに食べました。ところが、キツネはボトルの首が狭すぎるものですから何も食べられません。結局、キツネはボトルの外側をペロペロと舐めることしかできませんでした。おしまい。

いかがでしょう? 教訓的な意味はさておき、アオサギの形態的な特徴がよく表れている内容ではないでしょうか。

ところで、上に貼った絵はこの寓話の状況を見事に描いています。これはアントワープの画家フランス・スナイデルスが17世紀前半に描いた作品で、ご覧のようにここに描かれているのはまさしくアオサギです。それにしても、この時期にこれほど実物に忠実に、しかも自然なフォルムのアオサギが描かれていたとは驚きです。

スナイデルスはこのモチーフがよほど気に入ったのか、ほとんど同じ構図の絵をもう一枚描いています(左の絵)。一見、同じように見えますが、右端のアオサギの姿勢がちょうど反対向きになってます。ようく見ると、マガモもいませんし背景もずいぶん変えられています。それでも、主役のキツネとアオサギ、それにボトルの描かれ方は上の絵とほとんど同じ。この部分は彼の中でも完璧な構図だったのでしょうね。絵の描かれた順番は分かりませんが、上の絵のほうがいくぶん丁寧に描き込まれている感じはします。1枚目の絵はニューヨークのロチェスター大学に、2枚目の絵はストックホルムのナショナルミュージアムに所蔵されているようです。一度、実物を拝見したいものです。

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