湖東のちゃっかりアオサギさん 投稿者:都の鳥学徒 投稿日:2023/12/01(Fri) 13:05 No.3218
北海道の忍耐強い、播磨地方の大物を狩る、南紀のちゃんと魚を食べるアオサギさまに比べ京都市や滋賀の神社は、何か楽してヒトをからかったり、他の鳥と連携して私や他人の監視を頼んだりして、遊び(地球上の動物としてふさわしい生き方)をしているようです。ヒトに滅ぼされる悲劇のヒロインでなく逆に哲学におかしみを感じさせてくれ、会うたび敬意と愉快さを戴きます。荒々しいかつおもしろいヒトとの共存点を見出されるアオサギさまの能力、地球動物としてふさわしい進化に褒め称えずにはおれません。以下湖東の事例は、今も実際にある話です。
湖東のあるアオサギさまは、ある神社の池をいつのまにか休息地とし、錦鯉を餌にしております。神主さまや氏子総代さんも、アオサギをけしからん防除!する気持ちは全くありません。鯉を食べるのはアオサギの生きていく当然の行為で、それは自然の摂理と知っています。
また、神社側がそのアオサギをけしからんから殺すと考えるのは浅はかな人間や神社都合で、伝統的思想・殺生禁止(今どきの表現では生物多様性)それに西洋では聖鳥であること、そこの神主はわかっているため、やはりアオサギを殺すことはダメとおっしゃいました。ただ、氏子総代としては減った分の補充が必要な為、やはり当該アオサギさんにも学習していただき、他の場所で生活してもらおうと、背後からアオサギさんにも悟られないように(甲賀の忍びのご子孫でしょうか。)捕まえては首をおさえて錦鯉を吐き出させていました。出てきた錦鯉はお亡くなりになっていることが多く、鯉の神社に氏子総代は埋葬に都度出かけるしだいで、鯉の神社はうめられた錦鯉だらけになっているのだそうです。おかしいのは埋葬して帰ってくると、当該アオサギさまは、埋葬に行った氏子総代さんより早く戻り、ギリシア貴族のようにけろりとして池にいて、また誰もいないときにそっと錦鯉を食べているそうです。皆さんあっけにとられましたが、氏子総代さんもアオサギさんが錦鯉を食べる食べないにかかわらず、寸志を納めているから錦鯉を都度買いに行って補充しつづけているそうです。まちのニューファミリーとちがう寛容性が残っているように思います。
大阪の天神祭や京都の祇園祭に選ばれるお稚児さんは祭礼中、お坊様のように蚊すら殺生が禁じられ我慢が求められていることからも当該地域のわたしたちは殺生を極力抑えたヒトに一目おいていますし、世界に誇る滋賀の古代湖・琵琶湖では、日本人や都の歴史よりアオサギさまの飛来も古く、まっとうな生物多様性思想が残っているようですね。何よりアオサギさんを背後から首をつかんで驚かせ錦鯉をださせる滋賀県人の技術はスゴいと感じます。このエピソードは、地元で頑張る中小企業の代表さんから聴きました。
Re: 湖東のちゃっかりアオサギさ... まつ@管理人 2023/12/01(Fri) 21:47 No.3219
いつも興味深いお話をありがとうございます。なんというかちょっと現実離れしていて、昔話か寓話のようですね。でも、話の顛末に変に説教じみたところが感じられないのが良いです。神主さんもアオサギも自分のなすべきことを淡々とやって生きていらっしゃるのでしょう。うまく言い表せないのですが、この話にほのぼのした安堵を感じるのは、神主さんにアオサギに対する人間側の圧倒的優位性みたいなのが感じられないからでしょうね、たぶん。その辺に、人と野生動物の共生を考える上での重要なヒントがあるような気がします。
それにしても、背後からアオサギを捕まえるというのは、空想の世界でしかあり得ない気がするのですが…、本当に忍術でも使っているのかもしれませんね。
Re: 湖東のちゃっかりアオサギさ... 都の鳥学徒 2023/12/02(Sat) 04:56 No.3220
管理者さま ユーモア添えた丁重なご返信有難うございます。それもそうそうに。。恐れいります。 私も、京都市内の人馴れした方より明らかに臆病かつ慎重な近江のアオサギさまのほっそりしたお首を、神主さまの言いつけを守ってやってのけるその滋賀県人は、忍者技のようです。忍びには、相手の盲点に隠れる(観音隠れ)、ウズラがくれ、木の葉隠れ、狐隠れの術など動植物になりきる訓練をしていたとつたわります。日頃より動植物に悟られないレベルまで人間臭を消す自己訓練並大抵のことではありません。推測するに、互いにケガもしてないようです。確かに錦鯉の方が他のエサよりわかりやすいので、アオサギさんも子育て終えたらあのまなこで(話しはBさまの掲示に飛びますが、宴会中のお公家さんアオサギの目は満月を眺めやりながらしばしとじたりまた開いたりしているのではないでしょうか)大きく育ちしっかり見渡して厳しい自然の中をそれでもたのしく楽な餌場見つけられたのですね。神社も網くらい張ってもよさそうですが、徒然草11段の主の屋敷みたいな神社を望まれず自然に近い状態をよしとされたのでしょうね。
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