アオサギを議論するページ

文学の中のサギ

文学の中のサギ

2011/01/29(Sat) 18:50      まつ@管理人      イェイツのアオサギ

冬、雪で覆われた野外でアオサギを見かけることはほとんど無くなってしまいました。けれども、小説や詩、俳句、和歌など、文字で書かれた作品の中には季節を問わず彼らの暮らす場があります。そこに現れるアオサギはもちろん情景描写の一点景に過ぎないこともありますが、記録文学でもない限り、そこには多かれ少なかれ作者のメッセージが含まれます。アオサギの場合、このメッセージ性が他の鳥に比べとりわけ濃いように思うのです。

W. B. イェイツ(1865-1939)もアオサギをシンボリックに描いた作家の一人です。彼のことは以前ここでも取り上げたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません(このページの2008年12月25日の投稿)。そのとき紹介したのは「The Old Men of the Twilight(薄明の老人たち)」という短編でした。この作品に見られるモチーフは、ドルイド僧が聖パトリックの怒りを買いアオサギに姿を変えられてしまうというもの。そこで私は、そこでイェイツがアオサギに象徴させたものが何なのかを自分なりに考えてみたわけです。この作品に描かれているのは古代ケルトとキリスト教という異なる価値観をもつ世界です。であれば、そこに現れたアオサギは「両者を繋ぐ架け橋的な存在の象徴」だったのではないかと。これは後で考えればずいぶんいい加減な推論でした。投稿してほどなくおかしいことに気付き、早いうちに訂正しなければならないなと思いつつ、あっという間に2年も経ってしまいました。というわけで、今回は他の作品にもあたりながら、いま一度イェイツのアオサギ像を考え直してみたいと思います。

イェイツの作品は詩あり戯曲あり散文ありとその形態は様々ですが、そのいずれのジャンルにおいてもアオサギが登場します。おおざっぱに調べただけでも全部で10作近くはあるようです。そのうち、アオサギが重要な役割を担っているのは3つ。まず最初に発表されたのが前述の「薄明の老人たち」で、あとの2作は「The Calvary(カルバリー)」に「The Herne’s Egg(鷺の卵)」といずれも戯曲が続きます。

まずは「黄昏の老人たち」。これは前述したとおりで、聖パトリックがドルイド僧をアオサギの姿に変えるという内容です。場所はもちろんアイルランド。このモチーフはじつは古代ケルト世界に求めることができます。古代ケルトの人々は輪廻転生の考え方をもっており、さらに面白いことに、鳥は人の生まれ変わりとも考えていたようなのです。同じ鳥でもシジュウカラやハチドリといった鳥に前世の人の姿を想像するのは容易ではありませんが、サギやツルのように二本足で直立できる鳥であればまあ分からない話ではないですね。

人をアオサギに変えるというこのかなり突飛なモチーフは、じつはケルトの神話の中にほぼ同じパターンを見ることができます。アイルランドの神話ではマナナーン・マクリールという海の神がいるのですが、彼の奥さんになるイーファが、恋敵であったルクラという女性にアオサギに姿を変えられてしまうのです。イェイツが「黄昏の老人たち」を書くにあたってこの逸話を念頭に置いていたことはたぶん間違いないでしょう。このように、アイルランドのケルトの人々は古くからアオサギとの関わりを持っていたのです。

余談ですが、ドルイド僧は魔術を用いるとき、片方の手で片目を塞ぎ片足で立つ姿勢をとったそうです。これをサギのポーズと呼びます。魔術の内容についてはよく分かりませんが、彼らはこの姿勢をとることで意識を集中させパワーを集めることができたといいます。一本脚で佇み微動だにしないアオサギにドルイド僧が感じたもの、それはいま私たちが感じるものとそれほど変わらないのではないでしょうか。

脱線ついでにもうひとつ。先に書いたマナナーン・マクリールの神話でもそうですが、これらの神話に出てくるアオサギは、英語の文章ではcraneという単語で書かれる場合が多いようです。craneの日本語訳はツルです。おそらく、英語圏の人もそのまま読めばほとんどはツルと解釈するでしょう。これがそのまま和訳されて、日本でもごく当たり前にツルとなっています。けれども、ここで注意したいのは、アイルランドのケルト神話はアイルランド語で伝わったということ。アイルランド語ではその鳥をcorrと書きます。corrというのは首と脚の長い鳥のことです。このため、corrにはサギ以外にツルの意味も加わります。これがcorrをcraneと翻訳する人が多い理由なのですね。けれども、corrがサギであってツルでないことは少し注意すればすぐに分かります。たとえば右の図。これは”Celtic Symbols”(Sabine Heinz著)という本にあったケルトのデザインですが、この絵が使われているのはcraneを説明したページなのです。けれども、実際はこれがサギであることは頭の後ろに冠羽がついているのを見れば一目瞭然ですね。

もうひとつ混乱に拍車をかけているのは、アイルランドではサギとツルが言葉の上ではっきり区別されていないことです。学術的にはもちろん使い分けているのでしょうけど、一般にはサギのことをcraneと呼ぶことも多いそうなのです。なぜ明確に区別しないのかと不思議だと思いますが、これにははっきりした理由があります。そもそもアイルランドには(少なくとも現在は)ツルがいないのです。だから、サギのことをcraneと言ってもそれほど不都合がないのですね。craneはじつはサギなのです。そんなわけで、ケルト神話に現れるcorrがアオサギを指すのはまず間違いないと思います。

本題に戻りましょう。キリスト教とアイルランドの古代ケルト世界との対立、これはもっと広く言えば、キリスト教世界と非キリスト教世界との対立であるともいえます。このモチーフはイェイツの作品の中にしばしば現れます。「カルバリー」もそのひとつです。この戯曲の主役はキリスト、ラザロ、ユダの3人。そして脇役としてアオサギが非常にシンボリックに配置されています。ここでアオサギが象徴するのはキリストを裏切ったユダが属するはずの世界、それはすなわちキリストの存在とは無関係に成り立っている非キリスト教の世界です。劇中、楽師の一人がこう歌います。”God has not died for the white heron.” 神はアオサギのためには死なない、つまりアオサギは神の恩寵の及ぶ範囲外だというわけですね。これは言い換えれば、アオサギを非キリスト教世界のシンボルとみなしているということでもあります。

なお、楽師の台詞(実際は歌)に出てくるサギがwhite heron(白いアオサギ)となっていますが、この白いという語はとくに気にしなくてもいいと思います。じつは次に話題にする「鷺の卵」でも同じく白いサギが出てきます。アオサギを敢えて白くしたことについてはイェイツに何か思うところがあったのだと思いますが、話の内容からはアオサギが何色であっても物語の内容にはとくに影響しないように思います。おそらく、舞台での演出効果を考えてインパクトのある白にしたのではないでしょうか。少なくともheronと書かれている限りアオサギであることは間違いなく、シラサギ(egret)を指しているわけではありません。日本語訳された戯曲集を見ると「白鷺」となっていますが、これは明らかに誤訳で、本来は「白い青鷺」、それが無理なら少なくとも「白い鷺」とすべきです。

「カルバリー」のアオサギについては、このように非キリスト教世界を象徴するものとして捉える見方が一般的ですが、これとは反対に、キリスト、あるいはキリスト教世界に結びつけて考える人もいます。じつはこの見方は「カルバリー」が最初ではなく従来からあったものなのです。とくに中世キリスト教の世界ではサギはかなり肯定的に捉えられており、9世紀にマインツの大司教であったマウルス・ラバヌスに至っては、驚くべきことに「サギはキリストである」とまで言っています。これは詩篇第103巻17番の”Herodii domus dux est eorum”(訳:サギは彼らの家の指導者)を解釈したものだそうですが、この辺の事情は詳しく調べればまだまだ面白いことが出てきそうですね。ともかく、イェイツが「カルバリー」のアオサギにキリストを象徴させたとしても何の不思議もないわけで、もしそうであれば、アオサギはキリスト教世界と非キリスト教世界の狭間をどっちつかずのまま漂っていることになります。それはとりもなおさずイェイツの心境を反映したものでもあるのでしょう。

最後は「鷺の卵」の紹介です。この戯曲が世に出たのはイェイツが亡くなる前年(1938年)のこと。「カルバリー」から17年、「黄昏の老人たち」からは43年もの月日が経っています。「鷺の卵」はイェイツの戯曲の中ではもっとも論争の多いものだそうですが、サギの象徴性ということで見れば、今回の3作品の中ではもっとも分かりやすい内容だと思います。「鷺の卵」のアオサギは王であり神として登場します。神といってももちろんキリスト教の神ではありません。ここでのサギはもはや「カルバリー」のアオサギのような二面性をもつどっちつかずの存在ではなく、明らかに非キリスト教世界、古代ケルト世界を象徴するものとして描かれているのです。

物語では、このサギの卵が別の王によって盗み出され、そのうえ、サギの妃となるはずの女司祭がこの王たちによって陵辱されます。サギの王の世界を古代ケルト世界とみなすなら、卵を盗んだ王が代表しているものはキリスト教の世界に他なりません。つまり、アイルランドにもとからあったケルト社会を、あとから来たキリスト教が蹂躙した、そのシンプルな歴史表現と捉えることができるのです。ここに来てイェイツは、キリスト教世界よりも古代ケルト世界のほうが良いものだという思いを確信に変えたとも考えられます。

アオサギの毅然とした立ち姿を思うにつけ、キリスト教の本質というものが、虚構をいかに実存に耐えさせるかという壮大な実験に過ぎないように思えてなりません。アオサギはニーチェ的な意味合いで見れば徹頭徹尾、実存そのものです。そのサギの前ではキリスト教の神は「アオサギのためには死ねない」などと意味のない御託を並べる前に、自ら雲散霧消するほかないでしょう。

ユダであれ誰であれ、人間である以上、そこに完璧な実存を求めるのには無理があります。イェイツの手法的な秀逸さは、人間でなくアオサギをもって完全な実存を見通し得たことだと思うのです。もしイェイツが、その生涯をアオサギに関心を持つことなく過ごしたなら、キリスト教の世界観から果たしてうまく脱することができたかどうか。そう考えると、イェイツのアオサギは彼の文学になくてはならない存在であり、ひいてはイェイツが旗手として率いたアイルランドの文芸復興運動の陰の功労者といえるかもしれないと思うのです。

2010/08/11(Wed) 06:52      まつ@管理人      闇夜の声

昔、私がアオサギとはじめて遭遇したのは、その姿ではなく声を通してでした。森の中を歩いていると、いきなり頭上低いところをギャッという甲高い声が横切ったのです。強烈なインパクトのある声でした。もしこれが人気のない暗闇で相手の正体を知らずに聞いた声だとすれば、心中穏やかではいられなかったかもしれません。

サギの声といえば、漱石の「吾輩は猫である」にちょっと気になる一節があります。小説の場面は、例のごとく苦沙弥先生の家に浮世離れしたいつもの連中が集まってたわいもない雑談をしているところ。ここで客の一人である寒月君が、ヴァイオリンを弾ける場所を求めて、夜中、ひとりで山に登ったときの体験談を披露します。寒月君、目的の場所に辿り着き、闇と静寂の中で一枚岩の上に腰を下ろして恍惚としています。

「こういう具合で、自他の区別もなくなって、生きているか死んでいるか方角のつかない時に、突然後ろの古沼の奥でギャーという声がした。…」
「いよいよ出たね」
「その声が遠く反響を起して満山の秋の梢を、野分と共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った…」
(…中略…)
「それから、我に帰ってあたりを見渡すと、庚申山一面はしんとして、雨垂れほどの音もしない。はてな今の音は何だろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎるし、猿の声にしてはーーこの辺によもや猿はおるまい。何だろう? (…中略…)今考えてもあんな気味の悪かった事はないよ、東風君」

恐怖に怯えた寒月君は、このあと一目散に山を駆け降りることになります。もっとも、漱石はこれがサギの声だとはどこにも書いていません。もしかすると、キツネか何かのつもりだったのかもしれません。けれど、「人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎる」というのは正にサギの声の特徴です。しかも、声が聞こえたのはいかにもサギがいそうな「小沼の奥」、ここはやはりサギのほうが相応しいと思うのです。どうしてこれがサギでなければならないか、それにはもうひとつ理由があります。どうも漱石は不気味なイメージを象徴する存在としてサギをみなしていた節があるのです。

漱石の別の小説「夢十夜」にサギの出てくる場面があります。サギが登場するのは怪談調に書かれた第三夜、ここではサギがまるで闇の使いでもあるかのように描かれています。

左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。

漱石に限らず、日本人のサギ、とくにアオサギに対する印象はいつも多少の不気味さを伴ったものであったようです。その辺りの詳しい考察は、以前、弘前大学の佐原さんが鳥学会で発表されたことがあります。発表のごく簡単な内容がこちらのページの「3. 西欧文学と日本文学におけるアオサギイメージの異同」で紹介されています。そこに書かれている「憂鬱」「暗鬱」「幽かな」、これらのイメージをアオサギに読み取る人は今でもまだ少なくないのではないでしょうか。

現代になってアオサギとこれらのイメージの関係は多少薄れてきたかもしれません。しかし、あの声に限って言えば、今でも私たちの想像力を十分掻き立てる魔力をもち続けているように思うのです。

青鷺の 声鳴き渡る 闇夜かな (舂鋤)

そういえば、怪談の季節なのでした。暑い夜、アオサギの声で涼んでみてはいかがでしょう?

2010/07/30(Fri) 12:02      まつ@管理人      キツネとサギ

今回は久々に童話の紹介です。タイトルは「キツネとサギ」。このように動物名がふたつ並ぶのはイソップの特徴ですね。そのイソップ童話ですが、私はイソップというとその内容が教訓を含んだものばかりなので、てっきり中世のキリスト教世界で作られたものとばかり思っていました。ところが、イソップ童話の起源は紀元前6世紀まで遡るのだそうです。場所はギリシャ。ペルシャ戦争よりもさらに前、ちょうどピタゴラスの定理とかが考えられていた頃のことだったのですね。そんなに古くからある話なので、話の内容も作られた当時の原形が必ずしも保たれてはいません。「キツネとサギ」の話にしても、「キツネとツル」だったり「キツネ とコウノトリ」だったりと様々なバリエーションがあります。キツネとういうのはキャラクターが際立ちすぎて他に変え難いということでしょうか。一方、キツネの相手は誰でも良かったのでしょうね。少なくともあの形をした鳥であれば。ただ、ここで「キツネとサギ」とした場合のサギの表記はEgretでなくHeronになるので、サギはアオサギのことと解釈して構わないと思います。私もそれがアオサギでなければここで紹介する意味がなくなってしまいますから。

さて、それでは寓話の中身のご紹介。

「キツネとサギ」

むかしむかし、あるところにキツネとアオサギが住んでいました。あるときキツネはアオサギを食事に誘いました。アオサギは喜んでキツネの家に出かけました。「アオサギさん、いらっしゃい。さあ、一緒にスープを飲みましょう。」そして、キツネは平たいお皿にスープを満たして持ってきました。ところが、アオサギはくちばしが長いものですからスープを一滴も飲めません。キツネは一人でペロペロとスープを舐めてしまいました。そこで、アオサギは言いました。「キツネさん、今日はごちそうさまでした。明日は私が食事に招待しますよ。」翌日、キツネは喜んでアオサギの家に出かけました。「キツネさん、いらっしゃい。 さあ、一緒にいただきましょう。」そして、アオサギは首の狭まったボトルにご馳走を入れて持ってきました。アオサギはボトルの中に首を入れ、中のカエルやドジョウをおいしそうに食べました。ところが、キツネはボトルの首が狭すぎるものですから何も食べられません。結局、キツネはボトルの外側をペロペロと舐めることしかできませんでした。おしまい。

いかがでしょう? 教訓的な意味はさておき、アオサギの形態的な特徴がよく表れている内容ではないでしょうか。

ところで、上に貼った絵はこの寓話の状況を見事に描いています。これはアントワープの画家フランス・スナイデルスが17世紀前半に描いた作品で、ご覧のようにここに描かれているのはまさしくアオサギです。それにしても、この時期にこれほど実物に忠実に、しかも自然なフォルムのアオサギが描かれていたとは驚きです。

スナイデルスはこのモチーフがよほど気に入ったのか、ほとんど同じ構図の絵をもう一枚描いています(左の絵)。一見、同じように見えますが、右端のアオサギの姿勢がちょうど反対向きになってます。ようく見ると、マガモもいませんし背景もずいぶん変えられています。それでも、主役のキツネとアオサギ、それにボトルの描かれ方は上の絵とほとんど同じ。この部分は彼の中でも完璧な構図だったのでしょうね。絵の描かれた順番は分かりませんが、上の絵のほうがいくぶん丁寧に描き込まれている感じはします。1枚目の絵はニューヨークのロチェスター大学に、2枚目の絵はストックホルムのナショナルミュージアムに所蔵されているようです。一度、実物を拝見したいものです。

2009/01/04(Sun) 23:23      まつ@管理人      アオサギと魚とザリガニ

アオサギはけっこうザリガニが好きらしく、私も巣の下でザリガニのハサミを見つけたことがあります。アオサギにしてみれば、魚よりも簡単に獲れる獲物なんでしょうね。見かけほどには食べるところが無さそうですが。

そのアオサギとザリガニですが、こんな民話があります。話によってはザリガニがカニになっていたり細部は多少異なりますが、だいたい次のようなものです。

『アオサギと魚とザリガニ』
昔、大きな池の縁にアオサギが住んでいました。アオサギは池の魚を獲って暮らしていました。けれども、そのうち年老いてくると、十分に魚を獲ることができなくなってしまいました。そこでアオサギは楽に魚を獲る方法は無いものかと考えました。ある日、アオサギは魚たちに言いました。「魚さん、魚さん、この池は近いうちに干上がってしまうそうだよ。そこで一案があるんだが、山を越えた向こうにもうひとつ大きな池がある。ぼくが魚さんたちを一匹ずつくわえてその池に運んであげようと思うんだ。どうだろう?」魚たちは親切なアオサギの提案に大賛成でした。そして、その日からアオサギは魚を一匹ずつくわえて池を飛び去るようになったのです。池の魚がずいぶん少なくなったある日、一匹のザリガニがアオサギに尋ねました。「アオサギさん、アオサギさん、魚さんたちだけでなく、ぼくも連れていっておくれよ」アオサギはもちろん承知しました。アオサギはザリガニをひょいとくわえると、魚たちにしたのと同じようにもうひとつの池に向けて飛び立ちました。しかし、飛んでも飛んでももうひとつの池が見えてきません。そればかりか、地上には魚の骨が無数に散らばっています。「やい、アオサギ、よくもぼくたちを騙したな」とザリガニが怒って言いました。「今頃になって気付いてももう手遅れだよ。では、お前も・・」とアオサギが言いかけたその時でした。ザリガニは魚たちと違ってはさみを持っていたのです。そして、アオサギの首をはさむと、すっぱりちょん切ってしまいました。その後、ザリガニは元の池に戻り、残った魚たちとともに平和に暮らしましたとさ。おしまい。

2008/12/25(Thu) 00:41      まつ@管理人      メリー・クリスマス!

クリスマスということで、キリスト教に関連した話題を少し。
ウイリアム・バトラー・イェイツといえば、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したアイルランドの詩人・劇作家で、幻想的な詩や散文を多く残したことで有名です。その幻想的な散文のひとつに「The Old Men of the Twilight」というのがあります。原文はこちら
タイトルは薄明時の老人達とでも訳せるでしょうか。twilightというのはうすぼんやりした光の状態ですから、時間帯としては黄昏時でも夜明け前の薄明時でも構わないのですが、ここでは物語の内容からして夜明け前の薄明でなければなりません。
さて、この物語にはアオサギが登場します。しかも、ただの風景の中の点景や脇役としてではありません。薄明時の老人達そのものがじつはアオサギなのです。

物語は、岬の小屋で番をしている男が、薄明時にアオサギの群れが水辺に下りるのを目撃するところから始まります。男はそのうちの一羽を銃で撃ちます。しかし、仕留めたと思ったのはアオサギではなく、じつは人間の老人だったのです。撃たれて瀕死の老人は、自分たちがアオサギの姿になっていた訳を男に語ります。かつて自分たちがドルイド僧だったということ、そして、あるとき聖パトリックが現れ、彼の布教活動に無関心なドルイド僧たちをアオサギの姿に変えたのだということを。

なお、ドルイド教とは、アイルランドをはじめとした古代ケルト社会で支配的だった土着宗教のことです。また、聖パトリックとは、それまでドルイド教が支配していたアイルランドにキリスト教をはじめて流布した人物です。いわゆるアイルランドの守護聖人ですね。

その聖パトリックがドルイド僧たちに罪の宣告をする場面があります。以下にその和訳を載せますが、私が自己流に訳したものなので稚拙なところはご容赦下さい。ともあれ、この物語の核心部分です。

「我は汝らを呪う。我は汝らの姿を変え、永遠に人々の見せしめにすることにしよう。汝らはアオサギになるのだ。そして、灰色の池で考え事をしながら佇むがよい。ただし、星々が瞬くのをやめてから日の光が射しはじめるまでの時間、世界が寝息で満ちあふれるあの時間だけは飛ぶことを許そう。そして、他のアオサギどもが汝らと同じように人々の見せしめになるまで汝らは説教を続けるのだ。死は汝らのもとを突然訪れ、その死を予見することはできないだろう。汝らに確かなものはなにひとつなくなるのだ」

迷訳なので分かりにくいかもしれませんが、ここでのアオサギがキリスト教世界の外の存在を象徴するものとして描かれているのは確かです。たしかに、アオサギのあの佇んだ姿勢は、何かを思索していると思わせるのには好都合かもしれません。一応、何かものを考えてはいるが、キリスト教の神を崇拝するのではなく、それゆえ真実に至ることもない存在、聖パトリックから見ればアオサギはそんな無意味な思索をする輩でしかなかったのでしょう。つまりそれはドルイド僧そのものの象徴であるとも読めるわけです。

物語のこの部分だけを引用すると、イェイツがキリスト教の世界観を擁護していると受け取られるかもしれません。けれども、実際はそうではなく、むしろキリスト教の価値観とは一線を画したところに身を置き、ドルイド教をはじめとした土着の宗教やアイルランドの神話的な世界に強く影響されていたのです。であればこそ、ここに描かれるアオサギも、ここでイメージされるようなネガティブな存在としてではなく、何か別の象徴として捉え直す必要があるのです。

イェイツのアオサギを考えるヒント、それはこの物語のタイトルに使われているtwilightという単語にあります。この語はイェイツにとって単に光の状態や時間帯を表すものではありません。イェイツのtwilightとは、アイルランドにもとからあった土着的な世界とキリスト教世界、そのふたつの世界の境界域に横たわる、両者が溶け合う特別な時空を表象するものなのです。そして、そのtwilightの時間に飛ぶことを許されたのがアオサギだったのです。おそらくイェイツは、異なる価値基準が併存したアイルランドで、両者を繋ぐ架け橋的な存在の象徴としてアオサギを描いたのでしょう。

以下、余談ですが、同じくアイルランドにゆかりのある人物、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンについて少し触れてみます。
彼の名のラフカディオがじつはミドルネームだというのを御存知でしょうか? 本当はパトリック・ラフカディオ・ハーンが正しいのです。であれば、本来はパトリック・ハーンと称しても良さそうなもの。けれどもそうでないのは、ハーンが聖パトリックに因んで名付けられた自分の名前をあまり好んでいなかったからだとも言われています。一方、苗字のハーンのほうはどうでしょう。こちらは英語でHearnと綴ります。Hearnは語源としてはHeronと同じ。Heronはもちろんサギのことですが、アイルランドではとくにアオサギを指しています。ハーンもそのことは十分に意識していたようで、彼がわざわざ鷺を意匠にした家紋をつくったというエピソードからも、ハーンが自分のアオサギ姓を人一倍気に入っていたことが伺われます。

キリスト教世界から距離を置きつつ、アオサギを通してその向こうに広がる幻想世界をかいま見ようとしたイェイツ。同じくキリスト教の世界に懐疑的で、アオサギに少なからぬ縁のあったハーン。そして、ハーンもやはりアイルランドでのイェイツ同様、日本のトワイライトの世界を探求することになるのです。私はこの二人に不思議な一致を感じます。ほぼ同時代を生きた彼らにどのような繋がりがあったのか? それもまた、トワイライトの異界に身を委ねればおのずと解ることなのかもしれません。

2008/07/11(Fri) 00:47      まつ@管理人      無題

子規の句にこんなのがありました。

夕立に鷺の動かぬ青田かな (子規 寒山落木)

夕立といい青田といい、ちょうど今頃詠んだ句でしょうか。
田んぼでドジョウやカエルを探しているところに突然の夕立。雨粒が水面を叩きつけるので餌を探そうにも水中の状況がよく分からない。仕方がないので、そのままそこに立ちつくしている。そんなところでしょう。たぶん、あの簑笠を被ったような首をすくめた姿勢で。
夕立のあとの涼しさが気持ちよさそうです。

ところで、この句、季重なりどころか季語が三つもあるんですね。


2008/07/16(Wed) 06:05      カラス      Re: 無題

俳句には季語、季題が必ず一つ含まれることが望ましい、と言われます。季語季題が一つあることが「必ず」と「望ましい」というあやふやなところも、俳句の面白さでしょうか。

夕立に鷺の動かぬ青田かな の一句は鷺の風情を際立たせて連想を呼ぶ名句なのだと思いました。

アオサギが雪の残る河原に降り立つ風情は、私には春の到来を知らる風景なのですが、アオサギの名が句にあると、早春を表せないのかなとは思いました。例えば、

溶け水の 流れる河原 鷺おりる  の腰折れは成り立たないのかなという思いです。これをきっかけに、少し俳句のことを勉強してみようかなという思いに駆られました。


2008/07/17(Thu) 22:34      まつ@管理人      Re: 無題

さっそくですが、私、ひとつ嘘を書いてしまいました。調べてみたところ、「鷺」という季語は無いそうです。すっかり夏の季語とばかり思っていましたが、考えてみれば、季語でないほうがいつの季節にも使えて便利なんですね。鷺自体は一部の北国を除いて年中見られるわけですから、季語として縛られる言葉でないのも道理です。ただ、「青鷺」や「白鷺」のように具体的な名は夏の季語になるようです。「冬の鷺」はOKですが、「冬の青鷺」とは言えないわけですね。
ということで、北国の春告鳥?として鷺を詠むのは問題ないようです。

2007/05/07(Mon) 21:54      まつ@管理人      降り立ったのはどちらでしょう?

北海道ではそろそろ田植えのシーズンですが、春とはいえまだまだ朝晩は寒いですね。そんな時期の一句。
鷺下りて 苗代時の 寒さかな
子規、明治27年の作です。昔の田植えは今よりずっと遅かったはずなので、今頃の時期はまだじゅうぶん苗代時だと思います。

ところで、この鷺、シラサギかアオサギか悩ましいところですね。ですが、私はやはりアオサギではないかと。純白のサギが緑の苗代に下りてきたのでは、ちょっとイメージが鮮やかすぎてあまり寒さを感じないのです。皆さんはどう思われますか? ただ、青鷺は夏の季語ですから、この句には使えないんですよね。

2006/09/30(Sat) 22:34      まつ@管理人      鷺と亀

鶴と亀ならぬ鷺と亀の取り合わせは、実は大昔から寓話の題材でした。古いところではシュメール人が書いたものもあります。シュメール人ですからおそらく楔形文字で書いているのでしょう。内容が気になるところですが、それはまた近いうちに。


2006/10/09(Mon) 17:31      まつ@管理人      Re: 鷺と亀

さて、鷺と亀のシュメール民話ですが、ネットに英訳されたものがあったので見てみました。ただ、いかんせん元になるものがあまりに古いので、ところどころ虫に食われたように単語が抜け落ちています。欠落が数単語ならまだしも、行ごと抜けていたり、最後のほうは6行、3行、5行とまとまって無くなっている始末。とくに、一番最後は欠落した行数さえ不明という有様でした。まるで古い宝島の地図ですね。

そんなわけで内容はよく分からないのですが、意地悪なカメと、カメの悪行に困ったサギの話のようです。カメの悪行というのは、葦原にあるサギの巣をひっくり返したり、卵を壊したり、ヒナを水に放り込んだりといったことで、これに困ったサギは王様に広い葦原が欲しいと嘆願します。王様は願いを聞き入れ、サギは広い葦原で子育てをはじめるのですが、それでもカメの悪行狼藉は止むことがなく…。

で、結末は、もちろん分かりません。
普通に考えれば、最後にカメが痛い目に遭うといったイソップ的なオチになりそうですが。もしかすると、サギが王様に、カメが登って来れないような高い木が欲しいと頼み、それからサギは木の上で子育てするようになりましたとさ、おしまい。となるのかもしれません。
さっぱり予想がつきません。なにせ4千年とか5千年前の話ですからね。

英訳を御覧になりたい方はこちらをどうぞ。

2006/07/07(Fri) 19:09      まつ@管理人      七夕

今日が七夕と聞いて、なんとなくアオサギを連想してしまいました。何故だろうと考えてみたところ、どうも「銀河鉄道の夜」の鷺捕りの場面が頭にあったようです。
鳥捕りはジョバンニたちにこう言います。
「さぎというものは、みんな天の川の砂が凝って、ぼおっとできるもんですからね」
この後、鳥捕りは天の川で実際に鷺を捕るのですが、いずれも幻想的で忘れがたいシーンです。

サギといえば、じつは中国の七夕伝説ともわずかながら接点があります。日本の織姫と彦星の話は中国から伝わったものですが、あちらでは天の川で二人の逢瀬を手助けするのはカササギということになっています。カササギが翼を並べて天の川に橋を架けるわけです。この話はすでに奈良時代には日本に伝わっていたようで、当時の歌人、大伴家持は次のような歌を詠んでいます。

鵲(かささぎ)の渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける

カササギは昔は日本にいなかった鳥ですが、奈良時代に新羅から2羽を連れてきたことが日本書紀に記されています。この2羽はその後、大阪の神社の庭でヒナを孵したそうです。果たして家持はこのカササギを実際に見たことがあったかどうか。詳しいことは知りませんが、カササギが本格的に日本に定着しはじめるのはこれよりずっと後、秀吉の朝鮮出兵の際に連れ帰ったのが最初だといわれています。

そんなこんなで、奈良時代以降ながい間、実物不在のままカササギの名前だけが一人歩きすることになります。そのためか、カササギはいつしかサギと混同されるようになりました。前にもここで書きましたが、源氏物語の「浮舟」の一節、「山の方は、霞へだてて、寒き洲崎に立てる笠鷺の姿も、所からは、いとをかしう見ゆるに」の「笠鷺」は、カササギではなく明らかにサギのことです。あるいは、津和野の鷺舞。これももともとは七夕伝説のカササギが由来となっているとも言われています。
当時の人々は、天の川に橋を架けるのはサギなのだと、ごく普通にイメージしていたのでしょう。

もしかすると、宮沢賢治の鷺捕りの着想もこの辺りにあるのかもしれませんね。

2006/02/09(Thu) 22:29      まつ@管理人      しばれる夜空に鷺の声

寒さや雪よりも、陽射しの弱さに冬を感じるほうなので、私にとって冬のピークは12月の下旬です。そのころの淡く弱々しい光に比べれば、今の時期、たまに降り注ぐ陽射しのなんと力強いことか。「光の春」とはつくづく的を射た表現だと思います。
とはいえ、実際の春はまだまだ先なのですが。

子規の歌にこんなのがありました。
久方の星の光の清き夜に そことも知らず鷺鳴きわたる  (正岡子規 「竹乃里歌」)
冬、かどうかは分かりません。星について詠んだ一連の歌のひとつなので、たぶんほんとは夏なのでしょう。ただ、清き夜というとどうしても冬のほうがイメージされるので。この場合も、しばれた夜空に鷺の声が甲高く響いているのを想像してしまいました。

ところで、鷺を題材にした短歌や俳句で、姿かたちではなく声を詠んだものはほとんど無いと思うのですが、どうでしょう? 昔も今も、鷺の声は日本人には好まれないようで、気味悪いものとして敬遠されこそすれ、とても歌や句に詠まれるような代物ではなかったはず。あるいはこの子規の歌は、鷺の声を詠んだ唯一のものかもしれません。

星の光の清き夜に、先入観を捨ててそっと耳を澄ませば、聞き慣れた鷺の声にも、もしかすると詩的な響きを感じられるかもしれませんよ。

2006/01/01(Sun) 14:43      まつ@管理人      インディアンの昔話

北米のネイティブアメリカンの昔話にこんなのがありました。
以下に拙いながらも意訳してみましたので、正月の時間を持てあましている方はどうぞ。

— サギとハチドリ —

むかしむかし、あるところにサギとハチドリ(ハミングバード)がいました。ふたりは大の仲良しで、サギは大きな魚を、ハチドリは小さな魚を食べて暮らしていました。

ある日、ハチドリがサギに言いました。「サギさん、サギさん、ここには魚があんまりいないね。そこでひとつ相談なんだけど、競争で勝ったほうが魚を独り占めにするっていうのはどうだい?」

サギはそれは良い考えだと思いました。そこでふたりは、ずっと遠くの川の、年老いた枯れ木まで競争することにしました。

翌朝、ふたりは一緒にスタートしました。ハチドリは素早くぶんぶん飛び、サギは大きな翼でゆったりと羽ばたいていきました。少し飛ぶと、きれいなお花畑がありました。その美しさに心を奪われたハチドリは、下りていって花の蜜を吸いはじめました。

しばらくすると、ハチドリの頭の上をサギが追い抜いていきました。それに気付いたハチドリは急いで飛び上がり、ぶんぶん飛んで、あっという間にサギを追い抜いていきました。それでもサギは、大きな翼でゆったりと羽ばたいているのでした。

せわしなく動き回り疲れたハチドリは、日が暮れると一寝入りすることに決めました。そして、とまるのに格好の枝を見つけると、一晩中ぐっすり眠りました。サギのほうはというと、夜の間もやっぱり大きな翼でゆったりと羽ばたき続けていたのです。

朝になってハチドリが目を覚ますと、はるか先にサギが飛んでいくのが見えました。ハチドリはサギに追いつくため、一生懸命ぶんぶん飛ばなければなりませんでした。やがてハチドリはサギを追い越し、大きなサギは後ろの方に遠ざかっていきました。

しばらく飛んでいると、きれいなお花畑が見えてきました。それに気付いたハチドリは、また下りていって、花から花へと気ぜわしく飛び回り、花の蜜を吸いはじめました。そして、おいしい蜜とお花畑のきれいな景色にうっとりし、頭の上を大きなサギが通り過ぎたことにも気付きませんでした。

しばらくして、自分が競争していることを思い出したハチドリは、慌ててサギの後を追い駆けました。ぶんぶん飛んだハチドリは、ほどなくサギを追い抜いていきました。それでもサギは、いつもどおり大きな翼でゆっくりと羽ばたいていくのでした。

次の日もその次の日も、サギとハチドリの競争は続きました。ハチドリはお花畑で素晴らしいいっときを過ごし、夜になると疲れて眠りました。サギはというと、大きな翼でゆったりと羽ばたきながら、昼も夜もただ黙々と飛び続けていました。

さて、四日目の朝になりました。ぐっすり眠ったハチドリは元気いっぱいです。すぐにゴールを目指してぶんぶん飛んでいきました。そして、とうとう川のほとりの年老いた枯れ木に辿り着きました。けれども、ハチドリがその木のてっぺんに見たものは、なんとあのゆっくり飛んでいたサギではありませんか。

その日からというもの、川という川、湖という湖にいる魚は全てサギのものになりました。そして、ハチドリのほうはというと、すっかりお花畑のとりこになり、花から花へ飛び回りながら、おいしい蜜をたっぷり吸って暮らしましたとさ。

おしまい。

これはアメリカ南東部に住むヒチティ族の昔話です。あの辺りのサギということは、オオアオサギと見てまず間違いないでしょう。話の内容もさることながら、アオサギをも凌ぐ巨体が昼夜兼行で黙々と飛び続ける様は、イメージするだけで何だか壮大な気分になれます。一見、イソップのウサギとカメの話に似ていますが、こちらのほうは、途中でサボっていると負けるよといった教訓じみた話ではなく、最後はサギもハチドリも両者ハッピーエンド。いいですね、こんな世界。

2004/12/24(Fri) 03:04      まつ@管理人      メリークリスマス!

札幌、今年はホワイトクリスマスになりました。クリスマスなので聖書にちなんだ話題を。

アイルランドに「ケルズの書」というのがあります。これはマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝が収められた福音書の写本で、9世紀初めに書かれています。この写本のすごいところは全ページにわたって、動物、植物、渦巻き模様といった精緻な装飾が施されていることです。その後のケルト文様はこの本が源泉だとも言われています。このページにその一部が載っているので見てみて下さい。
じつは、「ケルズの書」にはアオサギの絵が何度も出てくるらしいのです。そこで、どこかに載ってないかなといろいろ探したのですが見あたりませんでした。代わりに、ケルズの書に出てくるアオサギをモチーフにしたものが見つかったのでお見せします。ひとつは石に描かれたもの、もうひとつはブローチ(左上)です。指輪やネックレスなど、アオサギをモチーフにしたケルト文様の装飾品はかなりポピュラーなようです。

ケルトの人たちの間では、アオサギは意味をもつ鳥でした。ある場合には、現世と来世を行き来するメッセンジャーであり、月や魔法といった神秘の世界に深く関わるイメージをもつ鳥であったようです。また一方では、合理的な精神と忍耐力のシンボルであり、夢を現実に変える方法を授けてくれる鳥とも見なされていました。

なんだか、クリスマスにとっても似合いそうな鳥ですね。

2004/11/25(Thu) 20:44      まつ@管理人      源氏物語の鷺

ずっと前に「源氏物語」に登場するサギについて触れました。
「山の方は、霞へだてて、寒き洲崎に立てる笠鷺の姿も、所からは、いとをかしう見ゆるに」という部分です。
これは、第五十一帖「浮舟」に出てくる情景描写で、場所は宇治川のほとりです。ここに書かれた笠鷺は、今でいうカササギではなく、サギだというのが定説になっています。たしかに、カササギであれば「洲崎に立てる」という表現にはかなり無理がある気がします。「立てる」というからには、やはり長い足がスッと見えるサギのような鳥でなければ。

さて、問題はそのサギが何サギかというところ。「笠」鷺というくらいだから、頭に笠をかぶったように見えたのだと思われます。とすれば、一番可能性がありそうなのは冠羽のラインが特徴的なアオサギかと…。

絵でもあれば良いのですが。残念ながら、平安時代につくられた「源氏物語絵巻」ではこの「浮舟」の巻は現存しません。しかし、ずっと時代が下って江戸時代の「絵入源氏物語」にははっきりと鳥の姿が描かれています。
これを見ると、カササギでないことは確かですが、シラサギかアオサギかとなるとちょっと微妙です。ただ、風切羽の辺りが黒く強調されているので、真っ白なサギを描こうとしたようには見えません。どちらかと言えばやはりアオサギではないでしょうか。贔屓目かも知れませんが…。(それにしても、寒き洲崎というわりにはあまり寒さの感じられない絵ですね)


2004/11/25(Thu) 21:59      まつ@管理人      Re: 源氏物語の鷺

つづきです。

「源氏物語」には多くの注釈書があります。そのうちのひとつ「異本紫明抄」では「寒き洲崎に立てる笠鷺」の箇所についてその出典が示されているそうです。それによると「和漢朗詠集」に載せられた漢詩が元になっているのだとか。次の詩がそれです。

蒼茫霧雨之霽初 寒汀鷺立 重畳煙嵐之断処 晩寺帰僧

ここでは「寒汀鷺立」となっていて鷺の一文字しかありません。これならカササギかサギかと迷うこともないですね。

「寒汀鷺立」という主題は当時の人には人気があったようで、「源氏物語」以外にも同じ主題を見ることができます。たとえば、鎌倉時代に編纂された「夫木和歌抄」。この歌集には少しずつ言い回しを変えて同じような歌が三句も詠まれています。しかも、ここでのサギはすべてミトサギ。すなわちアオサギです。ここにきてようやくその正体が露わになったわけです。

しもむすぶいりえのまこもすゑわけてたつみとさぎのこゑもさむけし
あさまだきよどののまこもすゑわけてたつみとさぎのこゑもさむけし
しもこほるすさきにたてるみとさぎのすがたさむけきあさぼらけかな

これらの句が身近に感じられる、そんな季節になってきました。

2004/08/23(Mon) 20:21      まつ@管理人      サギの昼寝

昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ  (松尾芭蕉 猿蓑集 巻之五)

水辺で、樹上で、あるいは地上で、ただじっと佇んでいるアオサギの姿を、おそらく多くの人は「ぼうっとしている」としか見ていないのではないでしょうか。他の鳥が一生懸命餌を探し回っているというのに、馬鹿みたいに何時間もじっと突っ立っているとは何と怠惰な鳥なんだ‥、と。
けれども、芭蕉はそういうアオサギを貴いと感じています。昼も夜も関係なく、ただ休みたいときに休み、眠いときに眠る、そんな俗世を超越した姿をアオサギに見たのでしょうか?

まあ、眠っているかどうかは別にして、アオサギがいったん休憩モードに入ったときの動きの無さは確かに特筆ものです。身じろぎもしないといえば嘘になりますが、他の鳥と比べるとほとんど置物のようなものです。そういう動きの停止した状態は、鳥というより、もしかすると爬虫類に近いのかもしれません。

だからといって、アオサギの貴さには何の変わりもないのですが‥。


2004/08/26(Thu) 20:41      まつ@管理人      Re: サギの昼寝

ついでに、もう一句。

洲に立てる青鷺ひとつサロマ川 (水原秋桜子)

珍しく北海道の地名が使われていたので取り上げてみました。ただ正確にはサロマ川ではなくサロマベツ川だと思うのですが‥。あるいは、サロマ川というのがどこか他にあるのでしょうか?

ともかく、サロマベツ川を含め、サロマ湖周辺には多くのアオサギがいます。近くにコロニーがあるはずと思い以前から探しているのですが、これがなかなか見つかりません。どなたかご存知の方がいらっしゃれば是非ご一報を。

ところで、サロマ湖の東岸(サロマベツ川のある方)には、はるか離れた網走湖のコロニーからもアオサギがやってきます。このコロニーはオホーツク地方では最も古く、1947年には既に確認されています。秋桜子がサロマベツ川でアオサギを見たのがそれより前なのか後なのか気になるところです。

それにしても、この句、川の名前が「サロマ川」と比較的短かったから句として収まったのだと思います。アオサギに出会ったのが別の川、たとえば、「コイボクシュシビチャリ川」だとか「エサオマントッタベツ川」(両方とも道内の川)だったりしたら、まず俳句にはならなかったでしょうね。

2003/04/15(Tue) 22:45      まつ@管理人      ゆるぎの森

札幌の今日の気温は17度ということで、一気に春爛漫の陽気となりました。この時期になると、繁殖が開始された頃の初々しさも一段落という感じで、アオサギの眼やくちばしの婚姻色も少し色褪せたかなと思います。それでも、ヒナが生まれて子育てが本格化するまではまだまだ艶やかですけどね。

と、アオサギの姿は美しいと日頃から思っている私ですが、おそらく、そう思ってない人のほうが多いのではないでしょうか。かの清少納言も、サギにはどうも好感が持てなかったようで、枕草子ではサギに関して次のように述べています。

「鷺は、いとみめも見ぐるし。まなこゐなども、うたてよろずになつかしからねど、」

ここで言う鷺はアオサギではないかもしれません。サギ一般の総称でしょうか。意味は、「サギは、見かけがとても見苦しい。目つきなども気味が悪いし、何かにつけてかわいくない。」と、取り付く島もありません。ただ、この後に続けて、

「「ゆるぎの森にひとりはねじ」とあらそふらん、をかし。」

とあり、幾分フォローしています。「ゆるぎの森」というのは滋賀県のどこかのようで一般名詞ではないのですが、サギのコロニーには違いありません。そのコロニーで、一人で寝る、つまり連れ合いのないまま過ごすのはお断りと言って恋敵と争っている、そういう様が面白いですねと言っているわけです(だと思います)。「梅の木で鴬が鳴くのは趣深いことだ」といったおきまりの情景的なものでなしに、動物行動学的な視点が取り入れられている点は新鮮です。ただし、この発見は清少納言オリジナルのものではなく、下地となる歌があったようです。古今六帖・第六では次のように詠われています。

「高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを」

「高島や」は枕詞で、あとはそのままです。この後に何が言いたいのかは私にはよく分かりません。鷺ですら、一人で寝てなるものかと争うというのに、人間である某さんときたら、とか言っているのでしょうか。詳しい方おられましたら、是非ご教示下さい。

2003/03/08(Sat) 22:19      まつ@管理人      カササギ

図説日本鳥名由来辞典(菅原浩・柿澤亮三編著、柏書房、1993年出版)という本に、「源氏物語」浮橋に出てくるアオサギが紹介されていました。「山の方は、霞へだてて、寒き州崎に立てる笠鷺の姿も、所からは、いとをかしう見ゆるに」という場面です。この笠鷺はアオサギではないかと言われているそうです。確かに、カラス科のカササギだとこの風景では絵になりませんね。やはりアオサギでなければ。
また、この本では、アオサギの頭の飾羽を笠に見立てたのではないかと推測しています。しかし、どうなのでしょう。あの数本しかない飾羽で「笠」を連想するくらいなら、佇んだ時の背中に「蓑」をイメージするほうが自然だと思うのですが。蓑鷺(ミノサギ)というのもどこかにありそうですね。

2002/11/11(Mon) 21:01      佐原      「ハムレット」第2幕第2場

私の手持ちの本に“An illustrated introduction to Shakespeare’s birds”(by Levi Fox)というのがあります。30ページちょっとの薄っぺらい本ですが、その中にアオサギが一度だけ出ていました。「ハムレット」第2幕第2場で、ハムレットのせりふです。“When the wind is southerly, I know a hawk from a handsaw.”というのですが、handsawとは「ノコギリ」です。なぜにタカとノコギリが?と不審に思って、今度は英和辞典をあたってみました。するとどうやら、handsawの代わりにhernshaw(heronの方言)が使われる事もあるようです。「ハムレット」から出た成句として、“know a hawk from a hernshaw [or a handsaw]”があり、「人並みの判断力を持っている」というほどの意味だそうです。そこで、手持ちの邦訳版「ハムレット」(福田恆存訳)を調べてみました。すると、当該箇所は「(ハムレットの狂気は北北西の風のときにかぎるのだ。)南になれば、けっこう物のけじめはつく、鷹と鷲との違いくらいはな。」となっています。しかし「鷹と鷲との違い」では難しすぎて、とても「人並みの判断力」ではないでしょう。「鷹とノコギリの違い」では何のことだか意味不明になりそうです。「鷹とアオサギとの違い」なら意味が通りそうです。これで納得したつもりですが…。どなたか、小田島雄志の新訳をお持ちの方はいないでしょうか?


2002/11/14(Thu) 17:24      まつ@管理人      南風はサギの風

「シェイクスピアの鳥類学」をようやく取り戻してきました。サギに言及した箇所はごくわずかなのですが、内容は非常に濃く興味をそそられます。佐原さん御指摘の部分、handsawの解釈についてもきちんと言及されています。実はシェイクスピアの全作品中、サギが登場するのはこの場面しかないようです。ついでながら、タカの話は頻繁に出てきます。というのはシェイクスピアの時代には鷹狩りがとても盛んだったからです。当時は所有者の身分によって鷹狩りに使うタカの種類も決まっていたようで、たとえば国王ならシロハヤブサ、貴婦人はコチョウゲンポウ、郷士はオオタカ、聖職者はハイタカといった具合です。そして鷹狩りの対象として、とても人気のあったのがサギだったというわけです。また、サギの狩猟にはもっぱらシロハヤブサかハヤブサが使われていたようです。

で、問題の箇所ですが、佐原さんが推測されているようにhandsawはhernshawのようです。サギを意味するhernshawは、シェイクスピアの時代以前にhandsawというくずれた形に転訛していたということです。したがって、「タカとサギの見分けくらいはつく」というのが正しい訳のようです。タカにサギというのはいかにも唐突な組み合わせに思いますが、サギの鷹狩りが普通に行われていた当時の状況を知るとなるほどと理解できます。それにしても、福田恆存訳のハムレットでhandsawがワシになっているのは妙ですね。ワシとサギは漢字で書くと鷲と鷺となってよく似ているので、活字を拾っていく段階で間違いが起こったのでしょうか?

ところで、このハムレットの一節は昔から多くの人が関心を寄せていたようで、「シェイクスピアの鳥類学」にも文芸評論紙「Athenoeum」(1865年出版)に掲載された解釈が紹介されています。それによれば、タカは北風、サギは南風を表すそうです。なお、これはエジプトでの話です。その辺りで夏の初めに北からの季節風が吹くと、水蒸気を南へ押しやりエチオピアでできた雨雲がナイル川を増水させます。この時期、北からの季節風に乗ってやってくるのがタカの群れです。一方、南風が吹く季節になるとナイル川の水は少なくなり、その流れを辿ってサギの群れがエチオピアから北部エジプトに飛来します。ハムレットは、「南風の時にはタカとサギくらいは見分けられる」と言うのですが、サギが北へ渡る時期(南風の時)にはタカは見られないわけです。よく考えると曖昧な部分もあるのですが、これ以上は原典にあたらないと理解できそうもありません。いずれにせよ、ハムレットの台詞を書くとき、シェイクスピアがこの知見をふまえていた可能性はあるということす。先に書いたようにこれはエジプトの話ですが、16世紀半ばにはエジプトの渡り鳥の習性について書かれた本がイギリスでも翻訳されていたそうです。


2002/11/16(Sat) 08:47      佐原      Re: 南風はサギの風

詳しいお返事をありがとうございます。その後、気になったので、図書館で他の本もあたってみました。以下はその結果です。
1. 福田恆存訳「ハムレット」(昭和38年 中央公論社)これは手持ちの本です。「鷹と鷲との違いくらいはな。」と訳されています。2. 三神勲訳「ハムレット」(昭和39年 筑摩書房)「鷹と鷲との見分けはつくさ。」と訳されています。上記の2冊では、「鷹」と「鷲」にはルビまで振られています。ところが、次の本がありました。3. 野島秀勝訳「ハムレット」(平成14年 岩波書店)今年刊行ですから、多分最新版の翻訳でしょう。これでは「鷹か鷺か、それくらいの見分けはつく。」と訳されており、サギです。訳者の注釈がついており、handsawとhernshawのことも出ています。(「E. C. ブルワーの指摘を是認した」とのことです。)訳者はさらに踏み込んで、ハムレットの心中を「お前たちはおれの心の秘密(=鷺)を捕らえようと狙う鷹だ、『それくらいの見分けはつく』と。」まで解釈しています。「お前たち」とはローゼンクランツとギルデンスターンのことです。なお、小田島訳は未見です。私も、管理人さんの推測するように、「鷺」と「鷲」の字が似ていることが間違いのもとだった可能性を考えています。当時は手書き原稿の時代でしょうからね。ただ、福田訳ばかりでないことと、丁寧にルビまで「わし」と振られていることが謎です。ヒマがあればいきさつを調べてみたいところです。
北風・南風とサギの渡りにまで話が及んでいるとは想像もしていなかったことです。これはやはり私自身もその本を入手したくなりました。

2002/10/07(Mon) 14:38      まつ@管理人      釣魚大全

アイザック・ウォルトンの「釣魚大全」といえば釣りの古典として有名ですが、17世紀に書かれたものだけに今から見れば残酷に思える内容が随所にあります。牧歌的な雰囲気で書かれているので余計に残酷に感じるのかもしれません。ある部分では、釣りの対象が魚だけにとどまらず鳥にまで及んでいます。次はサギを釣る方法を述べた部分です。

「・・・絶えず決まった場所へやって来ていたサギが、大きなミノウか小さなガジョンを餌につけた鉤に掛かったことを知っています。糸も鉤も強くなくてはいけませんし、鳥がそれをもって飛んで行ってしまわないような大きな竿に結びつけておかなければなりません。糸は二ヤードを超えないものがよろしい。」

ここに書かれたサギは英語のhern(heronの昔の綴り)を訳したものです。この本が書かれたイギリスでは、単にサギ(heron)といえば普通はアオサギのことですので、この文もアオサギについて書いたとみて差し支えないでしょう。それにしても「二ヤードを超えない」近さでアオサギが捕まるとはちょっと信じられません。

これに似た話を以前ネット上で見つけたことがあります。もっともそれはサギを釣ろうとしたのではなく、たまたま側にいたサギが仕掛けに食いついてきたのでしたが…。その話では、ルアーを水面近くに泳がせていたところ、近くに待機していたサギに突然襲われ、ルアーをくわえて飛び上がられるところだったそうです。なんとかその場ははずすことができたものの、リールを巻いても目の前まで追いかけられたということでした。

「釣魚大全」では、どの魚にはどんな餌を調合?したら良いかといったことを丁寧に書いています。例えばパイクを釣るには、「ラベンダーからとったスパイク油でツタの樹脂を溶かし、・・・死に餌に塗り・・・」という具合です。そして「どんな魚をもひきつける」のは「サギの腿の骨の髄を塗った餌」だと紹介しています。…くれぐれも17世紀の話ですよ。

2002/03/21(Thu) 23:02      まつ@管理人      更科源蔵

「原野の詩人」として知られる更科源蔵の詩に「蒼鷺」というのがありました。横書きにすると何だか妙な感じですが短いので紹介してみます。

蒼鷺  更科源蔵

風は吹き過ぎる
季節は移る
だが蒼鷺は動かぬ
奥の底から魂がはばたくまで
痩せほそり風にけづられ
許さぬ枯骨となり
凍った青い影となり
動かぬ

北海道あたりだと、今の時期はやばやと渡ってきても寒の戻りに見舞われることがあります。そんなとき、視界がほとんどないような吹雪の中に、まさにこの詩のような壮絶な光景が見られたりします。
今年の春はとてもこんな状況はありそうもない、と思っても油断は禁物。特に道東のほうではゴールデンウィークを過ぎても新たな雪が積もったりしますからね。


2002/03/22(Fri) 20:29      佐原      Re: 更科源蔵

更科源蔵の、この詩は知りませんでした。いい詩ですね。

先日読んだ更科源蔵・更科光の「コタン生物記(3)」(1977 法政大学出版局)には、アオサギに関して次のように書かれています。
「あまり人間生活には関係なく、エゾハンノキの上に巣をつくったり、川岸のあたりに置き忘れられたように立ちつくしているので、…(中略)…などと呼ぶだけである。」

以上の記述には、少しがっかりしました。あれほど特徴的で、サイズも大きな鳥が、アイヌの人たちと関わりが薄かったとは。
民話の世界でも構いませんし、あるいは直接の利用の話でも結構です。アイヌの人たちとアオサギとの関わりについて、何か情報をお持ちの方がおられたら、教えていただきたく思います。


2002/03/29(Fri) 08:59      まつ@管理人      Re: 更科源蔵

前回紹介した詩、私の手違いで後半部分だけを紹介してしまったようです。あれで完結したものとして満足して読んでいたのですが、前段があると分かってあらためて後ろだけ読むとちょっと唐突な感じはありますね。ずいぶん失礼しました。
で、その前半です。

蒼鷺  更科源蔵

蝦夷榛に冬の陽があたる
凍原の上に青い影がのびる
蒼鷺は片脚をあげ
静かに目をとぢそして風をきく
風は葦を押して来て
また何処かへ去って行く
耳毛かすかにふるえ
寂寞の極に何が聞こえる
胸毛をふるはす絶望の季節か
凍れる川の底流れの音か
それとも胸にどよめく蒼空への熱情か

となって、後半部へ続きます。冒頭の蝦夷榛はエゾハンノキと読みます。これは彼の詩集「凍原の歌」(1943年)に収録されています。願わくば、この詩にもう少し季節を限定できるヒントがあればいいのですが。もし厳冬の1月か2月であれば、その当時、道内で既に越冬個体がいたということになりますね。

アオサギは冬でなくともよく首を縮めて佇んでいますが、その姿勢から「フクロウは森の哲人、アオサギは水辺の哲人」と評しているのをどこかで見かけたことがあります。ただ、この詩のような情景を実際に野外で見ると、哲学をしているというよりはただ耐えているだけに見えてしまいます。実際そうなのでしょうけど…。

この詩を読んで、とある3月、道東の雪原で見かけたアオサギのことを思い出しました。そのアオサギはしばらく佇んでいた後、少しばかり姿勢を変えようとしたのですが、寒さで足先が氷にくっついていたため持ち上げようと思った脚が上がらず、もう片方の脚に力を入れヨッコラショと抜いていました。冷気と静寂でピンと張りつめた空気の中、さりげなく印象的な光景でした。

ところで、この詩は声楽曲にもなっています。作曲したのは伊福部昭という人で、ソプラノ、オーボエ、ピアノ、コントラバスのために作られたものだそうです。タイトルは「蒼鷺」、2000年初演ということでごく最近の曲です。ちなみに伊福部さんは2000年当時86歳だそうです。


2002/04/07(Sun) 17:22      まつ@管理人      コタン生物記

先日、佐原さんより更科源蔵の「コタン生物記」の紹介があったので本を探してきました。これはどうも2種類あるようですね。私が見てきたのは三分冊になっているのではなく一冊の本でした。アオサギの項の内容もご紹介のあったものとは若干違っているようです。以下、引用(現代仮名遣いに修正)。

アオサギ  ペッチャコアレ
サラサラと枯葦原に風がなる。季節が移って行く。だがアオサギは忘れられたもののように沼のあたりに立っているのは、何かうらぶれた淋しい姿である。ペッチャコアレとは川端に立っている鳥というのである。
サギ類のうちでは最も大型のもので、エゾハンノキの上に枯枝を集めて営巣する。湿地のあまり人間などの近よれないところである。

内容としてはほとんど同じです。いずれにしてもあまり益にも害にもならない鳥と見られていたようですね。アイヌの人と関わりが薄かったのは、もともと北海道にあまり多い鳥ではなかったからか、あるいは、警戒心が強く容易に捕まえることができなかったからだと思います。いずれにせよ、人間が食べる対象としてはあまり一般的ではなかったのでしょう。

2002/01/09(Wed) 00:37      まつ@管理人      俳句に詠まれたサギ

正岡子規の晩年の随筆に「病床六尺」というのがありますが、その中にサギが読まれているのを見つけました。「翡翠も鷺も来て居る柳かな」実はこれ、カワセミについていくつか読んだうちの一句です。当時(今も?)、柳に翡翠という組み合わせは梅に鴬などと同じようにありふれたものだったらしく、子規も陳腐だと言いつつ結局は十句もつくっています。
柳にカワセミという完成された情景、それだけで十分なのにサギまでいるという贅沢…。

2001/10/17(Wed) 08:05      まつ@管理人      「釣魚余談」

昨夜たまたま読んでいた本にアオサギの文字を見つけました。井伏鱒二の「釣魚余談」という随筆なのですが、次の一節は作者が川を釣り登っているときのサギとの出会いを描いたものです。

「……夕方、ゴイサギが僕の目の前を飛んで行くのも悪くない。人間の存在を無視したように、ゆっくりと羽音をたてながら飛んで行く。ゴイサギよりもアオサギの方が頓狂である。こちらが釣りながら川をのぼって行くと、それを案内するように川かみの淵のところまで飛んで行って岩のてっぺんにとまっている。こちらがその淵に近かづくと、アオサギは静かに飛び立って、また次の淵のところの岩の上にとまって待っている。送り狼ではなく案内に立つアオサギである。こんな日は、たいてい釣果良好と判じて間違いない。」

井伏鱒二は各地を釣り歩いているので、この文章がどこの川なのかは特定できません。ただ、本州の川ではあるようです。以前、豊平川を石狩川にかけてカヌーで下ったことがありました。札幌市内の川とはいえ、町の中心部を過ぎると川の両岸は河畔林が続くのですが、その辺りになるとあちこちでアオサギが飛び立つようになります。そして面白いのはたいていのアオサギは飛び立ったところより更に前方へと向かうことです。たしかに水先案内をされているよう気分でした。

2001/10/01(Mon) 22:08      佐原      アオサギ小説

先日、管理人さんが言っておられた「文学上のアオサギ」です。先日にはどういうわけか、「日本国内のこと」と思いこんでいたようで国内のことしか書きませんでした。外国では次のものがあります。Kenneth Richmond; The Heron Garth; (初版 1946年)アオサギが主人公の小説です。作者(イギリス人)はどういう人かよくわかりませんが、動物を主人公にした小説をいくつか書いているようです。この小説は、アオサギのGarthが生まれてから死ぬまでをドラマチックに、しかし結構生態学的に忠実に、描いています。
次の一節は、主人公が潮汐のある場所で魚をとっているシーンです。

By the time that the water had risen half-way up his shanks he might have pulled as many as five or six of them(themはエサのカレイ)from their muddy baths, in which case he was ready to leave. If not, he could always take up a new stand farther up-river and begin afresh, keeping abreast of the shoals as the tide rolled them in front of it: just as, when it ebbed, he was at liberty to follow them.

上の文章、管理人さんは特に興味をお持ちなのではないでしょうか。で、最後にGarthは、シロハヤブサと空中で刺し違えて死ぬのです。(何とかっこいい!)
多分著作権も切れているでしょうから、いつか翻訳したいと思っているのですが・・・なかなか実現しません。


2001/10/02(Tue) 10:22      まつ@管理人      Re: アオサギ小説

いつも興味深い話題、ありがとうございます。アオサギガースの採餌風景、ありありと目に浮かびます。アオサギが餌を採る情景は干潟が一番だと思ってます。干潟の茫洋とした感じが獲物を狙うアオサギの真剣さをいっそう際だたせるからでしょうか。などと考えながら、思わず本を注文してしましました。古本屋で17ドル。秋の夜長が楽しくなりそうです。ところで、イギリスで1946年の出版というと戦後早々ということになりますが、シロハヤブサと空中で決戦するシーンは、独空軍(シロハヤブサ)の襲来に対し英空軍(アオサギ)が迎え撃つ、という構図を引用したのかも。・・・ちょっと想像が飛躍しすぎですね。
「アオサギガース」の翻訳、期待してます。

2001/07/26(Thu) 22:27      佐原      アオサギのはなし

アオサギに関する雑学は私も好きですので、若干付け加えようと思います。絵画には(特にヨーロッパ絵画には)アオサギがよくでてきますが、日本文学中のアオサギとなると、次の一句にとどめをさします。夕風や 水青鷺の 脛(はぎ)をうつ (蕪村)もう、情景が目に浮かびますね。

2001/07/22(Sun) 21:07      まつ@管理人      銀河鉄道の夜

宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」のなかでシラサギを登場させます。小説の中では鷺としか書いてないのですが、真っ白で脚が黒いと書いてあるからシラサギです。
ケンタウル祭の夜、ジョバンニとカンパネルラは銀河鉄道に乗って間もなく赤髭の鳥を採る人と同席します。鳥を採る人は、聞かれるまま彼らに語ります。鷺は天の川の砂が凝ってぼおっとできること、降りてくるところを河原で待って脚を捕まえると、あとは食べられるように押し葉にしてしまうことなど。捕られなかった鷺たちは、そのまま天の川に降りると、そのまま砂の中へ雪が溶けるように消えてなくなるということです。

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