アオサギを議論するページ

アオサギ写真展のお知らせ

この冬、内海千樫氏によるアオサギの写真展が催されます。内海さんは北海道幌加内町にお住まいの動物写真家で、長い年月をかけてアオサギだけを撮りつづけています。写真展を開催されるのは2003年以来、今回で5回目。その都度、ここでもご紹介させていただきました。ただ、これまではすべて道内での開催でしたが、今回はいよいよ東京に進出されるようです。過去の作品からの選りすぐりを集めた総集編ということになるのではないでしょうか。写真展のタイトルは、『水辺の貴公子「アオサギ」』です。

開催期間と会場は以下のとおり、入場は無料です。
期間:2013年2月7日(木)〜2月13日(水)午前10時〜午後6時(最終日は午後3時まで)日曜休館
会場:東京都新宿区新宿1-4-10アイデム本社ビル2階アイデムフォトギャラリー「シリウス」(地図

アオサギばかり、これほど腰を据えて撮り続けた方は他にいません。いずれ写真集を出されるのではないかと期待していますが、それはそれとして、やはり大きなサイズでも一度見ておきたいもの。東京近辺にお住まいの方、アオサギの世界を体験しに会場に足を運んでみてはいかがでしょうか。

何がアオサギを殺しているのか?

11月も残り数時間となり、ここ札幌はすっかり冬景色に落ち着いてしまいました。しばらく前からアオサギの気配もとんと感じません。おそらく、渡りはほぼ完了したはず。今なお残っているのは越冬の覚悟を決めたサギたちばかりでしょう。北海道全体でも、もう100羽とはいないのではないでしょうか。

さて、今回は久々に保護関係の話を書いてみたいと思います。保護ではなく、じつは駆除の話です。今回、紹介したい内容は、右のグラフにすべて言い尽くされています。このグラフは、全国のアオサギの駆除数が、ここ十年ほどの間にどのように変化してきたかを示したものです。もううんざりするほど見事な右肩上がりです。しかも、これは100羽から200羽になったというような増加ではありません。そのていどであれば、アオサギの個体数が倍増したのが原因との見方もできます。実際はどうかというと、平成8年に8羽だったのが、平成21年には3,144羽に増えているのです。倍増どころの騒ぎではありません。

この間に全国のアオサギが増えたことはおそらく間違いないと思います。ただ、増えたとしてもせいぜい数倍です。ここまでの増加を説明できるような増え方はしていません。あるいは、街中にアオサギが進出してきたことでトラブルが増加した可能性も考えられます。けれども、それもここ十数年で突然起こった現象ではありませんし、それによって多少駆除が増えたとしても、これほどの激増を説明できるものではありません。ともかく、アオサギの生息状況の変化そのものに駆除数増加の原因を求めても無駄なのです。

では、何がここまでアオサギの駆除を後押ししているのでしょうか。私は、駆除の許認可システムに大きな問題があると見ています。アオサギの駆除というのは、以前は国が捕獲を許可する権限をもっていました。しかし、平成11年に地方自治法の改正があって、駆除の許認可を市町村の裁量で行うことが可能になったのです。都道府県が許認可を行っているところは現在でもありますが、市町村にすべての権限を委譲しているところも少なくありません。そして、これが駆除数が増加しはじめた時期とほぼ一致するのです。

それまでは駆除申請を出せば、それを許可するかどうか判断するのは都道府県の担当者、そして最終的には国でした。それが市町村の役場内ですべて完結するようになったわけです。そうなると何が起こるかは火を見るより明らかです。地元の人から面と向かって頼まれるのですから、額面どおりに法律を解釈して、毎回突っぱねているわけにはいかないのでしょう。

それでも、アオサギに対するちゃんとした管理計画があるのなら、まだ救いはあります。しかし、管理計画のかの字もありません。これは市町村に限らず都道府県ですらほとんどありません。アオサギのような広い範囲を生息地とし、長距離の渡りを行うような鳥は、都道府県で連携した個体群管理計画がぜひとも必要です。ところが、都道府県どころか市町村レベルで、独自の判断による無計画な駆除が行われているのが実情です。たとえば、ひとつの県だけで年間1,000羽近くを駆除していたケースもあるのです。狂気の沙汰としか言いようがありません。

そんなことで、今、全国の都道府県を対象にアオサギの駆除に関する実態調査を行っています。2、3ヶ月先になると思いますが、結果がまとまり次第ここでもお知らせしたいと思います。おそらく目を覆いたくなるような実態が浮き彫りになるはずです。

今回、ここで用いたデータは、環境省が公開している鳥獣関係統計からのもので、こちらのページで見ることができます。ただ、御覧いただければ分かりますが、現時点でも平成21年度のデータまでしかありません。24年度ももう3分の2を終えようというのにこんな有様なのです。これは、環境省が手元にデータをもっているのに公開していないというわけではたぶんないと思います。というのも、今年の春に各都道府県に問い合わせた際、まだ22年度のデータを集計し終えてないところがあったからです。現在の状況が2、3年先にならないと分からないようなことで、どうすれば管理計画など立てられるでしょうか。そんなお粗末なシステムの中でいたずらに殺されていくアオサギが不憫でなりません。

私はアオサギの数値しか見てませんが、これはたぶんアオサギだけの問題ではないはずです。他の種類の鳥に関心がある方、ぜひ上記ページにある数値を拾ってみてください。

10月の詩人

秋は英語でfall。季節が冬に向けて落ちて行ってる感じですね。コムケ湖のフラミンゴも自由への逃亡劇をいよいよ第二幕目に移したみたいですし、アオサギの渡りもいよいよ終盤。そして、10月も今日でおしまいです。

その10月のうちにどうしても書いておきたいなと思ったのがウェールズの詩人、ディラン・トマスのこと。彼の詩にはアオサギがよく出てきます。アオサギが登場する詩は4編あり、そして、このうち2編が10月の季節を書いた詩なのです。アオサギが10月に縁が深いというわけではありません。ディラン・トマスは自分の誕生日に何か特別なものを見いだしていた人で、20歳、24歳、30歳、35歳と4度も誕生日にちなんだ詩をつくっています。そして、その彼の誕生日が10月なのです。

これら4編の詩でアオサギが登場するのは30歳と35歳のときの詩。それぞれ「十月の詩」、「彼の誕生日の詩」とタイトルが付けられています。これらの作品に登場するアオサギはただの自然の点景ではなく、常に意味のある記号として現れます。それはときに彼の分身であり、ときに死の隠喩でもあります。さらには、そのアオサギを通してトマスの古代ケルトへの憧憬が仄見えたりもします。

アオサギと古代ケルトのイメージを結びつけたのは近代ではおそらくイェイツが最初だと思います。アイルランドのイェイツに対して、ウェールズのトマス、いずれも同じケルト文化圏に生きた詩人です。そう考えると、トマスがイェイツと同じアオサギのイメージを自らの詩に取り入れたのはごく自然なことだったのかもしれません。おそらく、ケルト文化におけるアオサギの存在感というのは想像以上に大きいものなのでしょう。

そんなトマスにとってアオサギがいかに特別な鳥だったかが分かるエピソードがあります。35歳のとき、「彼の誕生日の詩」を書き始める直前、彼は3人目の子供を授かっています。彼はこの息子をコルム・ギャラン・トマスと名付けました。このギャランという語はウェールズ語でアオサギのことなのです。

トマスの誕生日をうたった詩は35歳のときの「彼の誕生日の詩」が最後です。もし40歳のときに作っていたらどんな詩になったのか、その詩でもアオサギはまだ彼の特別な鳥であり続けたのか、それは誰にも分かりません。彼は40の秋を迎えることなくこの世を去ってしまいました。この10月、もし彼が生きていたら98回目の誕生月でした。

鳥釣り禁止

17世紀に書かれた『釣魚大全』(アイザック・ウォルトン著)という本があります。じつは、この本にはアオサギの釣り方が説明されているのです。と言っても、アオサギを釣ろうとして釣ったのではなく、釣りをしていたら餌の魚にたまたまアオサギが食いついたというのが本当のようですが。

ただ、こういうことは得てして起こりうることなんですね。とくにルアーは危険です。ルアーをアオサギが追いかけてきたとか、ルアーにアオサギがかかったという話はたまに聞きます。アオサギのことですからすぐにルアーを飲み込むことはないはずですが、ルアーに付いているフックが引っかかったりラインに絡まったりするリスクは無視できません。そんなことで二進も三進もいかなくなると、釣り人は手元でラインを切ることになります。そうすると、アオサギはルアーをくわえたまま、というよりルアーがとれないまま餌場を離れ、繁殖期であれば、その状態で餌場とコロニーを行き来することになるのです。実際、私がコロニーを調べたときには、巣からぶら下がったルアーや林床に落ちたルアーを複数のコロニーで何度も目にしました(写真は林床に落ちていたルアー)。決して希なことではないのです。

ルアーに限らず、仕掛けや釣り糸といった釣りの道具は鳥にとってはとても厄介な代物です。釣り糸がくちばしに巻き付くと餌が獲れず餓死することになりますし、釣り糸をくっつけたまま飛んでいると、そのうち木に引っかかって身動きがとれなくなったり宙吊りになったりで碌なことがありません。このような人工物によってアオサギが被害を被ったというニュースは国の内外を問わず頻繁に耳にします。例えば、国内だけを見ても、釣り針釣り糸サビキヒモなど枚挙に暇がありません。

釣り糸や釣り針を捨てて帰るようなマナーの無い人は論外としても、釣りをしていると針が岩に引っかかったり、どうしても糸を切らざるを得ない状況は出てきます。その時に、どこまで鳥たちのことを思いやれるかが問われるのだと思います。簡単にブチッと切ってしまうのではなく、せめて最大限の努力をしてから切る、切った後で回収できるものは回収する、それで救われる命があるかもしれません。

それから、これは先ほどのルアーの場合ですが、万一、鳥が釣れてしまった場合には、ラインを切らずに鳥を釣り上げるべきだとの意見もあります。そして、釣って傷ついた鳥をすぐに救護センターに連れて行くのです(例えばこの記事)。ラインが絡まったまま悲惨な死に方をするよりは、釣り上げることで怪我をさせる怖れがあっても、そのほうが結果的に死に追いやるリスクは少ないということなのでしょう。

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