アオサギを議論するページ

合唱曲「蒼鷺」

合唱曲「蒼鷺」

蒼鷺  更科源蔵
蝦夷榛に冬の陽があたる
凍原の上に靑い影がのびる
蒼鷺は片脚をあげ
靜かに目をとぢそして風をきく
風は葦を押して來て
又何處かへ去つて行く

耳毛かすかに震へ
寂寞の極に何が聞える
胸毛を震はす絶望の季節か
凍れる川の底流れの音か
それとも胸にどよめく蒼空への熱情か

風は吹き過ぎる
季節は移る
だが蒼鷺は動かぬ
奥の底から魂が羽搏くまで

痩せほそり風にけづられ
許さぬ枯骨となり
凍つた靑い影となり
動かぬ

以下は合唱曲「蒼鷺」掲示板からの抜粋です。歌詞はこちら。アオサギの生死が気になる方はこちらのページをご参考に。

2013/10/02(Wed) 16:38      アスカ      無題

今度の文化祭で蒼鷺を合唱することになりました。
この間の授業で、担任が「蒼鷺の歌詞を見て、読み取ったことを発表しろ」と言われ、「蒼鷺は最後寒さで死んだと思う」と言ったのですが・・・。
蒼鷺が死んだのか死んでいないのかで意見が分かれまして。
クラスの男子がどこから持ってきたのか蒼鷺に関する文章を読み上げだし、「蒼鷺は死んではいない」と言ったのですが、私は何回歌詞を読み返しても死んだとしか思えないです。
皆さんは、どっちだと思いますか?


2013/10/02(Wed) 20:39      まつ@管理人      Re: 無題

本当はここを訪れる皆さんの意見を聞きたいところですが、待っていても誰もいらっしゃらないかもしれないので、とりあえず私の意見を書いておきますね。

はい、これはもう定番中の定番のご質問です。皆さんどうしてもこのことをはっきりさせたいようで、定期的にお尋ねがあります。死んだと捉えるか死んでないと捉えるかで歌い方もまったく変わりますから蔑ろにはできないのでしょう。

さて、少し脱線して話をはじめますが、『蒼鷺』という詩はもともと合唱曲にするつもりで書かれたのではなく、詩そのものとして世に出たものです。詩ですから、本来、人により受け取り方が異なるのは当然で、また、同じ人でも時とともに解釈が変わることもあるかと思います。基本的に、この詩をどのように解釈するかはひとりひとりの自由です。

ところが、合唱曲になるとそれでは困るのですね。皆があるていど同じイメージで歌わないと曲として成立しませんから。逆の見方をすれば、曲として成り立たせるだけならステージで歌う皆の解釈が同じでありさえすれば良く、アオサギが死んだか死んでないかは大した問題ではないとも言えます。生か死か、どちらを選ぶかで合唱の雰囲気はずいぶん変わるでしょうけど、いずれか一方に決めさえすれば、あとはその世界観を堂々と歌で表現すればOK、やや乱暴ですがそう思います。

もっとも、私としてはアオサギは死んでいないと思っています。そう思う理由についてはこれまで掲示板で何度も書いてほぼ書き尽くした感があります。アオサギの生死に関する皆さんと私の意見については、今回、特別に「アオサギは死んだのか?」というページにまとめましたので参考にしていただければと思います。死んだと思う人、死んでないと思う人、皆さんいろいろです。私の意見も時とともに多少変わっているかもしれません。

他の方々のご意見、お待ちしています。皆さんはどちらだと思いますか?


2013/10/06(Sun) 12:52      まつ@管理人      Re: 無題

アオサギは死んだのではないか、との解釈はアスカさんに限りません。この掲示板を開設してもう8年以上になりますが、その間、アスカさん同様のご質問を数多くいただきました。その都度、私も私なりに考え独自の解釈をいろいろ書いてきたところです。

しかし、それも今回で終わりそうです。先日、この詩の作者、更科源蔵の「北海道・草原の歴史から」(1975年刊)という古書を見つけ、そのタイトルにひかれて139円で購入しました。そして、その最初のページに「蒼鷺」の詩が引用されていたのです。以下はその後につづけて書かれた作者本人による詩の解説です。

これは戦前に私の書いた、「蒼鷺」という詩である。これを読むと蒼鷺は留鳥のように書いているが、実は渡り鳥である。ただ、釧路湿原の落日の中に、風に吹かれてポツンと一羽だけ、枯木のように立ちつくして飛び立とうともしないその姿に、私の若い血がゆすぶられたのである。それはただ孤独な影を曳いた鳥の姿ということだけではなしに、明治のはじめ、茫漠とした釧路湿原の奥に入って、風雪に逆撫でされながらついに動かず、この土地の土に化した父母や、その仲間たちの姿がそれにダブって見えたからでもある。

更科源蔵は摩周湖の南、現在の南弟子屈に生まれ育った人です。彼の父とその友人が故郷の新潟を出て、たった二人でこの何もない原野に入植したのは明治24年のこと。その後、新潟から家族を呼び寄せたり、話を伝え聞いた友人が集まったりで、2年後には7戸の部落になったといいます。7戸とはいっても隣の家まで何キロも離れているようなところでした。10年ほどして源蔵が生まれたわけですが、当時、彼らが住んでいたのは「草を積み上げたような小屋」。「家の中まで密林の中のように雪が吹き込んだり、雪が顔にかかって寝られないとか、雪の積もった布団の上を鼠が走って歩く」家だったといいます。彼らの暮らしがどのようであったかは推して知るべきでしょう。けれども、そんな風雪にいためつけられる暮らしをしながらも、「七戸の人びとのうち誰一人として国へ引揚げたものはな」かったと、彼はこの章の最後に書き記しています。

それが百年と少し前の北海道の原野の風景であり「蒼鷺」の書かれた背景です。「動かぬ」アオサギは死を意味しているわけではありません。「動かぬ」アオサギとは、原野に入植し、その土地で生き、その土地の土に化した人びとの生きざまそのものなのです。

もはやこれ以上の説明は蛇足でしょう。

2013/09/13(Fri) 20:44      とうか      蒼鷺の背景

今年蒼鷺を合唱させてもらうことになったんですが、意味を調べていたら、「蝦夷榛」は”エゾハンノ木”「凍原」は”北極の木のない原野”と出てきました。

「蝦夷榛」は木なのに木のない原野って、どういうことなんでしょう、、、。


2013/09/14(Sat) 07:54      まつ@管理人      Re: 蒼鷺の背景

58-04添付した写真は「蒼鷺」の詩が載っている更科源蔵の「凍原の歌」という詩集です。昭和18年発行で定価2円となっています。更科源蔵は北海道東部(弟子屈町)の熊牛原野に開拓民の子として生まれ、その地で前半生の多くを送っています。この詩集にはそこでの人々の暮らしや身の回りの自然が描かれています。つまり、この詩集のタイトルになっている凍原とは作者の生まれ育った熊牛原野そのものなのです。

辞書では、凍原という語はたとえば「ツンドラ」(『広辞苑』初版)のように狭義の意味だけが紹介されているかもしれません。けれども、一般的には字面そのままに「凍った原野」の意味で使われる場合が多いように思います。冬の北海道には凍原としか言い表せないような場所がたくさんあります。この詩の場合もそのような凍った原野として捉えるのが正解です。北海道東部のしばれた原野なのです。ですから、そこに木があっても不都合はないのですよ。

この詩に描かれるエゾハンノキは湿地に多く生育する樹種で北海道では普通に見られます。詩ではエゾハンノキに冬の陽が当たって凍原の上に青い影が伸びると書かれています。冬なので木は葉を全て落とし幹と枝の輪郭だけになっています。それが冬の弱い陽に照らされ凍った白い雪原に薄く長い影を落とすわけです。エゾハンノキは1本で孤立しているか、そうでなくてもわずかな本数なのでしょう。そうでなければ影の印象がこれほど鮮やかなものにはならないはずですから。

ところで、エゾハンノキの花言葉は「忍耐」あるいは「不屈の心」なのだそうです。作者が意図したわけではないと思いますが、この花言葉は詩中のアオサギの心、あるいは詩のテーマを的確に言い当てています。偶然にしてはあまりに素晴らしい偶然ですね。

2013/06/22(Sat) 09:09      欝桟゛      中学三年生です。今度合唱コンクールで歌います

私の学校の音楽の先生が 作詞?作曲者?どちらかだったかさだかではないですが 直接話を聞きに行ったところ この歌はアイヌの文化を継承していく 青鷺はその意志の強さを表している 青鷺は死んでないし死ぬわけにもいかないそうです
掲示板の中にそのような話があったので気になり書かせていただきました


2013/06/22(Sat) 18:32      まつ@管理人      Re: 中学三年生です。今度合唱コンクールで歌います

貴重な情報をありがとうございます。行動力のある先生ですね。
ご存知のように、この合唱曲は更科源蔵さんが作った詩に長谷部匡俊さんが曲をつけたものです。詩自体は『凍原の歌』という昭和18年(1943年)に発行された詩集に収められているもので、もともと曲をつけることを目的に書かれたものではありません。その後、更科さんは1985年に亡くなっており、この詩が合唱曲として再び世に出るのはそれからさらに8年後のことになります。音楽の先生がお話を伺ったというのは合唱曲になってからのことでしょうから、更科さんではなく作曲した長谷部さんのほうに尋ねられたのでしょう。その長谷部さんはというと、更科さんが亡くなったときは二十歳そこそこです。『蒼鷺』を作曲するのがこれよりずっと後であることを考えると、あくまで想像ですが、更科さんとの直接の面識は無いのではないかと思います。だとすると、音楽の先生が長谷部さんから聞き取った話は長谷部さん独自の『蒼鷺』の解釈だと考えられます。もっとも、更科さんが自分の詩について、真意はこのようなものであったとか、アオサギは実際は死んでいるとかいないとか、そういったことを何か別のところに書き残していて、それを長谷部さんが読まれたということも考えられますが、私の知っている限りそうした資料はありません。それが無いために、この掲示板にもあれこれ想像を巡らして書いているようなわけです。更科さんだけでなく詩を書く人は、はじめから読者にひと通りにしか解釈できないようなイメージは提供しないでしょう。詩の解釈に正解はありませんし、正解の無い自由さこそ詩の命なのですから。

とはいえ、アオサギが死ぬのか生きるのかという問題は、どちらの解釈を取るかで作者の思いがまるっきり変わってしまいます。その点、この部分の自由度はかなり制限されているのかもしれません。この詩では生死の問題は曖昧なままぼかされ、それが一面ではこの詩の妙味にもなっています。しかし、作者にしてみればわざと答えをぼかしているという意識はなかったのではないでしょうか。自明のことだからはっきり書く必要がなかっただけなのだと思います。

つまり、私も長谷部さんと同じ解釈です。アオサギは死んでいないし死ぬわけにもいきません。ただし、アイヌ文化の継承云々という部分についてはそれだけではないと考えています。そこには作者本人にも正確に把握できないほど複雑で多様な背景があったはずです。その様々な思いをアオサギという象徴に集約したのではないかと。ともかく、詩ですからいろいろな解釈があっていいと思いますよ。

2013/01/30(Wed) 07:26      梨      やっぱりアオサギは死んだのでは

今度合唱コンクールで歌うことになり、曲の事や詩について調べているうちにこのサイトにたどり着きました
そこで、少し疑問なのですが、まずそもそも冬の北海道にアオサギはいるのでしょうか
アオサギの生態の項を見たところ 冬は越冬の為に暖かい地域に渡ると書いてあるのですが 普段なら南に越冬しに行くはずの鳥が立ち尽くしているのは何か変ではないでしょうか
詩中の「許さぬ枯骨」や「凍った青い影」や「動かぬ」といった単語も、どうにも死を連想させます

併し天然は常に小さな人間の血と汗を一呑にして あがく悲嘆を絶望の底につつぱなし 更に冷酷な狡猾は勤勉を食ひあらし さまよふ騙詐は素朴をかすめさつた だが風がたち日影がさせば 土の子は倒れた豆の支柱をなほし 無慙に踏み荒された暴力の足跡に もう一度腰をかゞめて不撓の種子をうづめる このきびしい北方に生きるためには 常に休みなきたちなほりを要求され 鈍重絶えて敗退を忘れ 天の理法に則し 地の法則にしたがひ 小さくたよりなき自らをたよるよりない (管理人注:これは「蒼鷺」の作者である更科源蔵の「北海道」という詩からの抜粋です)

この詩で描かれている世界は「厳しい世界」と「それでもなお生きる」という事だと感じられます
ですが蒼鷺の詩世界ではそれとは異なり「厳しい世界」と「その結果の死」を描いているのではないでしょうか
私は「立派に生きる事」と「立派に死ぬ事」は同義だと思っています
なぜなら立派に生きなければ立派に死ねないし、死がこないならば、それも生きているとは言い難いからです
私は更科さんはアオサギの死から自然の厳しさとアオサギが必死に生きて生きて生き抜いたであろう事を想像して描いたのではと思うのです
そして、アオサギは死んでしまったが、私たちもアオサギのような死を迎える為にも「生きて生きて生き抜こう」と

更科さんの詩世界に一貫して見られる「生」を 蒼鷺では「死」を通して描いているんだと私は思っています


2013/01/30(Wed) 22:34      まつ@管理人      Re: やっぱりアオサギは死んだのでは

死をポジティブに捉える梨さんの解釈は新鮮でなるほどなと思いました。この詩でアオサギが死ぬと解釈する人は、多くの場合、自然に打ち負かされ力尽きたアオサギをイメージすると思います。それだと作者の他の詩との一貫性がなくなるのですね。それに、彼をとりまく諸々の状況を考えても不自然ですし。私の思考はそこで止まっていたので、死をポジティブに捉えるという発想がありませんでした。梨さんの解釈だと、そうした矛盾もなくすっきり読めますね。

さて、冬の北海道にアオサギがいるのかというご質問ですが、ごく限られた越冬地にわずかに残るのがいるくらいで、ほとんどは南の地方に渡ってしまいます。作者がこの詩で描いたと思われる北海道東部に、もし厳冬期にアオサギがいたとすれば、それはかなり特殊なケースです。

一般的には、北海道にアオサギが渡ってくるのは3月の初め頃になります。3月初旬といえば、春の兆しを感じる日はあっても、辺りはまだまだ一面の雪と氷。普通の感覚で言えば季節は冬です。もしかしたら、作者はその時期の情景を描いたのかもしれません。ただ、この詩はいわゆる象徴詩ですから、事実を反映しているかどうかにはそれほど拘らなくてもいいように思います。

ところで、梨さんの意見ではじめて気付いたのですが、「奥の底から魂がはばたくまで」という箇所は、人によって正反対の意味で捉えられるのですね。アオサギが死ぬと考える人には、「魂がはばたく」ことは昇天を意味しているのでしょう。一方、私はそうは考えませんでした。だからこそ私はこれまでアオサギの死をイメージできなかったのだと思います。私のイメージでは、「魂がはばたく」とは、本当になすべきことをする、またそれができる季節が到来するということであり、それは他でもなくアオサギの季節、春ということになるのです。その時が来るまで過酷な状況をひたすら堪え忍び、頑として動かない、そんなアオサギが描かれているように私には思えるのです。

私がこの詩をはじめて読んだのは10年以上前でしたが、これまでに何度も違った解釈をしています。もしかしたら、そのうち梨さんの解釈がいちばんしっくりくると感じるようになるかもしれません。いずれにしても、詩自体はとてもシンプル。それだけに読み手次第でさまざまな捉え方ができます。自由度の高い詩なんだなと思いますよ。


2013/02/03(Sun) 11:28      まつ@管理人      Re: やっぱりアオサギは死んだのでは

ついでにもう一点だけ、私がこの詩がアオサギの死を意味するものではないと考える理由を書いておきます。問題となるのは「奥の底から魂がはばたくまで」のところです。ここで「魂がはばたく」の意味がふた通りにとれることは前に書きました。注目したいのは、この魂が「奥の底から」はばたくものだということです。奥の底というのは暗くて狭い、そうとうにネガティブなイメージです。もし、魂がそこから脱出して死後にその苦しみから開放されるという意味で書かれたのだとすれば、作者は人生そのものを「奥の底」と言っていることになり、自虐的なほどに人生を悲観していると考えざるをえません。しかし、彼の他の作品を読む限り、現世を悲観し、来世に安寧を求めるというような雰囲気は少しも見られないのです。そうであれば、「奥の底」の解釈は別のものでなければならないのではないかと。私はそれを冬と考えます。そして、春になればその魂ははばたくのです。

前に書いたようにこの詩は極めてシンプルな構成です。枝葉を切り捨てると、この詩にあるのは冬とアオサギだけです。そして、アオサギが動かないことがこの詩を特徴づけています。この詩に死をイメージする人は、アオサギが動かないことに尋常でないものを感じるのだと思います。しかし、アオサギは本来、そんなに動かないものです。何もしないときは本当に置物のように微動だにしません。他の鳥と比べると動かないことが特徴だともいえるかもしれません。詩の最後の4行、「痩せほそり風にけづられ 許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり 動かぬ」というのは、大袈裟な表現は使っているものの、これが冬に凍原に立ち尽くすアオサギを見たときの率直な印象です。それが彼ら本来の姿であり、そこにとりたてて死をイメージする必要はありません。

昨日、札幌近郊で越冬するアオサギを見ながら、ふとこの詩が頭に浮かんだので、余計なこととは思いつつ、またあれこれ書いてみました。

2011/10/04(Tue) 17:01      もんち      Re: 無題

今 女子の間で「結局 青鷺って死んだの…?」と疑問になっています。
どうなんでしょうか・・・。死んだ 死んでないと女子が2つに分かれてしまうのは避けたいので…。
分かる範囲で構わないので教えてください<(_ _)>


2011/10/04(Tue) 19:07      まつ@管理人      Re: 無題

「アオサギが死んだのか」という質問はこれまでもたびたび寄せられています。皆さん、どうしてもそこが気になるようですね。はっきり言いますが、アオサギは死にません。この詩の中にはどこにもアオサギが死んだとは書かれていません。ただ動かないだけです。いつまでも微動だにせず立ち尽くすのはアオサギの特徴であり、何か異常なことが書かれているわけではありません。もっとも、大袈裟には書かれています。詩の中に「季節は移る」とあります。季節が移ってもアオサギは動かないわけです。これが事実なら、アオサギはとうに死んでいます。けれども、この詩は事実を描写したものではありません。頑として立ち尽くすアオサギはいわば架空の存在です。詩人が自身が思い描くひとつの世界を表現するためのモチーフなのです。アオサギが死んだと考える方は、「許さぬ枯骨となり」や「凍った青い影となり」に実際の死を連想するのだと思いますが、これらも動かないことを強調するための単なる比喩にすぎません。

私も以前はここまで断定的には考えませんでした。けれども、この詩が収められている詩集「凍原の歌」を読んで、ずいぶん視界がクリアになりました。少し前にもここで紹介しましたが、彼の「北海道」という詩の中に、詩人の立ち位置がかなり凝集して書かれていると思われる部分があるので紹介します。

併し天然は常に小さな人間の血と汗を一呑にして あがく悲嘆を絶望の底につつぱなし 更に冷酷な狡猾は勤勉を食ひあらし さまよふ騙詐は素朴をかすめさつた だが風がたち日影がさせば 土の子は倒れた豆の支柱をなほし 無慙に踏み荒された暴力の足跡に もう一度腰をかゞめて不撓の種子をうづめる このきびしい北方に生きるためには 常に休みなきたちなほりを要求され 鈍重絶えて敗退を忘れ 天の理法に則し 地の法則にしたがひ 小さくたよりなき自らをたよるよりない

これを読めば、アオサギは死んだのではという疑念は一掃されるはずです。まあ、詩ですから、読むほうが自由に解釈して読めばいいので、アオサギが死ぬと考えることでその人なりの世界が思い描けるのならば、それはそれでいいと思います。ただ、少なくともこの詩をつくった本人は、作品の中に死の概念は微塵も入れなかった。私はそう思いますよ。

2011/10/02(Sun) 21:34      ponpon      無題

今度、文化祭で蒼鷺を歌います^-^
私はその指揮を振ることになったのですが、詩の 動かぬ の部分が一番大切な気がするのですが、音楽的には、胸毛をふるわす~熱情 の部分がすごく印象に残りやすい気がします。

どこが更科源蔵さんの一番伝えたかったところなのかクラスでもすごく意見が割れています

参考程度でもいいので、まつ@さんの意見お聞かせ願えないでしょうか・・・


2011/10/03(Mon) 18:15      まつ@管理人      Re: 無題

この詩で作者が一番伝えたかったのは何なのかというご質問。私は全ての詩が何かを伝えようとして書かれるわけではないと思います。もちろんメッセージを含んだ詩もたくさんあります。個人的な思いを誰かに伝えたくて書かれたものとか、社会へ何かのメッセージを届けたくて書かれたものとか。けれども、全ての詩がそうではありません。自分の知っている世界、感じた世界、あるいは心のあり様を詩の形で表現してみたという場合も多いはずです。人の書くものですから、掘り下げていけばどこかにメッセージを読み取ることは可能です。しかし、作者に初めからその意図が無い場合、詩の森に分け入って一本一本の木を見て回っても探し物は見つかりません。迷子になるだけです。そんな時はいちど森から出て森そのものを見てみれば、木ではなく森そのものに意味があることに気付くはずですよ。

この詩はひとつの普遍的な世界観、あるいは心の状態を描いているのだと私は思います。ですから、詩の細部に拘るよりは、詩そのものが提示する世界をいかに鮮やかに思い描けるかというところに集中したほうが良いように思います。ただ、鮮明なビジョンを得るためには、逆説的ですが、詩の細部に秘められた意味をひとつひとつ考えていくしかありません。まずは、いろいろな視点から詩を眺めてみることです。その点、クラスの中でどの部分が重要かについて意見が分かれているのはとても良いことだと思いますよ。誰かの意見が正しいわけではなく、ひとりひとりが違った視点で詩を解釈しているということですからね。どこが一番重要なのかを議論するのではなく、なぜその部分が重要と思うのか、どういう視点で読んだからそう思ったのかを話し合うことが大切だと思います。そうすれば、再び森の外に出て森全体を眺めたとき、前よりずっとはっきり森の輪郭が見えてくると思いますよ。

2011/09/26(Mon) 23:09      霙      無題

ボクはクラスで、曲目紹介という、位置に着くことができました、どんなことを言うと蒼鷺の歌のよさが伝わるか、教えてください


2011/09/26(Mon) 23:17      霙      Re: 無題

すいません追加です、蒼鷺は、差別や偏見を受けるアイヌ民族の我慢強さを唄った歌と、ききました、その辺も教えてください、ちなみに、本番の合唱コンクールまで気がついたらあと、四日しかありませんでした・・・((汗


2011/09/29(Thu) 17:57      まつ@管理人      Re: 無題

まず、この詩はアイヌの人々のことを書いたのではないかというご質問。なるほど、そういう解釈もあるのですね。実際、そうかもしれませんし、あるいはそうでないかもしれません。私の考えを言わせてもらえば、それは違うと思います。この詩は、そうした特定の対象、特定の出来事だけをもとに作られたのではないような気がするのです。この詩にあるのはもっと普遍的な心の状態。それは、作詞者である更科源蔵の生きた時代の世相や暮らした土地の事情、個人の体験など、ありとあらゆるものがないまぜになって形作られたもの。最終的に彼の中で普遍化された心の持ちよう。そういうものではないかと私は考えています。

さて、もうひとつのご質問。この詩の良さが伝わる曲目紹介の仕方ですね。曲目紹介にかけられる時間というのはとても短いと想像します。その間にどれだけのことを伝えられるかを考えた場合、この詩をどう解釈するとか、もともと答えの無いようなものをあれこれ説明する余裕は無いと思います。それに、曲の前に詩の解釈を述べるのは、例えて言うなら、客が料理を食べる前に事細かくレシピを説明するようなもので興醒めです。レシピを研究するのは料理するほうだけで十分です。

では、何を言えば良いのかとなりますね。私なら、この詩を理解する上で欠かせない要素をしっかりイメージしてもらう方法を考えます。その要素とは、もちろんアオサギです。アオサギはこの詩であまりにも最前面に出てきているので却って忘れられがちですが、この詩はアオサギがいてはじめて成り立っているわけです。アオサギのことを皆が知っていれば何の問題もありません。しかし、アオサギは分かる人には分かっても、知らない人にとっては全くイメージできない鳥なのではないでしょうか。アオサギがイメージできずにこの歌を聴いてもほとんど何も分からないでしょう。

この詩の素晴らしさは、作者が表現したかった心の状態とアオサギのもつ雰囲気が見事に一致している点にあります。この役割はアオサギ以外の鳥には務まりません。それほどこの詩ではアオサギの役割は重要なのです。この曲を聴く人は詩人の提示する世界をアオサギを通して見ることになります。しかし、このアオサギという窓が曇っていてはその先にあるはずの景色は見えてきません。逆に、アオサギをよく知れば窓はクリアになり、詩人の世界ははっきりと見えるようになります。ですから、この曲をよく分かって聴いてもらいたければ、アオサギについてできるだけ的を射たイメージを提示することが肝心なのです。

冬、北海道東部の凍りついた原野に微動だにせず佇むアオサギ。それがこの詩のイメージです。この佇むという表現は重要です。佇むという状態がどのようなものかは、当ページにいくつか写真を載せていますのでご覧下さい。このイメージを正しく聞き手に伝えることができたなら、曲の紹介としては他に何も要らないのではないでしょうか。あとは、皆さんの合唱そのものが雄弁に語ってくれるはずですよ。

2011/09/04(Sun) 21:43      まつ@管理人      「蒼鷺」の背後にあるもの

この詩は作者の更科源蔵がアオサギに自分を重ねて書いたものだという内容を、先日、当掲示板に書いてくださった方がいらっしゃいました。ただ、その投稿はあとでご本人が削除されたようで、もうここには残っていません。「蒼鷺」を理解する上でとても示唆に富む内容でしたので、ここにご紹介できないのはとても残念です。

更科源蔵がアオサギに自らの想いを投影したというのは、私もその通りだと思います。そうなると、更科源蔵その人がどういう人生を生きてきたかが問題になるわけですが、この方がとくに指摘されていたのは彼の人生のプライベートな側面でした。詩集が出る4年前に奥様を亡くされていること、さらに7年後に再婚すること。つまり、この詩はその間にあって心的変化の大きい時期に書かれたのではという内容でした。

ついでなので、この詩の背景にあるものを別の側面からも見てみたいと思います。そこで、とりあえず「蒼鷺」が載っている詩集「凍原の歌」を通読してみました(最後のほうは図書館の閉館時間に間に合わなかったので読めていません)。「凍原の歌」は昭和十八年に発行された詩集です。昭和十八年というと戦争のまっただ中。実際、この詩集には知人の出兵のことや戦況のことなど、戦争そのものを話題にした詩もたくさん収められています。余談ですが、この詩集は発刊当時の定価が二円です。ところが実際の値段は二円十銭なのですね。この半端な十銭は何かというと、特別行為税といって、当時、庶民の消費活動を抑圧するのを目的に課せられていた税のようです。ともかく、そんな戦時色の濃い、独特な時代精神の中で書かれた詩なのですね。

もうひとつ、この詩集は「凍原の歌」というタイトルでも察せられるように、彼の生まれ育った北海道の原野と切り離しては存在しえません。原野の開拓民として生まれ育った彼の体験やそこで鍛えられた精神性、そういうものがこの詩集では隅々にまで浸透しています。それがどういうものかは、私があれこれ書くより、詩をそのまま引用するほうがよく分かっていただけるでしょう。たとえば「北海道」というタイトルの詩には、開拓民としての彼の思いがとてもストレートに描かれています。けっこう長い詩なので、以下はその一部のみの抜粋です。

併し天然は常に小さな人間の血と汗を一呑にして あがく悲嘆を絶望の底につっぱなし 更に冷酷な狡猾は勤勉を食ひあらし さまよふ騙詐は素朴をかすめさった だが風がたち日影がさせば 土の子は倒れた豆の支柱をなほし 無残に踏み荒された暴力の足跡に もう一度腰をかがめて不撓の種子をうづめる このきびしい北方に生きるためには 常に休みなきたちなほりを要求され 鈍重絶えて敗退を忘れ 天の理法に則し 地の法則にしたがひ 小さくたよりなき自らをたよるよりない

ここに見られる精神性は「蒼鷺」にもかなり色濃く表れていると私は思います。

2011/07/17(Sun) 19:59      みほ      イメージ

私は、中3で、蒼鷺の、伴奏をやるんですが、どうゆうイメージを持てばいいですか?


2011/07/17(Sun) 21:58      まつ@管理人      Re: イメージ

この詩のイメージについては他の方からの質問で何度もお答えしていますので、当ページを探してみてくださいね。

ただ、私が書いたものは、飽くまで私の中でのイメージです。これが正しいというものはありません。けれども、詩に描かれたアオサギがどのような姿勢で立っているか、これについては100%正しい答えを提示できます。写真のアオサギの姿勢がそれです。写真では2羽で立っていますが、詩の中のアオサギは1羽だけのような気がします。この基本姿勢で片脚を上げ目を閉じれば、だいたい詩のアオサギどおりになると思います。間違っても首を伸ばして立ってはいけません。この佇んだ姿勢のアオサギの周りを冷たい風が吹き抜け、アオサギからは青い影が伸びています。そして、凍原の寒さや寂しさを想像することができれば、作者が思い描いたイメージにかなり近づけるのではないかと思いますよ。

2011/07/14(Thu) 22:07      みき      指揮者です

今年の合唱コンで蒼鷺の指揮をすることになりました、高校2年生です。

私の慕っている音楽の先生と、「耳毛かすかに~熱情か」の所の読解で大議論しました。

みなさんはここをどう捉えますか?


2011/07/17(Sun) 21:54      まつ@管理人      Re: 指揮者です

私も今一度、詩を読み直してみました。たしかに「耳毛」から「熱情か」までは人によって解釈が一番分かれるところでしょうね。できれば、みきさんの解釈を書いていただければ、他の人もコメントしやすかったのではないかと思います。とりあえず、私はこう思うというのを書いてみます。なお、この掲示板にこれまでいろいろ書いてきましたが、自分の中でも時とともに解釈が変わっていきます。なので、前に書いたものといくぶん矛盾することはあるかもしれません。詩ですから解釈に正解はありませんし、人それぞれに好き勝手な世界を想像していればいいというのが私のスタンスです。ただ、合唱となると、皆がバラバラなイメージで歌ったのでは曲として成り立たないのでしょうね。バラバラなものをいかにひとつのイメージに集約し、音楽として一貫性のある世界を構築できるかが指揮者の腕の見せ所かと。いや、これは大変ですね。

ということで、私の解釈です。ご指摘の部分だけでなく全体の解釈を書いてみます。
この詩は基本的に、凍原にアオサギがじっと佇んでいるという情景が描かれているだけです。アオサギはただ佇んでいるだけで、脚を上げたり目を閉じたりといった小さな動作はあるものの、立っているという基本的な姿勢は変わりません。たまにアオサギは死んだのだと想像をする人がいますが、これは間違っていると思います。詩の中には死んだとも倒れたとも書かれていません。最後までただ動かないだけです。死のイメージを抱く人は、たぶん「枯骨となり」という表現に過剰に反応してしまうのだと思います。けれども、これが単なる比喩であり、実際の死と関係ないということは、この詩を何度も読めば自ずと分かります。

ついでに「枯骨」の部分について言えば、直前の「痩せほそり」から、「風にけづられ」、「許さぬ枯骨となり」、「凍った青い影となり」まで、一節ごとに存在の希薄感が増していきます。これに対して、ご指摘の箇所である詩の真ん中部分は、「胸毛をふるわす絶望の季節か」、「凍れる川の底流れの音か」、「胸にどよめく蒼空への熱情か」と、後になるほどポジティブな感情に変化していきます。真ん中の「凍れる」の一節は、やがて春になれば現れる川の流れに思いを寄せているわけであり、すなわち希望を表していると私は解釈します。絶望から希望へ、希望から情熱へという変化です。この部分で極限まで感情が高まって、そこから詩の最後にかけて消え入るように収束していくのです。この詩を合唱曲にした方は、この部分のダイナミズムに音楽的な魅力を感じたのではないでしょうか。

この詩は外見上、アオサギを詠んでいます。アオサギはただ立っているだけです。そして、その立っているだけのアオサギに、詩人はひとつの魂を付与します。その魂が詩人本人のものであるのか仮想した魂であるのかは分かりません。ともかく、この詩の構造はとてもシンプルで、ひとつの魂をアオサギという容れ物を通して読者に提示したものと私は考えます。魂と関わりがあるのはこの詩の中では「風」だけです。風はおそらく世間全般を表しているのだと思います。その風を読み、動くときではないと判断すれば動かない。今、動くべき時でないからアオサギは動かないのです。風に吹かれて軽々しく動く魂もあるのでしょうけど、この詩に描かれた魂は容易には動きません。動くべきときが来れば動くけれども、動く必要のないときには動かない、壮絶なほどの信念をもって動こうとしません。そうした魂の有り様をアオサギの姿に託して描いたのだと思います。

2010/09/29(Wed) 22:48      ( *`ω´)      こうとらえればいいとおもう

この曲を合唱で歌うことになったのですが、詩の意味を調べる宿題があったのですが、僕がこの詩で感じたのは、一見蒼鷺は「動かぬ」の所で死んだように思えますが、そこは、動か無いんじゃなくて、動けないんだと解釈しました。何故なら蒼鷺は、つぎの「奥の底から魂がはばたくまで」という所で、蒼鷺は魂がはばたくまで死なない、死ぬわけにはいかない。という解釈をしました。
あと、「枯骨」と言う意味なんですが、辞書には、死人の骨と書いてあり、「許さぬ枯骨となり」と言っているので、死んではいないと言う解釈がとれます。その事から蒼鷺が死にそうだけど、生きる為に耐えぬこうとする懸命な姿が浮かんで来ます。
少なくとも、この歌は蒼鷺が、寒い所で生きる為に自然に耐え抜く姿を表現した歌だと思うので、歌う方もその力強さを考えて歌えばいい歌になると思います。


2010/10/03(Sun) 19:46      まつ@管理人      Re: こうとらえればいいとおもう

そうですね。私も( *`ω´) さんの解釈に大筋で賛成です。この詩はアオサギが死ぬと解釈するのと生きると解釈するのとで詩の意味するところが決定的に違ってきます。私は( *`ω´) さんと同じく、アオサギは生き延びるという説をとります。この詩がアオサギが死にゆく場面の描写だと考える人は、アオサギが「動かぬ」という部分をその拠り所としているのでしょう。けれども、アオサギそのものをよく知っている人であれば、アオサギが動かないことに何の不思議も感じないはずです。ちょこちょこ忙しく動き回るアオサギはいません。おそらく、作者が「動かぬ」ものとして描いたアオサギは、写真のような姿勢で佇んでいると考えてまず間違いないはずです(もっとも、詩中のアオサギは1羽でいるところが想定されますが)。この姿勢をとって休んでいるアオサギは滅多なことでは動かず、何時間でもこのままの状態でいます。アオサギの場合、「動かぬ」ことは決して死に関連づけられるものではなく、アオサギが本来もっている特性のひとつなのです。

たしかに、詩の終わりのほうの「痩せほそり風にけづられ 許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり」という部分は、一節ごとにアオサギの存在が極限まで希薄化されてゆき、死にゆくアオサギの姿を彷彿とさせます。けれども、その行き着くところは死とイコールではありません。この詩に描かれるアオサギの肉体の消滅は、単に「動かぬ」ことの時間経過を視覚的に表現したものに過ぎないと私は考えています。そういう観点で考えれば、この詩でアオサギの生死を云々すること自体、意味の無いことだとも言えます。この詩で詩人がもっとも強く表現しているのは「動かぬ」もの。そして、それはアオサギそのものではなく、「奥の底から」はばたくその時を待っている魂のはずです。そこに焦点を当てれば、あるいはアオサギの生死の問題に惑わされることなく、もっと素直な読み方ができるのかなとも思います。

ただし、だからと言ってこの詩でアオサギの存在が蔑ろにされて良いわけではありません。アオサギが「動かぬ」という状態をシンボリックに体現できる存在であるからこそ、作者は「動かぬ」魂への思いをアオサギの姿を通して的確に表現しえたのです。それに、アオサギがどうでもよくなれば、この掲示板の存在意義も無くなりますしね。

ついでに細かいことですが、「許さぬ枯骨」の意味について私の解釈を書いておきます。枯骨という単語は( *`ω´)さんが書いているように死人の骨ということで間違いありません。ただ、「許さぬ」という語は枯骨であることを否定するものではなく、単純に枯骨にかかる形容詞のはずです。おそらく「打ち解けない」とか「易々と懐柔されない」とか「頑迷な」とかいうほどの意味でしょう。これらの意味をそのまま言葉として当てはめてもしっくりこないかもしれませんが、なんとなく雰囲気は分かってもらえるかと思います。

2010/01/14(Thu) 22:22      よう      気になること

合唱でこの歌を歌うことになって、意味を考えている真っ最中です。

一度この詩を読むと単純に考えてしまえば蒼鷺は死んでしまったと思えてしまいます。
けれど、ここで簡単に死んでしまっては詩として何か足りません。

作詞者の更科源蔵さんを知ってみると、北海道の開拓民で何キロも先の学校へ通い、動物の観察もよくしていたということです。
だからこそこの蒼鷺をかけたのではないかということですが、蒼鷺は北海道では夏鳥で、冬は冬越えの為に南下します。
この詩は冬の詩です。
ここで違和感を感じました。
夏鳥である蒼鷺が冬の北海道にとどまっているのか?と考えると気になって仕方がありません。

みなさんはどう考えますか?


2010/01/15(Fri) 01:34      まつ@管理人      Re: 気になること

詩というのは読む人によって全く違う内容になる、そこが面白いのでしょうね。私はこの詩の蒼鷺は死んだというふうには理解しませんでした。けれども、「単純に考えてしまえば蒼鷺は死んでしまったと」というようさんの文を意識してもう一度読み返してみると、なるほど確かにそうですね。文字だけを追いかければ、最後の5、6行あたりはもうほとんど生命が感じられません。

けれども、私はやはり、この詩は蒼鷺が生きてこその詩だと思うのです。なぜそう思うのかは自分でもうまく説明できません。ひどく漠然とした言い方をすると、この詩のもつ雰囲気が蒼鷺が死ぬことを許さないからです。峻厳で激しく熱いものを秘めた蒼鷺。そんな蒼鷺に絶望という結末を想像するのはかなり難しい、と私は思うのです。もちろん、穿った見方をすれば、それでも蒼鷺は死ぬのだと想像できないことはありません。しかし、作者がこの状況を人間社会でなく自然界に設定しているということを考えれば、斜に構えず素直な捉え方で良いのではないでしょうか。

さて、もうひとつ。冬の北海道にアオサギがいるのかという点。たまたま私が北海道にいるので、これについては少しまともに説明できるかと思います。結論から言うと、冬の北海道でもアオサギはいます。もっとも、いるとは言えごく少数が残っているに過ぎず、ほとんどは本州以南に渡ってしまいます。作者が見ていたのはそのわずかに残った越冬アオサギだったのかもしれません。ただ、これは現在の話。ここ数十年でアオサギが急激に増えたことを思えば、更科源蔵さんがこの詩を書いた頃は、アオサギはそれほどよく見かけられる鳥ではなかったと思われます。まして越冬する個体はほとんどいなかったのではと想像します。

では、このアオサギは虚構なのかと言えば、さにあらず。私は春先に南から渡ってきたアオサギの描写ではないかと思っています。北海道では、アオサギの第一陣は3月の始めにやってきます。その頃の北海道はまだまだ冬の様相を色濃く残しており、詩の情景として何の違和感もありません。ただ、詩の内容を細かく見れば、飛来間もないアオサギの描写にしてはやや不自然なところもあります。が、まあそこまで詮索するのは野暮でしょう。これは観察記録ではなくて詩なのですから。たとえ完全な虚構だとしても何の問題もないですよ。

ということで、スッキリしたでしょうか?

2009/09/16(Wed) 21:33      MAX      蒼鷺うたいま^s

今年の合唱コンクールで蒼鷺を歌うことになりました!

それでよくわからないことがあったので質問します

歌詞の最後の連に「動かぬ」という言葉が出てきているのですが
歌詞からみて蒼鷺がなぜ動かないのか教えてください


2009/09/18(Fri) 08:45      まつ@管理人      Re: 蒼鷺うたいま^s

なんだか国語の試験問題のようですね。詩の解釈には正解もなにもないので、以下は私の勝手な解釈ということで書いてみます。

蒼鷺がなぜ動かないのか? というご質問。動けばこの詩は崩壊してしまいます。この詩は蒼鷺が「動かぬ」ことで詩として成り立っているのです。もっと言えば、蒼鷺そのものはこの詩の本質とは無関係で、「動かぬ」という状態が詩の主題なのです。この詩が個人的な思いを表現しているのか、自分を含む周囲の人々の思いを代弁しているのかは分かりません。いずれにしても作者はそれら人間の内に「動かぬ」ことの崇高さや「動かぬ」状態にあることの宿命といったものを読み取ったのだと思います。そして、そういった抽象的な概念を具現化したものが「動かぬ」蒼鷺というイメージなのです。

舌足らずな説明でしたが、いくらか参考になったでしょうか? 作者は「動かぬ」という言葉に秘めた思いを凍原に佇む蒼鷺に投影しました。ですから、蒼鷺のもつ雰囲気を知れば、作者の思いをもう少し深く理解できるようになるかもしれません。あとはMAXさんの想像力次第ですね。

2009/08/08(Sat) 19:26      莉茄☆城山      蒼鷺★

うちっち㊥学校でも蒼鷺★歌います!!

&夏休みの宿題で詩の解釈があるんです・・・
でも蒼鷺って深い意味ありすぎで、わかりません(A);

だれかぁぁぁ!!!
わたしに教えてください
おねがいします(^^)/


2009/08/08(Sat) 21:01      まつ@管理人      Re: 蒼鷺★

詩なんてものは人それぞれ勝手に解釈できるところに良さがあるのだと思いますよ。だから、先入観なしにこの詩を読んで、莉茄☆城山さんがどんなイメージを思い描いたか、どんな雰囲気を感じたか、それが一番大切なんじゃないかな、と。作者が意図したものと同じ解釈をする必要はないと思いますよ。
とはいえ、宿題ですし。困ったものですね。それに、合唱で歌ううとなると、皆があるていど同じイメージを共有していないとまともな歌にならないかもしれませんね。

ということで、この詩をどう解釈すれば良いかということですが、じつはこの質問、この掲示板にこれまで数多く寄せられていまして、皆さんや私がそれぞれ思い思いの解釈を書き込んでいます。その一部はこのページに保存しています。よろしければ参考にしてみて下さい。

この合唱曲、ずいぶん人気があるようで、全国各地の学校で頻繁に歌われているようです。莉茄☆城山さんと同じように、夏休みの宿題で詩の解釈を課され悩んでいる人も多いのではないかと思います。まあ、悩みがいのある詩であることは確かですね。暑いさなか、極寒の地の蒼鷺を思い浮かべ、気分だけ涼しくなるのも悪くないですよ。
がんばってください。


2009/08/09(Sun) 14:52      莉茄☆城山      ありがとうございました

詩の解釈(V)
がむばってみます!!
聞いてみて、
良かったと思います!
本当にありがとうございました。

2009/07/31(Fri) 17:43      灯火      どんな・・・?

はじめまして!今度の文化祭で「蒼鷺」を歌う、中3です!
夏休みの宿題で詩の解釈あるんですが、先生に「人に例えて考えてみて。」と言われました・・
なかなか思いつかなくて、教えてください・・!!


2009/08/03(Mon) 06:49      まつ@管理人      Re: どんな・・・?

この詩は難しいですよ。詩の中の蒼鷺を人と読み替えてもあるていど意味は通じますが、その意味するところは簡単には理解できないと思います。この詩を理解するには、まず作者である更科源蔵の生きた時代と生まれ育った土地を知っておく必要があるでしょうね。彼は北海道がまだまだ未開の地であった頃、開拓民の子として北海道の弟子屈に生まれています。そして、後に原野の詩人と呼ばれたように、弟子屈の人や風物を強く意識した詩を書き続けました。ですから、この詩には当時の弟子屈の原野や、そこでの冬の過酷な人々の暮らしが色濃く反映されていると思うのです。それが実際どういうものであったのか、それは灯火さんの想像力次第ですね。

もうひとつ、この詩になぜイメージとしての蒼鷺が登場するのかということです。更科源蔵は「コタン生物記」などを書いていることからも分かるように、動植物に対しては人一倍強い興味を抱いていた人です。アオサギについてもおそらく十分な観察をしていたのでしょう。アオサギのもつ雰囲気やその周りに流れる時間、そうしたものが作者の人間や自己に対する洞察と共鳴したとき、この詩が生まれたのだと思います。
つまりは、この詩を理解しようとすれば、まずアオサギを理解しなければならないということですね。実物のアオサギをじっくり観察すれば、作者の思いのいくばくかはうかがい知れるかもしれません。


2009/08/03(Mon) 21:25      灯火      ありがとうございます!

ありがとうございましたっ!
私の知らないことばっかりでした・・!
参考にして頑張ります!!

2008/11/02(Sun) 23:11      マイケル      悩み…

僕も合唱コンで「蒼鷺」を歌うのですが、何か歌うときに注意したほうがいい点とかありますか?教えてください!


2008/11/19(Wed) 21:17      おい      Re: 悩み…

僕はいま中2でこの歌を歌いました
やっぱり詩の意味を理解してから歌うとかわりますよ

2008/10/23(Thu) 21:40      なな★ありがとお(^O^)/♪      聞かせどころ

11月に合唱コンクールがあるんですけど、
蒼鷺の一番の聞かせどころってどこだと思いますか?
ぜひ教えてください(>_<)!


2008/10/25(Sat) 18:50      ココ      Re: 聞かせどころ

やっぱり「胸毛」から「熱情か」までではないでしょうか。でも個人的には、2ヶ所ある「動かぬ」のところが好きです。(「だが蒼鷺は だが蒼鷺は だが蒼鷺は 動かぬ」と「痩せ細り~」の後の「凍った青い影となり 動かぬ」のところ。
お互い頑張りましょう!!

2008/10/25(Sat) 18:46      ww      ご報告

昨日俺らの学校で蒼鷺うたいましたw
強弱をつけてうたえばw最高ですw
コンクールでは銅賞でしたが・・・
みなさんは頑張ってくださいw

2008/10/12(Sun) 08:56      ココ      蒼鷺の詩の解釈

蒼鷺の詩は作詞者更級源蔵さんが「余命3ヶ月(?)」を宣告されてから作った詩で、枯骨となり痩せていく蒼鷺の頑固なまでに動こうとしない姿に自分の姿を重ねた…というようなことを音楽の先生から聞きましたが、本当でしょうか。そのようなことがはっきり分かるサイトなどありましたら教えてください


2008/10/13(Mon) 22:30      まつ@管理人      Re: 蒼鷺の詩の解釈

正直なところ、その話が本当かどうか私はよく分かりません。

更科源蔵氏の詩「蒼鷺」は詩集「凍原の歌」に収録されています。この詩集は1943年、彼が39歳のときに刊行されたものです。一方、更科源蔵氏が亡くなったのは1985年、「蒼鷺」が書かれてから何十年も後のことです。
ただ、彼は19歳のときに吐血していますから、その時そういうことを宣告されてこの詩を書いたと考えれないこともないです。それを20年後に詩集に載せたと。
きちんとした根拠がないので、これ以上推測するのは止めますが、私は音楽の先生が言われたことは誰かの作り話のような気がします。また機会があればもう少し詳しく調べてみます。

なお、更科源蔵氏の略歴はここで見ることができますよ。


2008/10/14(Tue) 21:44      ココ      Re: 蒼鷺の詩の解釈

ありがとうございました。すごく参考になりました。
詩の解釈ってすごく難しいですね。合唱をするたびに、毎回音楽で詩の解釈・想い(伝えたいこと)が宿題で出されます。国語の教科書ガイドのように、そういう本が出ていると助かるのですが…。
少し考えてみたのですが、誰かの作り話的かも知れませんが「余命を意識していた…」と考えるとなるほどなと納得できる部分もあります。その線で、がんばって宿題仕上げます!

2008/09/26(Fri) 00:24      あめ      蒼鷺のイメージ☆

私も今年高校の合唱祭で歌うことになりました。
とってもいい曲だと思います↑↑

それで、私は合唱曲「蒼鷺」のポスターを描くことになったんです!
でもどんな感じで描いたらいいのかわからなくて…
こんなにいい曲だからそれに似合うような絵を描くぞ!と意気込みはあるんですけど、イメージがわきません↓↓

みなさんだったらこの曲をどんな絵にしますか?
教えてもらえるとすごく助かります。。


2008/09/27(Sat) 00:45      まつ@管理人      Re: 蒼鷺のイメージ☆

私なら、左の写真のような場景を描きます。あくまで雰囲気がこんな感じというだけですが。
あと私が抱いているイメージとしては、アオサギは1羽で、この写真のように真横からではなくやや斜め後ろから見る感じになります。雪煙の舞う雪原の向こうに、葉を落としたハンノキが遠くうっすらと見える、背景はそんな感じです。

それから、これが一番重要ですが、アオサギは首を縮めた姿勢で佇んでいなければなりません。首を伸ばして突っ立った姿勢にすると、他がどんなによくても全てぶち壊しです。他はどうでも良いですが、これだけは間違いが許されないのでくれぐれもお間違えなきよう。


2008/09/27(Sat) 23:49      あめ      Re: 蒼鷺のイメージ☆

ありがとうございます!
とってもきれいな写真ですね☆+.

いいイメージがわきました。
首を縮めている蒼鷺っていうのもまた違ったよさがあるんですね。

がんばって描いてみようと思います!

2007/09/21(Fri) 20:47      王様      合唱曲「蒼鷺」

僕らも銀河祭(文化祭)で合唱曲「蒼鷺」を歌いました。最初はこの曲を選んでよかったのかなー?と悩んでいたけど歌詞の意味を知ったら蒼鷺の気持ちがわかって曲に表情をつけられるようになりました。あとは音楽の先生からあ音の強弱をはっきりつけろなどと指導を受けてもらって合唱コンクール当日は最高の合唱を披露できました。
やっぱり「蒼鷺」は最高の曲です!


2007/09/22(Sat) 19:52      まつ@管理人      Re: 合唱曲「蒼鷺」

合唱曲の書き込みが多いなと思ったら文化祭の時期なんですね。
アオサギの「ア」の発音は大切ですよ。アとオはふたつとも母音ですから、はっきり発音しないとアオサギに聞こえません。「アオサギの件でお尋ねしたい」と電話で問い合わせても、明瞭に発音しないとなかなか分かってくれません。「ウサギの研究ですか?」とか…。

2007/09/20(Thu) 19:00      さお      頑張るんば!!

こんちわっす!!! 私も蒼鷺を合唱曲で歌うんです!!! 今中3なんですけど。。。 一昨年の合唱コンクールでわ、蒼鷺が優勝したんですよ(^ロ^) 昨年わアイヤ節だったんすけど。 だから今年また蒼鷺で優勝とろうっていう事になったんすYO!! 私のクラスわ、昨年二年の部で優勝とったんで今年も取っちゃいます!!!!!
みなさんのコメントを全部読みましたがすごく蒼鷺の事が分かった気がします。。。 クラスのみんなに話したいと思います!!!!!


2007/09/20(Thu) 22:38      まつ@管理人      Re: 頑張るんば!!

合唱曲の「蒼鷺」、ずいぶん人気がありますね。私はまだ一度も聞いたことがないのですが、一昨年に歌って今年もまた歌いたいとは、よほど印象的な歌なんですね。
ここの書き込みが役に立ったようで私も嬉しいです。一昨年よりもさらに素晴らしい合唱になるようにがんばって下さい。

2007/08/26(Sun) 17:12      あおさぎ      合唱曲 蒼鷺

私も11月にある合唱コンクールの曲が【蒼鷺】になりました。その音楽の先生が宿題を出してきたんです。
【1歌詞の意味 2こめる想い】これが夏休みの宿題でして。
パソコンで必死に意味をさがしているんですが,なかなかなくて…もし分かる方がいらっしゃったら教えていただけますか??


2007/08/28(Tue) 18:50      まつ@管理人      Re: 合唱曲 蒼鷺

詩の全体の意味は捉えがたくても、一文一文はよく読めばそれほど難しいことは書かれていません。
意味が取りにくいのは、「許さぬ枯骨」というところくらいでしょうか。「許さぬ」という言葉は「強固な」とか「うち解けることのない」とか「意志の揺らぐことのない」というほどの意味だと思います。

詩の内容は読む人ごとに違う受け取り方があって良いものだと思います。私の場合は当ページに書いたようなイメージで受け取っていますが、それは作者の思いとは別のものかもしれません。作者の思いを忠実になぞる必要は無いですし、詩の理解の仕方に正解は無いと思ってます。当ページの内容も多少参考になるかもしれませんが、大切なのはアオサギさんが詩にじっくり向き合って、ひとつひとつの文や言葉、そして詩のもつ全体の雰囲気から独自のイメージを膨らませていくことだと思います。丁寧に読めば、これまで気付かなかった詩の景色が見えてくるはずですよ。

2007/08/10(Fri) 10:25      みゆう      蒼鷺

蒼鷺の歌ありますよね。えぞはるに・・・ての
あれあたくしが合唱コンクールでうたうんです。
最後に蒼鷺は死んじゃうんですよ。
魂が羽ばたくまでやせ細りかぜにけづられゆるさぬここつとなり凍ったんです。


2007/08/10(Fri) 18:47      まつ@管理人      Re: 蒼鷺

合唱のシーズンなんでしょうか。ここのところ立て続けに合唱曲「蒼鷺」について皆さん書かれているわけですが。ともあれ、合唱曲の中でもかなり人気のある曲なのは間違いなさそうですね。

さて、歌詞の中のアオサギが最後に死ぬかどうかということですが、私は死んでないと思いますよ。「風にけづられ」とか「枯骨となり」とかの言葉は単なる暗喩で、それがアオサギが死んだ状態を表しているとは思えません。もしアオサギがここで死んだのであれば、さすがのアオサギも自然の過酷さには打ち勝つことができませんでした、というだけのつまらない内容になってしまいます。内容としてはそういう詩もあるかと思いまが、この「蒼鷺」はどうでしょうか。私はこの詩の言葉の力強さからして、過酷な運命に敢えなく伏してしまうアオサギというのはとても想像できません。それに、更科源蔵はまさにこの詩に描かれたような北海道東部の極寒の地で開拓民として生まれ育った人です。自然を恐れ、自然の猛威を堪え忍ぶことはあっても、自然に易々と打ちのめされるような生き方はしてこなかったと思います。そういう人のつくった詩ですから、アオサギも当然、簡単には死なないと思うのです。
どうでしょう。そう思って歌ったほうが、ずっと良い歌になると思いますよ。


2007/08/20(Mon) 02:40      カラス      Re: 蒼鷺

合唱曲の歌詞になった更科源蔵の詩「蒼鷺」を知りました。
詩の流れには不思議な凄まじさを感じました。
「蒼鷺」の結びに繋がる、許さぬ古骨となり、という句が印象的です。許さぬ古骨とはなんでしょうね。
凍った青い影となり、動かぬ。で結ばれる詩を、寒さに死んでいったアオサギの状態と理解すると、あんまり面白くないですね。
死んで古骨となり崩れ落ちた状態では、平べったくなり、凍った青い影となり動かぬ、の句に意味がなくなるような気がします。
アオサギの形は静かに直立する印象が強いです。それで伸びる青い陰が利いているのだと思います。
不思議な詩ですが、人々の心を捉えて話さない魅力があるのだと思いました。
私は文学的素養がありませんが、みゆうさんの投稿から楽しませていただきました。

2007/08/09(Thu) 18:01      popo      ???

蒼鷺とはどんなとりですか?
私今度合唱コンクールで歌うんです。
そのため、夏休み中に蒼鷺についてのレポートを書かなくてはいけないんです。ですから教えてください。できれば詳しく教えてください。


2007/08/09(Thu) 19:22      まつ@管理人      Re: ???

アオサギがどんな鳥かということですが、奥が深くてとてもひと言では言い表せません。そこを何とかじっくり考えてみようということでやっているのがこのサイトなのです。なかなかじっくり考えるところまではいきませんが、長くやっているだけに情報量だけはけっこう多くなりました。このページをご覧になればレポートに書く材料もけっこう見つかるのではないかと思います。

とりあえず、ごく簡単に知りたいということであれば「アオサギのプロフィール」というページもあります。まずはここを読んでいただくほうが取っつきやすいかもしれません。

レポートまで書かなければならないとは、歌ひとつ歌うのも大変ですね。確かにあの歌は、歌詞だけをなぞっても何のことだかさっぱり分からない内容ではありますが。レポートがんばって下さい。

2007/07/30(Mon) 18:08      ☆      教えてください

合唱曲の蒼鷺を
上手に歌うコツとか知ってる人いたら
教えてください!!!!


2007/07/30(Mon) 23:25      まつ@管理人      Re: 教えてください

「蒼鷺」はかなり人気のある曲のようですね。この曲、私は未だに聴いたことがないのですが、以前この掲示板でメロディを教えて下さった方がいて、雰囲気だけはなんとか想像できます。その程度の私ですが、詩のほうはある程度分かっているつもりです。詩の内容を深く理解することができれば、歌もきっと上手に歌えるはずですよ(歌を知らない私が言っても説得力ないですが)。

あとは実際のアオサギをよく観察してみることでしょうか。アオサギがじっと佇む姿を見るだけでも、彼らの心情、もしくは作詞者である更科源蔵の心情をいくらかでも推し量れるのではと思います。アオサギが佇んでいるのと同じだけ佇み、彼らと同じ時間を共有してみるのも良いかもしれません。ただし、それにはかなりの忍耐力が要りますが。

2005/07/11(Mon) 03:23      ひろこ      アオサギという歌

学校の合唱コンクールで歌う歌を決める時に、候補がいくつかあがって、その中に「アオサギ」という題の歌がありました。
歌詞がよく理解できないのですが、最後にアオサギが死んでしまうのかしらと勝手に解釈しています。

コンクールは別の歌を歌うことになったのですが、とても気になっています。


2005/07/12(Tue) 00:58      まつ@管理人      Re: アオサギという歌

更科源蔵が作詞した「蒼鷺」という合唱曲ですね。実はこの曲については年に一度、恒例行事のようにこの掲示板に質問が寄せられます。調べてみると、合唱曲としてかなり有名らしいのですが、私は数年前まで全く知りませんでした。それもそのはずで作曲されたのが2000年とごく最近なんですね。
さて詩のほうですが、こちらは古く、昭和18年に発刊された「凍原の歌」という詩集に載っています。その寒々しいタイトルからも想像できるように、この詩集の詩は彼が生まれ育った北海道東部の情景や出来事がモチーフになっているようです。

さてさて、最後にアオサギは死ぬのではないかということですが、私は死なないと思いますよ。たしかに、実際に詩で描かれているような状況にアオサギがいたら、餓死するなり凍死するなりしてもおかしくないと思いますが、少なくともこの詩の中のアオサギは死なないのではないでしょうか。ここの詩の中でアオサギが動かないのは「奥の底から魂がはばたく」時が来ると信じているからで、その時が来れば飛び立つのだと私は思っています。
本当のことはよく分かりませんが、この詩はアオサギそのものを描いたものではなく、道東で開拓民として暮らしていた更科源蔵本人や彼の身近な人々の思いとか生きざまをアオサギに投影して描いたものだと思います。そういう意味でも、この詩の中のアオサギが「やせ細り風にけづられ」、なす術もなく朽ち果て死んでいく、ということにはならないと思いますよ。そんなやわな気持ちでは、開拓民なんてやってられないでしょうから。

ひろこさんの疑問、少しは解消できたでしょうか?(まあ、私のもほんとに勝手な解釈ですが…。)


2005/07/14(Thu) 11:04      ひろこ      Re: アオサギという歌

死なないと思うという言葉を聞けて、ほっとしました。
それに「道東の開拓民の生きざま」と思って歌詞を読んだら、全然違う歌になりました。
でも・・・コンクールは「エトピリカ」を歌います。
エトピリカも調べてみたら北海道の鳥でした。

2004/03/05(Fri) 00:09      ゆみ      こんばんわ

今、学級で『蒼鷺』を学級合唱として取り組んでます。私は合唱委員で、蒼鷺について調べていてココにたどり付きました!この曲はもともとは更科源蔵さんの詩だったんですね!!知りませんでした・・・。更科源蔵さんの詩に、『凍原の詩』と言うものがあるそうなんですけど、知ってますか??私は何にも知らなくて;先生に、『歌詞の意味を考えるといい』と言われたので、是非参考にさせて下さい!


2004/03/05(Fri) 22:32      まつ@管理人      Re: こんばんわ

更科源蔵の「凍原の歌」ですが、これは詩集でして、この中に「蒼鷺」という題の詩が入っています。「凍原の詩」ではなく「凍原の歌」のはずですが、本が手元に無いので間違っていたらごめんなさい。ちなみに、この詩集の中には、他にも鶴とか梟とか鳥をテーマにしたものがあります。すでにゆみさんも見られたかもしれませんが、「蒼鷺」の詩については「文学の中のサギ」、2002年3月21日から3月29日の中にも書いています。よろしければ御参考に。

ちょうど一年くらい前だったか、この歌を合唱するという方が同じようにここを訪ねられたことがありました。結構あちこちで歌われているんですね。曲のほうも詩と同様に荒涼とした感じなのでしょうか。どんな雰囲気の曲なのか是非一度聞いてみたいものです。

更科源蔵は、アオサギに対し「寂寞の極に何が聞こえる」のかと問うています。「胸毛をふるはす絶望の季節か」、「凍れる川の底流れの音か」、「それとも胸にどよめく蒼空への熱情か」と…。アオサギの気持ちになって歌えばきっと良い合唱になりますよ。ただ、これら全ての気持ちを理解しながら歌うのはかなり難しそうですね。頑張って下さい。


2004/03/07(Sun) 02:38      ゆみ      Re: こんばんわ

他の学校でも、コンクールなどれ蒼鷺を歌って賞を取った学校があるみたいですよ☆私は本当にこの歌が大好きです☆
アオサギフォーラムの方は参考にさせてもらいました!ありがとうございます。
この曲は本当に奥が深いです。難しい曲ですが、頑張っていきたいと思います☆アオサギの気持ちになってvv


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