アオサギを議論するページ

墓石はアオサギの頭になり得るか?

ボブ・ディラン、結局、ノーベル賞はもらうみたいですね。ところで、ディランという名がウェールズの詩人ディラン・トマスに由来することはよく知られたところです。そのトマスはつい先日の10月27日が誕生日で、生きていれば102歳のはず。しかし、若くしてというか30代で亡くなっています。ボブ・ディランが12歳のときです。

ということで、今回はそのトマスの詩について、ちょっと気になったことを書いてみます。もちろんアオサギのことです。トマスの詩にはアオサギがよく出てきます。しかも、点景として描写されるのではなく、詩の中でアオサギはいつも重要な要素になっているのです。あちらはなぜかアオサギが大人気のお国柄ですが、トマスのアオサギへの思いは特別なものがあったようです。

そんな彼の詩に「Over Sir John’s Hill(サー・ジョンの丘の上で)」という一編があります。描かれているのは丘の上で小鳥がタカに襲われて…といった分かりやすい光景ですが、そこに横溢するイマジネーションには圧倒されます。英文の原詩はネット上にいくらでもあるのでぜひ探してみてください。

さて、気になったというのはこの詩の和訳です。原文は英語ネイティブの人たちでもストレートには理解できないのではないかと思いますが、これを日本語に訳すといっそう判りにくくなります。詩を他の言語に訳すのが難しいのは分かります。とくにトマスの詩はひとつの単語に複数の意味を持たせることも多いですから正確な訳などまず不可能でしょう。ただ、今回ご紹介するのは明らかにおかしい、決定的な誤訳と思われるものです。いま手元に40年以上前に和訳された詩集と比較的最近の文献があり、どちらも同じように訳しています。もしかしたら、別の訳もあるのかもしれませんが、とりあえず以下は古い詩集からの引用です。英語の原詩と見比べてみてください。

and slowly the fishing holy stalking heron
In the river Towy below bows his tilted headstone
そして下手のタウィ川で魚を漁って忍び寄る聖なる青鷺は
その傾いだ墓石の頭をゆっくりと下げる

まあ詩ですから独特の表現や意表を突く言葉が選ばれるのは珍しいことではありませんし、この一節も詩全体の中に置かれている分にはととくに違和感はありません。しかし、情景を思い浮かべながら読むとやっぱり変です。頭が墓石とは一体どういうことでしょうか? あんな重いものがアオサギの細い首に載っていて、それで何をイメージせよというのでしょう? ウェールズの墓石は特別ということもなさそうですし。headstoneで辞書を引くと、たしかに墓石と載っています。詩の中で小鳥たちが死ぬことを思えば、墓石のイメージを想起させるためにこの単語を用いたのはおそらく間違いないでしょう。けれども、それはあくまで言葉に隠されたイメージで、トマスがこの言葉によってビジュアルに提示しようとしたイメージとは違うと思うのです。墓石の頭はどうしたって不可能です。

img_5906それでは、トマスはheadstoneに何をイメージしていたのでしょうか? じつはこの単語にはもうひとつの意味があるのです。写真は北大の第二農場にある製乳所を撮ったものですが、窓の上部にアーチ状にレンガが意匠されています。この頂点に嵌め込まれているレンガをとくに要石(かなめいし)と呼びます。そうです。これがheadstoneのもうひとつの意味なのです。要石を支えるアーチ状の意匠からはアオサギの首が容易に連想されます。それに、同じ石とはいえ、これなら墓石とくらべてずっと軽やかではないでしょうか。

素晴らしいことに、この詩はYouTube上でディラン・トマス本人の声で朗読が聞けます(こちら)。詩中、問題の箇所を筆頭にHeron(アオサギ)が6回出てきます。動画の下に詩の全文が載っていますので、確認しながらぜひ聴いてみてください。日本語でヘロンと聴くとなんだか頼りなく響きますが、トマスの声で聴くと、トマスのアオサギへの思いもあってかとても力強く聞こえます。アオサギが想像以上に堂々とした鳥に思えてきますよ。ヘロン、いい響きです。

バンクーバーの海岸にて

先日、アメリカに行ったついでにバンクーバーに寄ってきました。もちろんオオアオサギに会うのが目的です。この地域は太平洋に面していますが、入り江が深くまで入っているためサギたちの餌場には事欠かないようで、さらに、北海道より北に位置しているのに冬も温暖で雪もほとんど降りません。このためオオアオサギは冬も南へ渡ることなく年中ここで過ごしているとのことです。

そのように素晴らしい環境ということもあって、この地域は昔からオオアオサギの研究が盛んです。とくにバンクーバーのブリティッシュコロンビア大学ではこれまでいくつもの優れた研究がなされてきました。たとえば1974年にはJ.R.Krebsがコロニーに出入りするオオアオサギの飛翔方向を観察して有名な情報センター仮説の検証を試みています。そのとき観察したコロニーというのがじつは同大学のすぐ脇の森にあるんですね。Googleの地図で調べたところ現在はもう無くなっているようですが、当時の雰囲気だけでも感じられたらと思い、コロニーのあった辺りを訪ねてきました。

dscn0110写真がその森です。あとで当時の論文を見直すと、当時のコロニーは写っている場所の尾根を超えた向こう辺りになるようですが、まあいずれにしても雰囲気自体は同じようなものだと思います。針葉樹の優先する森で、その目前にはいかにもサギが餌場として好みそうな浅瀬が広がっています。これはサギがいるはずだと思っていたら、案の定、遠くに佇むオオアオサギの姿を確認。それがオオアオサギとの初めての出会いでした。

森のほうからはワタリガラスのどこか神々しい声。先の情報センター仮説については私も別角度から調べたことがあるだけに、当時、J.R.Krebsはこんな雰囲気の中で観察していたのだろうなと思うと感慨深いものがありました。

ただ、現実はいつもそんな独りよがりを許さないもの。観察している間、私の背後でパンツをはいていないおじさんがうろうろしているんですね。見間違いかと思いつつ、なんだか居心地の悪いものを感じていたのですが、観察を終えてあらためてビーチを見るとあっちにもこっちにも裸ん坊の人たちが…(ただしお腹の出た中高年のおじさん限定)。帰りに気付いた看板にはClothing Optional Beach(服は着るも脱ぐもご自由に)と書かれていました。

サギたちの見る景色も時代とともに変わっていくんですね。

太平洋オオアオサギとは?

アオサギの近縁種にオオアオサギという鳥がいます。名前のとおりアオサギよりひとまわり大きいのですが、見かけや生態はアオサギに大変よく似ています。ただ、住んでいる場所が違うので互いに顔を合わすことはまずありません。アオサギは旧大陸、オオアオサギは新大陸と住み分けているのです。おそらく、もとは同じ種だったのが地理的に離れて暮らすうちに少しずつ違いが生じていったのでしょう。

ところで、この2種のサギ、どちらの数が多いでしょうか? 住んでいる面積から考えるとアオサギのほうが少し多そうな気はしますが。じつは少しどころか圧倒的にアオサギのほうが多いのです。アオサギの総数は10年ほど前の見積もりではおよそ265万羽。これに対してオオアオサギのほうはわずか13万羽ていどで、アオサギの20分の1にもなりません。もっともこれらの推定値は相当に大雑把なもので、とくにアオサギの数値はてんで当てになりません。正確な値が出せているのはヨーロッパぐらい。他はサハラ以南のアフリカで100万、東アジアで100万といった具合にとんでもないどんぶり勘定なのです。北海道のアオサギが約1万、日本全体でもたぶん4、5万ていどですから、そこから類推しても東アジアに100万もいるとは到底思えません。中国は面積は広いですけどアオサギがそれほど多くいる感じはしませんし。いずれにしても、アジア、アフリカは体系的な調査がほとんどなされていないので何も分からないのです。残念なことです。

ともかく、オオアオサギはアオサギより少ない、これだけは間違いありません。その少ないオオアオサギを亜種のレベルに分けるとさらに少なくなります。タイトルに書いた太平洋オオアオサギ(Pacific Great Blue Heron)はじつはそうした亜種のひとつなのです。彼らはアメリカの北西部からアラスカにかけての太平洋沿岸に住んでいて、総数でも6,500羽ほどにしかなりません。ただ、そのほとんどはシアトルやバンクーバーのある湾の一帯で暮らしているため、総数は少ないとはいえ、その付近だけに限定して考えると生息密度はけっこう高いわけです。

7744これはちょっとイメージしにくいと思いますので、あちらと北海道の地図を同縮尺で並べてみました。オオアオサギがいるのはシアトルやバンクーバーが位置する湾の沿岸一帯です。ここに約6,500羽いるといいます。かたや北海道は約1万。こうしてみると密度としては似たり寄ったりと言えるのではないでしょうか。つまり、太平洋オオアオサギは総数は少ないけれども、分布が集中しているために、いるところではわりと普通に目にする、そんな鳥なのだと思います。そういうことが関係しているのかどうか、IUCNのレッドリストでも太平洋オオアオサギは軽度懸念に分類されています。

ところで、なぜこんなことを書いているのかというと、ネットを見ていると太平洋オオアオサギの記事がけっこう頻繁に目に入ってくるからなのですね。オオアオサギの記事自体、アオサギの記事に比べて多いのですが、太平洋オオアオサギの記事となるととくに多いように思います。しかもいずれも興味深いニュースなのです。それもそのはずで、シアトル・バンクーバー地域は昔からオオアオサギ研究のメッカなのです。オオアオサギに対するあちらの人々の意識が高いのはそういうことも影響しているのかもしれません。その辺の事情については近いうちにもっと掘り下げて書いてみたいと思います。お楽しみに。

『幻像のアオサギが飛ぶよ』書評

reviw当サイトの掲示板にもときどき投稿して下さっている佐原さんが、先日、『幻像のアオサギが飛ぶよ』という本を出されました。佐原さんはアオサギやゴイサギなど鳥や魚の生態を長年研究されてきた方ですが、今回の本はタイトルから推察されるように純粋な生物学からはかなりかけ離れた内容になっています。ひと言で言うと、アオサギと人の関わりを文化史の面から考察していったものです。この手の話には私も一方ならぬ関心があり、ことあるごとに当サイトでもあれこれ書き散らかしてきました。じつはそうした私の興味自体、佐原さんから相当な影響を受けてきたのです。

そんなことで、先日、新聞に同書の書評を書きました。掲載誌は佐原さんの地元である津軽地方の陸奥新報で、掲載日は4月1日です。書評を読んで興味をもたれた方は本のほうもぜひ読んでみて下さい。

人とアオサギの文化史

古来、人は動物にさまざまなイメージを付与してきた。アオサギにあってもそれは例外でない。例外でないどころか、イメージの豊かさという点では他のもっと身近な動物に勝るとも劣らないだろう。

本書は、そうしたアオサギのイメージ、「アオサギ観」に焦点を当て、人とアオサギの関わり合いの歴史を紐解いたものである。まずタイトルが印象的だ。これは近代詩の一節からとられたものだが、日本人のアオサギイメージの一典型として示されている。このように、著者は近代詩をはじめとした古今東西の文献資料を幅広く渉猟し、それら一連のテキストから日本人独特のアオサギ観を洗い出す。

そして、そこで浮き彫りになるのは「憂鬱で不気味な」アオサギである。一方、西洋のアオサギは「高貴で精悍だが孤独」だという。どこでこのような違いが生じたのか? なぜ日本のアオサギ観はこうもネガティブなのか? その理由として提示される事実はなかなか衝撃的だ。日本のアオサギはかつて妖怪視されていたというのである。ところが、時代をさらに遡ると田を守る穀霊であったともいう。穀霊から妖怪への大転換。なぜそんなことが起こったのか? そこにはまたシラサギを交えての新たな謎解きが控えているのだ。人とサギ類の関わりはかくも奥深い。

本書の特徴は、こうした謎解きが文献からの推測にとどまらず、生物学的事実に裏付けられていることにある。アオサギの登場するさまざまな文化史的テキストを縦糸に、生物学的知見を横糸に、日本人のアオサギ観を丁寧に織り上げる、これは相当にしんどい作業である。にもかかわらず、堅苦しさを感じることなく著者と一緒に謎解きが楽しめるのは、「(アオサギの)研究と並行して、アオサギゆかりの品々を集め始めた」という著者の軽やかで旺盛な好奇心が語りのそこかしこに感じられるからだろう。

なお、本書が単なる碩学の書ではないことは強調しておかなければならない。人とアオサギの関わりの歴史を通して生きものに親しみを感じ、ひいては生きものの保全に関心をもってほしい、それが本書に通底する著者からのメッセージである。本書を読んでアオサギと共有してきた歴史を心の内に感じられれば、アオサギはもはや得体の知れないよそ者ではない。もちろん妖怪でもない。いまや我々は共感できる隣人になり得るのである。

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